「箔のアート」を確立したアーティスト・裕人礫翔
日本を代表する先染め紋織物「西陣織」が発展した京都・西陣で、箔工芸を営む父の元で育つ。幼い頃から将来は家業を継ぐことを意識し、父の仕事姿を見ながら西陣織に使われる箔の技術を吸収していく。一方、大学では油彩科に進み、抽象美術を学ぶ。卒業後は京都市内の着物問屋に就職し、帯の仕入れをしながら、日本全国の織物を見聞きして市場で求められているものやその傾向を把握する力を養っていった。その後、父の会社「西山治作商店」に入社するのだが、当初の仕事は営業。長らく箔の技術ではなく、箔にまつわる人やモノと関わりながら創造力と審美眼を磨いていった。
「西陣で受け継がれてきた箔の技術の魅力を世界に広めたい。これまで僕が積み上げてきたものがどこまで世界で通用するか挑戦したい」と2002年、40歳を迎えた頃に世界に「箔のアート」というジャンルを確立させるアーティスト・裕人礫翔が誕生した。
照り錆びを使い分けるのが、西陣織に用いられる箔工芸
「僕の作品は全てが掛け算」
礫翔さんが生まれ育った西陣、大学や就職先、家業を継いでからの経験など、これまで培われた創造力と洞察力、そして技術が掛け合わさって形になったのが彼のアート作品。金箔、銀箔に熱を加えて変色させる技法を用い、色彩を巧みに操りながら表現する。
なのだが、まずは伝統工芸である箔押しや西陣織に使われる引箔を知ってもらわないことには、箔の奥深さや作品の素晴らしさを語れない。
金箔は通常、97%の金に銀と銅を混ぜ、打ち延ばして薄さ1万分の1mmまで引き延ばされる。薄く繊細な箔は、ほんの少しの息づかいで形が崩れ、破れてしまう。その箔を一枚一枚、竹箸でつかんでムラなく貼っていく緻密な作業が京都に伝わる「箔押し」という伝統工芸。平面のものから立体的なものまで、さまざまなものに箔をあしらう。箔の品質とともに、箔を施すその技術で日本は最高レベルと言われている。
金箔は純度によって色が変わり、1号、2号とナンバーがついている。純度が高いほど赤みが強く、銀の割合が多くなるほど青みを帯びてくる。金箔ひとつ取っても24k(金99.9%)からホワイトゴールドまでバリエーション豊か。さらに接着剤である漆や膠、柿渋の塗り方でも箔の輝きは異なり、仕上がりの輝きを均一にするには漆を塗るその腕にかかってくる。
「漆の塗り方でここまで変化するんですよ。本来、金は酸化しないので色が変わることはありません。漆の引き具合によって光ったり、錆びたりする。全面をムラなく仕上げるのが箔押しなのですが、その照り錆びを使い分けてどう変化をつけるかが西陣織に用いられる箔工芸です」
箔を貼って裁断し、織って平面にどれだけ迫力を出せるかが西陣織の引箔
礫翔さんが育った「西陣」は、上京区と北区を中心に京都市街の北西部に位置する。行政区域ではなく西陣織に携わる工業組合の登録商標で、西陣織は昭和52年に国の伝統工芸品に指定されている。
どうやって箔を織っていくのか。工程をざっくりにいうと、デザインに沿って和紙にノリを塗り箔を貼る。その紙を糸状に裁断し、元の紙だった状態と同じ順番に織り込んでいく。これを「引箔」という。
「金箔と聞くと箔を貼って終わりだと思うでしょう?違うんです。金箔を貼った和紙を裁断し横糸として織って生地になった時に、どれだけ迫力を出せるかが西陣織に関わる箔工芸士の世界」
「これが西陣織で使われる箔の紙。ムラがあって動きがあるでしょう。前面に出る柄に対して背景となる箔はどんなものがいいのか、それを提案するのが父の仕事でした。青みのある金がいいのか、照りの強い金がいいのか、はたまた動きのある金の方が面白いんじゃないか。本金(=金箔)だけではなく粉(=銀箔に着色した箔)を散らしてみようかと、色んなアイデアと方法を考える。そうやって何十通りもの模様を作っていきます」
一枚の帯に、平面でありながら深み、厚みを出して立体的に錯覚させるように作る。それが西陣織を支えてきた箔工芸士の腕の見せどころ。金、銀、銅、プラチナ、あらゆる金属の特性を活かして、メーカーから求められるデザインに落とし込んでいく。
多品種少量生産で一つ一つ手がけて作られる西陣織には、これまで受け継がれてきた技術だけでなく、市場の動向に合わせて新たなデザインを生むための発想力や表現力が求められる。
金箔というと金沢の印象が強いが、そのイメージは間違いなく、国内の箔は99%以上が金沢で作られている。では、なぜ京都で箔工芸が発展したのか。「各地の素材を使って、さらにいいものにする。それが京都の文化」と礫翔さんは言う。
「僕ら京都の箔工芸士が使う箔は金沢で作られたものがほとんどですが、その箔をどう料理して何を作るか、加工を繰り返して別の形にしていきます。例えば、工房の近所に『五辻の昆布』という有名な昆布屋さんがあるのですが、そこの昆布は北海道産。国内はもちろん海外からのお客さんも多いのですが、なんでわざわざ京都に買いに来ると思う?北海道から昆布を仕入れたらいいじゃないですか。素材そのものではなく、一手間かけたあの味をみんな求めに来るんです。だし巻き卵も鯖寿司もそう。いい素材があってこそだけど、それを加工して新しいものにしていくのが京都の文化です」
西陣織にもう一捻りして作り上げるのが、裕人礫翔の箔のアート
金箔や銀箔という材料を職人の方々の手によって料理されできあがった西陣織は、何百万パターンとあり、今なお次々に生み出されている。その西陣織にもう一捻り加えるのが、箔アーティスト・裕人礫翔さんの作品。
彼の作品は、直径130cmの大皿に月の満ち欠けを、和紙を貼り重ねた素材に銀箔を曜変させ表現した「月光礼讃」から、仏コスメブランド・ジバンシィとコラボして世界600個限定で発売された箔を誂えたリップスティックケースまで大小さまざま。仏フォトグラファーのジョアンナ・ロレンツォの写真に箔や金泥を施し、写真を世界に1つだけのアート作品としたものもある。また、邦画で主演俳優が着用したデニム生地を素材に銀箔を曜変させた男性物の帯やインテリアデザイナーとコラボした木材、他にもガラス、革など、箔を誂える土台も幅広い素材を扱う。
「ロンドンで作られたムーンゴールドという金箔があるのですが、見る角度で茶色っぽくもシルバーにも見えるんです。こういうのを日本の箔と合わせるのが面白いですよね。あぁ、でも箔を貼る素材を見つけるのも好きかもしれない。例えば、和紙を染めてから箔を貼ると、染めた部分と箔のみの部分と質感が異なりますよね。その質感の違いを逆手にとって、素材の組み合わせやどう加工しようかと考えていくのも面白いんです」
数々の作品を発表してきた礫翔さん。前述の「月光礼讃」もそうだが、2008年に発表された「『月光』帯地 満月タペストリー」、2021年にMuuseo Factoryで照明デザイナー・遠藤道明さんとコラボした「月繭」など、作品の多くは「月」がテーマとなっている。
箔工芸作家への険しい道のりと多忙な日々の中、ふと夜空を見上げ月を眺めると、その月灯りに安らぎ、希望の光が差し込んでくるのを感じたそう。作品には、そんな優しい光で包んでくれた月に感謝の気持ちを持ち続けたい、同じように目まぐるしい毎日を送る人たちへ、癒しやエネルギーを注いでくれる存在となってほしいといったメッセージが込められている。
「すぐにイメージが湧くこともありますが、何年もかかることもあります。でも仕込んでウケを狙ったものは面白くないからね。自然体でふっと降りてくるのを待つのですが、展覧会がある度に新しい作品を作らないといけないから、そこは葛藤しています」
変化球も無理難題も、すべて「できる」で打ち返す
「無理だと思っても、できると言う」
礫翔さんは、箔を正面から見るのではなく、斜めから見たり後ろから見たりしているところがある。これまで箔とは関係のないように思われた抽象絵画への好奇心、ニューヨークでの生活や日本の工芸の産地をまわる経験からは、技術だけではない彼ならではの独創性が生まれた。
「いろんな角度から箔を捉える力は、西陣織に携わることで鍛えられたと思います。メーカーさんから、どう考えても『こんなの作れない』といった無理難題をどんどん投げられるんです。『鯛の鱗で作った箔で帯を作ってほしい』といった注文もありましたね。でも、それを全て『できる!やりましょう!』と打ち返してきました。考え方がちょっと違うのかもしれない。そういった意味では、職人ではなく変人だよね(笑)」
箔の世界に限らず「やったことのないことは出来ない」ときっぱり断るのも職人の方々の世界だが、どんなに難しいことでも今まで作ったことのないものでも、全て「できる」と言って実現してきた。
彼の作品は伝統的であり、先進的でもある。だからこそ、文化財複製のための新たな手法が生まれ、国内だけでなく海外でも受け入れられるのだろう。
制約のある作業があるからこそ、表情豊かな作品が生まれる
礫翔さんはアート作品だけでなく、国宝文化財である『風神雷神図屏風』をはじめとする文化財の複製を目的としたアーカイブ事業にも携わる。これまでなし得なかった文化財の複製に、新たな金箔再現手法を確立し、特許を取得した。その手法は海外でも認められ、ニューヨークメトロポリタン美術館やシアトル美術館などに貯蔵されている作品の複製にも使われている。
「作品をのびのび楽しめるのは、文化財の複製という緻密で制約のある作業があるからこそなのかもしれない。複製はどれだけ忠実に再現できるかが勝負だけど、作品は僕の頭の中にあるものを自由に表現できます。だからこそ、決まりきったものではなく、『そうきたか、予想を越えて裏切られた!』といった反応をもらえるように作りたいと思っています」