老若男女誰もが憧れた80年、90年の国産車。今でも衰えぬ魅力を探しにトヨタ博物館へ

写真・文/手束 毅

高級クーペの先駆けとなったトヨタ・ソアラ、デートカーの元祖マツダ・ファミリア、いまだに高い人気を誇るトヨタ・カローラレビン──自動車ファンからいまだに熱い注目を集める80年代から90年代にかけて登場した国産車。人びとがいまだに熱狂する当時のクルマたちの魅力を、トヨタ博物館で改めて確認する。

見るだけで自動車史がわかる日米欧約160台の稀少車がずらり

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1989年に開館したトヨタ博物館。本館、新館にトヨタ車だけではなく日米欧約160台の車両を展示する。

1989年に開館したトヨタ博物館。本館、新館にトヨタ車だけではなく日米欧約160台の車両を展示する。

2005年日本国際博覧会「愛・地球博」(愛知万博)の開催地だった愛知県長久手市にあるトヨタ博物館。

「ガソリン自動車誕生から現代まで自動車の進化の過程を、展示車両を通して見ることができます」

トヨタ博物館・車両学芸グループ・齋藤武邦さんがこう述べるように、館内にはガソリン自動車が登場した19世紀から現代までの車両が展示されている。いずれも貴重なクルマたちだが、そのなかでも特に珍しい車種があるという。

馬が引かない馬車といわれた18世紀後半の自動車から、現代でも採用されているFR(後輪駆動/フロントエンジン、リア駆動)式を初めて採用するなど自動車技術の基礎を築いたと評されるパナール・ルヴァッソール B2。

馬が引かない馬車といわれた18世紀後半の自動車から、現代でも採用されているFR(後輪駆動/フロントエンジン、リア駆動)式を初めて採用するなど自動車技術の基礎を築いたと評されるパナール・ルヴァッソール B2。

自動車技術の基礎を築いたと称されるパナール・ルヴァッソール B2(仏・1901年)。

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フランスの高級車メーカー、イスパノスイザ。このクルマは佐賀の鍋島家13代当主、鍋島直泰氏が自らデザインしたボディを日本の職人が架装した貴重なモデルだ。

フランスの高級車メーカー、イスパノスイザ。このクルマは佐賀の鍋島家13代当主、鍋島直泰氏が自らデザインしたボディを日本の職人が架装した貴重なモデルだ。

佐賀鍋島家13代目当主がシャシー(クルマを構成している箇所)を購入した後にカスタマイズしたイスパノスイザK6(仏・1935)。

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米32代大統領ルーズベルト専用車のパッカード・トゥエルブ(米・1939)。

これらはとくに他の自動車博物館では目にすることができない珍しいクルマたちだと齋藤さんは紹介してくれた。

博物館で日本車が展示されているのは本館と新館の2階。戦後、物流の核となった3輪トラックなど1950年代以降の国産車が時代ごとに展示されているなか、来場者からの注目をひときわ浴びていたのが80年代以降の国産車だ。

1939年に製造された大統領専用のパッカード トゥエルヴ。7.8LV12気筒エンジンを搭載し、防弾ガラスをはじめ大統領専用車としての補強が各所でなされている。

1939年に製造された大統領専用のパッカード トゥエルヴ。7.8LV12気筒エンジンを搭載し、防弾ガラスをはじめ大統領専用車としての補強が各所でなされている。

「他の展示車と同じく80年代以降の国産車は当時、人気があっただけではなく社会現象になったクルマや技術的に衝撃を与えたクルマを展示しています」

こう齋藤さんが話す、80年代、90年代の国産展示車を見ていこう。

これまでになかった豪華なクーペに老若男女が憧れた──トヨタ・ソアラ

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トヨタ初の高級パーソナルクーペとして1981年に登場した初代ソアラ。サイドウインドウには当時アメリカ車などに採用されていた後席乗員を直射日光から保護するクォーター・サン・シェイドが装備されている。

フロアーに展示される80年代以降の国産車で、まず目についたのが1981年に登場した初代トヨタ・ソアラだ。

当時、国産車には存在しなかった高性能と豪華さを両立した2ドアクーペとして誕生したソアラに人びとは熱狂。世代や性別を問わず、大げさにいうと誰もが憧れたクルマだった。

ソアラは1986年に2代目、1991年に3代目とモデルチェンジを果たす。しかし、4代目が登場した2001年はすでにクルマに憧れを抱く人たちが少数派になってしまっていた。

2005年、ソアラはトヨタのプレミアムブランド「レクサス」で販売されるレクサスSCへと発展しソアラの車名は消滅した。

斬新なデザインが世界に衝撃を与えたクーペ──いすゞ・ピアッツァ

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イタリア人デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが手がけた初代ピアッツァは1981年に登場した。

イタリア人デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが手がけた初代ピアッツァは1981年に登場した。

80年代以降、登場した数ある国産車のなかでもとくにデザインが美しいと評価が高いのが初代いすゞ・ピアッツァだ。

エッジを強調し角張ったスタイルが全盛だった1981年、丸みを帯びた流麗なスタイルで登場したピアッツァはその斬新なデザインで、国内外問わず人びとに衝撃を与えたクルマだ。
走りやクルマの出来はスタイルほどの評価を受けることはなかったものの、デザインだけで強烈に記憶に残る1台となったことは他に類を見ない。

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車体表面の凹凸を廃したフラッシュ・サーフェイスが特徴のエクステリア。内装もデジタルメーターが装備されるなど未来的なデザインが採用された。

外観のみならず、内装も当時としては珍しいデジタルメーターなどで斬新なインテリアに仕立てた初代ピアッツァは1991年まで生産が続けられた。
2代目は1991年に登場したものの、その2年後となる1993年にいすゞは乗用車の開発・生産から撤退を決めたため、ブランドは消滅した。

登場から35年経ったピアッツァを間近で見ても、斬新なデザインはまったく色あせていない。熱狂的なファンがいまだに多いことは、実車を見れば理解できた。

いまだに若者が熱狂する伝説のスポーティーカー──トヨタ・カローラレビン

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1983年、当時すでに珍しくなっていたFRを採用したスポーツモデルとして登場したカローラレビン(AE86型)。通称「ハチロク」と呼ばれる同車はいまでも高い人気を誇る。

漫画『頭文字D(イニシャル・ディー)』に兄弟車、スプリンタートレノが登場したことで高い認知度を誇るトヨタ・カローラレビン。

AE86という型式名(1.5Lエンジン搭載車はAE85)から「ハチロク」と呼ばれいまだに高い人気を誇る同車は1983年に登場した。
登場した当時、すでに珍しくなっていた後輪駆動だったことが大きなセールスポイントとなりとくに走り好きの若者に支持されていたカローラレビン。

ただ、技術面ではとくに先進的なものはない。このクルマがなにより凄いところは、登場して30年間ずっと、多くの若者の憧れであり続けたことだろう。
これは、これからも続いていくはずだ。

今やなき「デートカー」の元祖──マツダ・ファミリア

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1980年に登場した5代目ファミリアは、ファミリー層だけでなく若者から支持され大ヒット。デートカーなる新たなジャンルを作ったクルマとなった。

1980年に登場した5代目ファミリアは、ファミリー層だけでなく若者から支持され大ヒット。デートカーなる新たなジャンルを作ったクルマとなった。

980年に登場したマツダ・ファミリアは、一見、ただのコンパクトカーに見える。しかし、クルマを恋愛成就のアイテムとして活用するムーブメントを作ったとして一時代を築きあげたことで名を馳せた。

ファミリアが登場する以前も、デートでクルマを使うことは珍しくなかった。クルマを所有していることが一般的ではなく、どんなクルマでも所有していることが男性としてのステータスとされていたのだ。

ただ、ファミリア登場後はそれが一変。おしゃれアイテムとして認知された「赤いファミリア」を女性たちは男性に求め、男性は「陸サーファー」なる似非サーファーになってまでファミリアで女性をナンパ。これは当時、社会現象となるほどだった。

女性とのデート向けのクルマとして「デートカー」なるジャンルが生まれたが、ファミリアは栄えある第一号として、いまでもとくに50代以降で当時の若者だった方たちに親しまれている。

世界が驚愕した日本発の新世代高級車──トヨタ・セルシオ

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1989年、トヨタのフラッグシップモデルとして発売された初代セルシオ。だぐいまれな静粛性や快適性を備え、国内のみならず海外でも高い評価を得た。

1989年、トヨタのフラッグシップモデルとして発売された初代セルシオ。だぐいまれな静粛性や快適性を備え、国内のみならず海外でも高い評価を得た。

安くて壊れない、これは世界から見たいまだに続く日本車の一般的な評価だ。そのため、コンパクトカーなど実用車の高い評価とくらべ、高級車のジャンルにおいてはいまだにブランドイメージが高いとはいえない。

しかし、1989年にデビューしたトヨタ・セルシオは世界中のプレミアム自動車メーカーに間違いなく大きな影響を与えたクルマとなった。

徹底的にこだわった静粛性、使い回しても壊れない信頼性と耐久性、内外装のあらゆるところを追求した高い質感。いまでこそ高級車では当たり前となった“お約束”を高いバランスで実現したセルシオは、日本ならではのきめ細やかさにこだわった新世代の高級車だったのだ。

セルシオは3代目までトヨタのフラッグシップとして君臨。現在はレクサスLSへ発展しているが、初代セルシオが作り上げた新たな高級車像は受け継がれている。

このクルマの登場でオープン2シーターブームがリバイバル──マツダ・ロードスター

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1989年、当時すでに壊滅状態だった2シーターオープンカーに新世代モデルとして新たに登場した初代ロードスター。

1989年、当時すでに壊滅状態だった2シーターオープンカーに新世代モデルとして新たに登場した初代ロードスター。

昨年、4代目が登場したマツダ・ロードスター。初代が生まれたのは1989年だ。
発売当時は販売チャンネルの関係で「ユーノス・ロードスター」と名乗っていたこのスポーツカーは発表後、あっという間に世界中で売れまくった。

70年代までに世界中で販売されていた2シーター・オープンカーは、時代と共に求められてきた快適性や安全面などのニーズを満たすことができずにほぼ消滅。マツダ・ロードスターは新たな技術で課題をクリアーし、新たな2シーター・オープンカーブームを世界中で巻き起こしたのだ。

初代ロードスターは世界的に大ヒットとなったことで、世界中のメーカーから多くの2シーターオープンカーが続々と発売されている。

初代ロードスターは世界的に大ヒットとなったことで、世界中のメーカーから多くの2シーターオープンカーが続々と発売されている。

「当初、ロードスターの開発は有志によるプロジェクトで、私は通常業務を終えた残業時間に手弁当で図面を書いていました」

2代目、3代目の開発責任者だった貴島孝雄さん(現・山口東京理科大学工学部機械工学科教授)が筆者に初代ロードスター開発時の経緯をこう語ってくれた。運転・操縦して楽しいクルマとしてマツダ・ロードスターはいまでも世界中で愛されている。

異常な高騰を続ける絶版車、その理由とは

お話を聞いた、トヨタ博物館・車両学芸グループ・齋藤武邦さん。

お話を聞いた、トヨタ博物館・車両学芸グループ・齋藤武邦さん。

現在、クルマ好きの間で大きな話題になっていることがある。それは80年代、90年代に登場した国産車が中古車市場で高騰していることだ。
とくに趣味性が高い一部のクルマは、登場から25年以上経つにもかかわらず値上がりが止まらない。

そんな国産車の代表車種が日産スカイラインGT-R(R32型)。アメリカの「25年ルール」と呼ばれる規制の影響で北米市場などへの海外流出が止まらないのがその理由だ。

製造後25年経過すると米国外で販売されたクルマが輸入可能となる。このルールの影響を受けて、スカイラインGT-R以外の国産車も国内から海外への流出が止まらない状態だ。国内の中古車市場からタマ(個体)がなくなる──これが価格高騰の大きな要因となっているのだ。

「40代、50代が子どもの頃に憧れた80年代、90年代のクルマを手に入れたいのですが予算的に厳しいですね。とくに当時のクルマ好きが熱狂したスポーツカーが欲しいのですが、いまとなっては海外で人気が出てしまっています。パフォーマンスを考えると海外に流失するのを見ているだけでなく、手元に置いていたいのですけど、なにせ手に入らない…」(齋藤さん)

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文中に挙げたクルマ以外にも80年代、90年代の車両として初代MR-2(写真左)、初代カリーナED(写真右)が館内には展示されている。

ただ、「日本車が最も輝いていた時代」とも呼ばれる80年代、90年代の国産車を求めるユーザー、とくに40代、50代のユーザーはそれでも状態が良い車両を手に入れようと必死に動いている。

「クルマ個々の魅力がいまだに忘れられない」、「当時欲しかったのに買えなかった」など、人それぞれで当時のクルマを思う気持は違うだろう。
また安全に対するレギュレーションが年々、厳しくなり斬新なデザインや刺激的な走行性能を持つクルマが、近年、作れなくなったことも当時のクルマに目を向ける大きな要因だといえる。

だからこそ80年代から90年代の国産車に、元気いっぱいだった当時の自分と日本を重ね合わせて見る自動車ファンが多く、それが当時のクルマがいまだに人気がある理由なのだろう。

ーおわりー

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トヨタ博物館

住所 愛知県長久手市横道41-100
電話 0561-63-5151(代表)
開館時間 9:30~17:00 (入館受付は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)および年末年始

公開日:2016年4月30日

更新日:2022年4月4日

Contributor Profile

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手束 毅

自動車専門月刊誌の編集を経て現在はフリーエディターに。クルマはもちろん、モノ系、ミリタリー、ファッション、福祉などなど「面白そう」と感じた様々な媒体やテーマに関わっているものの、現在一番興味がある「もつ焼き」をテーマにした出版物の企画が通らないことが悩みの種。

終わりに

手束 毅_image

約5年振りの訪問となったトヨタ博物館。相変わらずクルマ好きにとって飽きない展示内容でした。今回取り上げた国産車をはじめ、ヘリコプター用の水平対向エンジンを搭載したタッカー、流線型ボディが美しいプジョー402、”動く彫刻”と呼ばれるチシタリア202クーペなどなど日ごろ見ることがなかなかできないクルマばかりでお腹いっぱいとなった取材でした。

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