クリエイティブ・コンサルティングファームLOWERCASE代表、梶原由景氏による連載「top drawer」。第一回は作家ダミアン・ハーストが開いたレストランの備品を例に、アートと食とファッションの融合について考察します。
話題はアートと食の話ばかり
いま、ファッションとライフスタイルの境界線がなくなっている。5月にニューヨークに行ったが、誰もファッションの話をしていない。米国でもっとも成功している日本人デザイナーであるENGINEERED GARMENTSの鈴木大器さんとの会話でも、ここ2〜3年話題に登るのは食やアートに関するものばかりだ。
ニューヨークだけの話ではない。東京など他の大都市でもあまり変わらない。
僕が若いころは、ご飯を食べるのを我慢してでも洋服を買いたかった。ショップスタッフと洋服に対するウンチクを話したり、友人と「なにその洋服!」というやりとりをしたり、ファッションは社会の中で、コミュニケーションの一部として機能していた。
いまは、ご飯を食べたあとに「残ったお金で買える洋服を買おうか」というようにお金や時間の使い方が変わったように思う。ファッションに携わる人たちがかつて洋服に傾けていた情熱は、予約困難なレストランで食事をすることに注がれている。
ひとつの転換点があり急に切り替わったわけではない。ファッションとアートと食の役割の変化は、ゆるやかに進行している。しかし、いま振り返ってみるとひとつのきっかけがあるように思う。
現代アーティストがプロデュースしたレストラン「Pharmacy」
Pharmacyのメニュー表
上の写真は、現代アーティストのダミアン・ハースト(Damien Hirst)が、イギリスのノッティングヒルに開いたレストラン「Pharmacy」のメニュー表だ。
僕がまだBEAMSで働いていた頃、ジョナサン・バーンブルック(Jonathan Barnbrook)という、のちに六本木ヒルズのコーポレート・アイデンティティを作るデザイナーに、オリジナルフォントやアパレルアイテムの制作を依頼した。その時、彼がPharmacyのプロジェクトを手伝っていてサンプルをプレゼントしてくれた。
ダミアン・ハーストは1965年にイギリスで生まれ、1993年にはイギリス代表としてヴェネツイア・ビエンナーレに出展し、まっぷたつに縦割りされた牛の親子の標本彫刻「Mother and Child Divided」で一躍有名となった。この作品で1995年にターナー賞を受賞している。
「薬局」と名付けられたレストランの、ありとあらゆる部分から彼の世界観を感じることができる。スタッフのユニフォームはプラダが作っていた。照明にはビーカーを模したシェードがつけられていた。テイクアウト部門はOutpatient、つまり外来患者という名前がつけられていた。Pharmacyにまつわる一つひとつが作品であり、秀逸なクオリティに仕上がっている。
お皿、マッチ箱、ショップカード
1998年に開かれたこのレストランは、薬局と勘違いして訪れるお客さんが多かったため、イギリスの王立薬学協会の指摘を受け名前を変更している。その後、レストランは2003年に閉店。
2016年には、ノッティングヒルにあるNewport Street Gallery内に「Pharmacy2」という名前で復活する。現在でも、ギャラリーが営業している時間には飲食物を提供している。
実際にPharmacyで使われた備品はサザビーズで競売にかけられた。そのオークションカタログは僕にとってすごく良い教科書で、眺めていると店舗の内装や商品展開のアイデアが浮かんでくる。それくらい、細部に渡って世界観が統一されている。
伝票バインダー
ダミアン・ハーストは、アートを社会に接合した
1990年代の英国で頭角を現わしたヤング・ブリティッシュ・アーティストは、ロンドンの東部の空き倉庫を用いて自ら企画展示を行なった。高額で取引されるその作品群によって当時停滞傾向にあった英国の美術市場を大いに活性化させた。
その中でも、Pharmacyはアートを社会に接合した非常に大きな出来事だと思う。教科書に載っていてもおかしくない。僕はPharmacyをきっかけにアートからより一層刺激を受けるようになった。アートと食とファッションが混ざり合うようになった、一つのきっかけなのではないだろうか。
ーおわりー