幕開けを迎える中国靴 ー靴職人の成長と消費者の洗練、そして靴業界の成熟ー

幕開けを迎える中国靴 ー靴職人の成長と消費者の洗練、そして靴業界の成熟ー_image

取材・文 / Oya
写真 / ゴトーアツシ

無類の革製品好きであるライターのOyaが、千葉県印西市に店舗を構えるレザーショップ「LEATHER PORT」代表の井熊氏を訪ねた当企画。

前編では当ショップの代表ブランド「名も無きビジネスシューズ」のディテールについてご紹介した。

後編となる本稿では「LEATHER PORT」で取り扱う美しきマスターピースを制作する中国南部の靴職人について、日本、いや世界の靴マニアにとって未知の領域である中国の靴業界事情についてお届けする。

中国という名の近くて巨大な「パンドラの箱」を開けてしまった井熊氏。どんな話が飛び出してくるだろうか。

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定石無き中から生まれる、無垢なる美

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Oya

中国の靴職人はどうやって紳士靴の勉強をしているのでしょうか?
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井熊

中国には靴学校や、その道の先達がいないのです。なので、誰かにイロハを教わるのではなく、独学で技術と感性を磨き、成り上がっていきます。既存の情報ソースが乏しい中での独学の方法として、インターネットを駆使する職人も現れてきています。
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井熊

定石が無いので、逆に「名も無きビジネスシューズ」の製作者のような才能のある職人は、より無垢なものを生み出せていると思います。デファクト・スタンダードを習得してしまっていたら、このような靴は生まれていなかったかもしれません。
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井熊

たとえばチャネルの仕上げにしても、サンプルシューズを見て「メスチャネルだよね?」と職人に聞いたら「何だそれは?溝を掘って出し縫いをして、閉じているだけだ」と言われました(笑)。また「ツイステッドラストだよね?」と聞いたら、これも「何だそれは?横文字並べるなよ!足の形通りに作ったらこうなったんだよ」と。
メスチャネル仕上げが美しい靴底

メスチャネル仕上げが美しい靴底

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井熊

私からこれらのディテールを盛り込んでほしいというリクエストは一切していないのです。職人としては「普通に作ったらこうなった」ということです。先達が居ないこと、そしてナレッジが無いことが、自然とこの形を生み出してしまったのです。

中国で広まる「職人精神」

「名も無きビジネスシューズ」が生み出される中国南部の工房

「名も無きビジネスシューズ」が生み出される中国南部の工房

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Oya

長い歴史の中で培われてきた靴制作の技術の数々が、中国の工房内では短い期間の間に自然発生しているということですか。どうしてここまで熱意を持った、丁寧な靴作りができるのでしょうか?
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井熊

逆説的ですが、それはMade in Chinaだからなんです。たとえばMade in JapanとMade in Chinaでは、中国であっても前者が買われます。だから、選んでもらえるよう、徹底的に作り込みをするんです。
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井熊

中国の職人たちは本当に努力していると思います。少し前までは、中国では職人と名の付く人たちは社会的に「汚い仕事(=みすぼらしく、手の汚れるランクの低い労働)しか出来ない人々」と蔑まれるのが常でした。しかし、ここ2、3年は全く状況が変わってきています。
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井熊

「職人精神」という日本語が中国に輸入され、高い志を持った若手の職人の間で共通概念になっています。「実力さえあれば成り上がれる」という超弱肉強食型市場経済の加速も手伝い、職人という職業が「自らの手で付加価値のあるプロダクトを生み出せるクールな人々」という社会認識に変わってきています。
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Oya

クラフトマンシップといった概念が日本から輸入された事実は非常に興味深いです。
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井熊

社会認識の変化に呼応する形で、職人という職業に憧れを持ち、高い志を持ってレザークラフトに挑戦する若手人材が急増しています。
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Oya

若手の台頭が激しい中国の靴業界とのことですが、リーダー的な人は居るのでしょうか?
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井熊

正直に言ってしまうと、今は若手の職人の方がレベルが高いんです。ただ、ひとつ言うとすれば、40代の方ですが、中国で唯一ビスポークシューズを扱っている職人がいるようです。ラスト制作に一日の長があるようですが、詳しいことは分かっていません。

欧州タンナーの次なる巨大市場、中国

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Oya

ところで、中国の靴職人の皆さんは、アッパーの革の入手はどうしているのでしょうか?
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井熊

2年前位までは、たとえばデュプイにしても、中国国内では全く入手ができませんでした。それこそ、韓国経由で仕入れるか、日本経由で仕入れるかという感じ。しかし今は、中国国内に向けて欧州のタンナーが激しく営業をかけています。
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井熊

中国のレザー業界が育ってきたというのをいち早くキャッチアップしての行動ですが、一方では日本の市場がシュリンクしてきたという現状も理由の一つです。
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井熊

香港では関税や消費税が発生しないため、レザーフェアが定期的に開催されていて、各国の優秀なタンナーが出展しています。また北京や広州では、欧州のタンナーの責任者が代理店契約の締結のため急激に交渉を開始しているという動きもあり、盛り上がりを見せています。
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Oya

欧州のタンナー各社から見た近未来の巨大市場という訳ですね。ちなみに、中国にもタンナーは存在するのでしょうか?
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井熊

ありますが、あまり伸びていません。それに、これからも伸びることは無さそうだなと思っています。前述の通り、いま中国には海外の良い革が集まってきているので、それを使ってしまえばいいという意識があると思います。

成熟する中国の消費者たち

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Oya

中国の盛り上がり方は凄いですね。私も中華トゥールビヨン(※1)を持っていたことがあり、世間一般では「限られたごく一部の時計師しか制作できない」と言われているトゥールビヨン脱進機を実際に制作し、しかも商品化までしてしまうという発想と行動力に脱帽しましたよ。

※1 1795年、かの有名な時計師アブラハム・ルイ・ブレゲが開発したとされる特殊な脱進機、トゥールビヨン機構を備える機械式時計のこと。スイスの高級時計ブランドでは1,000万円オーバーのプライシングがなされているが、1990年代に中国の腕時計メーカーが同機構を採用した腕時計を10万円アンダーでリリースし話題となった。

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井熊

まさに腕時計も本当に凄いです。やはり、数の暴力がありますよね。いま、中国の市場は健全なんです。一部の富豪層が高級品を買い漁っているかというとそうではなくて、中産階級がすごく増えていて、一般家庭でもご褒美や記念品として高級品を買っている状況があります。
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井熊

消費者が育っているので、生産者も競争が非常に激しいです。悪いプロダクト、生産者がすぐ淘汰される厳しい資本主義の世界です。経済がとても回っています。
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Oya

中国で高級紳士靴を求めるのはどのような層なのでしょうか?
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井熊

前述のような背景もありますが、やはり現時点では、20代、30代でIT産業などで財を成した若い世代が多いです。彼らは身だしなみにこだわります。また海外の顧客などと会った際、その顧客が高級紳士靴を履いていれば「何だその靴は!」と興味を持ち、自分達もそれを欲しがります。そして中国の靴職人は、Made in Chinaが世界で生き残るため、徹底的に製品を作り込むのです。
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Oya

興味深いです。そのような消費者が好む傾向などはあるのでしょうか?
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井熊

高いものを買いたがるというのはあるのですが、やはり英国靴が圧倒的に人気です。見た目の特徴で言うと、John Lobb(ジョンロブ)などエレガントなデザインを好む傾向にあります。Paraboot(パラブーツ)、J.M.Weston(ジェイエムウエストン)等の、ポテっとした丸っこいデザインのものは全く好かれません。
中国で人気のJohn Lobb

中国で人気のJohn Lobb

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井熊

彼らは人に見られてカッコよく映るかどうか、という視点が常にあります。個人的には、「自分としてはどうなのか」という意識が醸成してくれば、中国のマーケットは更に深く成熟すると思っています。
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高級紳士靴界隈の次なるフロンティア、中華人民共和国。

話を聞けば聞くほど、中国の職人が持つエネルギー、醸成されつつあるマーケット、そして消費者の熱気、幕開けの高揚感、新しい事象が発生することの鮮烈さに感銘を受けてしまった。

終戦直後、再生期の日本もこんな状況だったのだろうか。欧州の文化や発明品を模倣し、そして凌駕するものを作り上げていく。Made in Japanが生き残るべく、血と汗を流して。

なお井熊氏は直近「名も無きビジネスシューズ」の職人に匹敵する才能を持った若きアルチザンを上海で発掘することに成功し、交渉を重ねているという。良い続報があることを切に願っている。

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本記事の締めくくりとして最後に記載するが、「名も無きビジネスシューズ」の職人は、まだ20代半ばだという。

唖然、という他無い。

ーおわりー

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LEATHER PORT

千葉県印西市に店舗を構えるレザーショップ。代表ブランド「名も無きビジネスシューズ」を始めとした、中国各地の名も無き職人が生み出すマスターピースを数多く取り扱う。

公開日:2018年12月12日

更新日:2022年5月2日

Contributor Profile

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Oya

新旧問わず良いものを広く深くがモットー。アンティーク懐中時計から趣味の泥沼にハマり、ハバナシガーが大好物。最近は海外の高級紳士靴ショップや工房を訪ねることに熱中している。今一番行きたい都市はウィーンとブダペスト。‬

終わりに

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靴と旅は切っても切れない関係にある。お気に入りの靴を履いて行きたい場所に行くのが楽しいのはもちろんのこと、美しい靴を求めに旅に出るのもまた楽しい。筆者は先日、ノーザンプトンとパリに靴を買いに出かけたが、それはそれは素敵な旅だった。ただ、ノーザンプトンもパリも遠く、そして時間とお金がかかる。その意味では、「かくれ里」に「名も無きビジネスシューズ」を求めに行く小一時間の旅ー関東圏限定ではあるがーは、コストパフォーマンスに優れた体験といえよう。

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