不便さも魅力のひとつ
ある日、電車で正面に座った男性と目が合って、思わずニヤりとしてしまった。互いにこう思ったに違いない。ああ、あなたも好きなんですね。
彼もまたBill Amberg(ビルアンバーグ)のロケットバッグを抱えていたのだ。軽さを重視する時代に、これほど重いカバンを持ち歩いている人はなかなかいない。本場ロンドンでさえ、最近はほとんど見かけない。まさに“おしゃれは我慢”を体現したようなカバンで、重たさのあまり手は痛くなるし、真冬になるとハンドルが氷のように冷たいから手袋がないと握れないし、モノを取り出すためには一度置かなければならない不便さがあるのだけれど、その不便さも含めて僕は気に入っている。
ビルアンバーグの代表作といえば、ロケットバッグだろう。でも僕が初めてビルアンバーグを認識したのは20代のころ、持ち手がガラスでできたベネシャンバッグだった。雑誌で見て一目惚れし、ずっと欲しいとは思っていたが、会計士だった当時は分厚いノート型パソコン、大量の書類、会計監査六法を持ち歩かなければならなかったので、結局は実用性の高いカバンを使っていた。しかも取っ手のガラスが突然割れることがあると聞いて諦めていた。
ようやく購入したのが4年前。ファッションジャーナリストの飯野高広さん、倉野路凡さんとの鼎談で、お二人のカバンへの情熱に触れてビルアンバーグの存在を思い出した。またクラシックカーのように不便さを楽しめる年代になったというのも理由かもしれない。
ファッションのおもしろさを考える
ビルアンバーグの良さは、革製品でありながらメカニカルな素材と融合しているところだろう。僕が手に入れたカバンもハンドルがそれぞれ違っている。ベネシャンバッグはガラス、ロケットバッグはアルミの削り出しで作られていて、トレンドに流されないデザインがいい。
僕は古いものが必ずしもいいものとは限らないと考える一方で、残ってきたものには敬意を払いたいと思っている。試練に耐えてきた力強さみたいなものがあり、美しいと感じるからだ。最近の革製品にはすぐにヒビが入ってしまうものがあるけれど、このカバンたちは形が崩れない。今では手に入らないような頑丈な革が使われているのだろう。だから新しいものではないと分かっても、小汚くは見えない。しかも口枠式で大きく開くためモノの出し入れがしやすく、分厚い革が中身を守ってくれるといった機能性を備えている点も魅力だ。
使うのは大事な会議や商談に臨む際が多い。何かしら気合を入れたいときだ。そもそも重厚なカバンを持ち歩くために気合を入れる必要があるのだが、そのぶん背筋が伸びて身も心も引き締まる。さらに相手の記憶に残りやすいといううれしい効果もある。
ファッションアイテムはアイデンティティを表現するツールだ。その点で、ビルアンバーグのカバンには他人とかぶらないという長所がある。同じものを持っている人に出会ったのは電車の彼くらい。ベネシャンバッグを手にしていれば相手の目に留まり、話のネタになる。自分を印象づけたいときに活躍してくれるファッションアイテムと言える。
同質性と異質性のバランスをどうするか。それがファッションのおもしろさだ。例えば、同質性を高めれば仲間集団に向けて自分が味方であるという意思表示になるし、異質性を取り入れれば個性を主張できる。シチュエーションに応じて自分をどう見せたいかを考え、組み合わせの妙を楽しむ。機能性重視でカバンを選ぶ時代に、やせ我慢しながら重たいカバンを持ち歩く理由はそこにある。
カバン・メガネ・アクセサリーを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
紳士服を嗜む 身体と心に合う一着を選ぶ
服飾ジャーナリスト・飯野高広氏の著書、第二弾。飯野氏が6年もの歳月をかけて完成させたという本作は、スーツスタイルをはじめとしたフォーマルな装いについて、基本編から応用編に至るまで飯野氏の膨大な知識がギュギュギュっと凝縮された読み応えのある一冊。まずは自分の体(骨格)を知るところに始まり、スーツを更生するパーツ名称、素材、出来上がるまでの製法、スーツの歴史やお手入れの方法まで。文化的な内容から実用的な内容まで幅広く網羅しながらも、どのページも飯野氏による深い知識と見解が感じられる濃度の濃い仕上がり。紳士の装いを極めたいならば是非持っておきたい一冊だ。