フライング・ドクター・サービス-1927年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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 このオーストラリアの切手は、飛行機を利用した医療機関ロイアル・フライング・ドクター・サービス創立50周年を記念しています。1928年以前オーストラリアの未開の奥地には医師や看護婦が不在で、重病人は馬車や自動車で長く苦しい道のりを経て治療を受けに出かけなければなりませんでした。ヴィクトリア金鉱地に生まれ育ったジョン・フリン医師は、早くも1912年に飛行機による医療活動の可能性を考慮していました。

 1922年にエアリアル・メディカル・サービス・ファンド(飛行医療活動基金)が成立され、電力をもたない地域からの連絡方法が検討された結果。足踏み式の発電機を使って発信する方法がとられることになりました。1927年、クイーンズランド・アンド・ノーザン・テリトリー・エアリアル・サービス(カンタス航空)がイサ山に医師を派遣して骨盤の折れた患者を連れてくることに成功しました。これがきっかけとなり、ただちに飛行機利用の医療機関の発足が提案されました。翌年、外科医のK・セント・ヴィンセント・ウェルチが任命されると、カンタス航空はD.H.50複葉機を提供しました。ファースト・デー・カバーのオリジナル彫刻画に描かれているのがその複葉機です。活動を開始した初年度にウェルチ医師は250人の患者を診察し、飛行距離20.000マイル(1マイルは1.6093キロメートル)を記録しました。現在、フライング・ドクター・サービスの医師は年間1万回以上の診察を行い、千人以上の患者が12の医療基に運ばれています。

※1978年当初の説明です

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