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サントス=デュモン(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このカバーに貼付されている切手はどれもアフリカのルワンダで発行されたもので、航空史上の4人の偉大な先駆者たち、ライト兄弟、アルベルト・サントス=デュモンそしてアンリ・ファルマンを描いたものです。なお、カバーの発行初日の消印もルワンダで押されたものです。 サントス=デュモンを描いた切手には。鴨型機(方向舵と昇降舵の働きをする今の尾翼に相当するものと推進エンジンが主翼の前方に付いたもの)といわれた彼の飛行機14-bis号も見られます。気球乗りで飛行船の操縦士でもあったデュモンが「空気より重い飛行機」に興味をもったのは1904年のことで、まもなく箱凧の原理で設計された仕切りのある翼をもった風変り複葉機の製作にとりかかりました。オリジナル彫刻画に描かれているように、操縦装置のテストに際し、機体にワイヤーを取りつけ、ロバに引っぱらせたのでした。1906年、この14-bis号はデュモンの操縦で動力飛行機としおてヨーロッパで初の成功をみました。 全身は自転車乗りで、カーレーサーでもあったファルマンは、1908年10月30日世界初の国際飛行を行って航空史の1ページを飾りました。複葉機のヴォアザン号を駆って、フランスのブイからランスまでの約30キロを20分で飛ぶことに成功したのです。ライト兄弟やデュモンと同じく、ファルマンもその後飛行機の設計にたずさわり、ヴォアザン号よりも軽く、操縦性がすぐれたものを製作しました。それは企業としても成功し、ファルマンが有力な飛行機メーカーとしての地位を固めるきっかけとなったのです。 #切手 #初日カバー #FDC
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The Official Government First Day Cover Collection ケイマン諸島②
カイマン諸島発行の政府公式ファースト・デー・カバーは、同諸島中最大の島グランド・カイマン島にあるオーウェン・ロバーツ空港の開港25周年を記念するものです。同諸島の経済の振興に大きく貢献してきたこの空港は、急速に成長する観光産業の大きな支えとなっています。 3セント切手にはロッキード・ロードスター機が描かれています。コンソリデーテッドPBY機が5セント切手に、10セント切手にはヴィッカース・バイキング機が、そして15セント切手には着陸するBAC1-11機がそれぞれ描かれています。20セント切手には、パイパー・シャイアン、HS125、ベル47ヘリコプターの3機が描かれており、30セント切手の図柄は離陸中のBAC1-11機です。 カバーに描かれているのはオーウェン・ロバーツ空港の風景を図案化したもので、1979年2月5日の発行初日のグランド・カイマン島の消印が押されています。 カイマン諸島はジャマイカの約300キロ北東のカリブ海に浮かぶイギリスの保護領です。グランド・カイマン島、リトルカイマン島、およびカイマン・ブラック島の3つの島から成っており、陸地面積は約260平方キロです。 ※1979年の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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ボーイング747(飛行の歴史初日カバーコレクション)
1970年代の初めに巨大な"ジャンボ・ジェット"ボーイング747が就航した時には、その大きさのために幾つかの問題が生じました。それは、飛行中ではなく、地上に降りたときの問題だったのです。この世界最大のジェット旅客機は長さ約70メートル、三角翼の翼幅は約60メートル、垂直尾翼の高さは6階建てのビルほどにもなるため、空港での乗客の乗降に際して大変場所をとることになるのでした。 この怪物のような空港機を地上でうまく扱う技術においてパン・アメリカン・ワールド航空が先駆者となりました。5,000万ドルをつぎこんでニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に同航空のターミナル・ビルが建設され、1973年から使用が開始されました。今回の初日カバーのオリジナル彫刻画に描かれているのはそのすばらしい施設です。この超近代的なケネディ国際空港のパン・アメリカン・ターミナルはボーイング747が8機までつけることができ、自動化された乗降用のタラップは364名の乗客をわずか15分で搭乗させることができます。こうしたすばらしい設備をもつ空港ターミナルは、今日世界でもっともにぎわう空港のひととなっています。 シンガポール共和国で発行され、同国で発行初日の消印の押された10セントpypび35セントの切手には、超高速コンコルド・ジェット旅客機とボーイング747が、それぞれ描かれています。 #切手 #初日カバー #FDC
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アレキサンダー・フジェドルヴィッチ・モザイスキー(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーを飾る切手には、東中央アジアにあって中国とソ連に国境を接する国、モンゴルが発行したものです。その国土は南東に広がる乾いたゴビ砂漠と、山岳地帯からなる変化に富んだ地形をしています。 切手には、アレキサンダー・フジェドルヴィッチ・モザイスキーの肖像が描かれています。モザイスキーは、ロシア航空界のパイオニアとも言うべき人物で、1884年、簡単な動力を装備した有人飛行機を飛ばせることに成功しました。ライト兄弟と違う点は、モザイスキーは空中での飛行機のコントロールをしようとしなかったことでした。もう1枚の切手に描かれているのは19~30メートルほどの距離を飛んだ彼の蒸気動力による単葉機です。 帝国ロシアの海軍の士官であったモザイスキーは、ある航海の途中、空高く飛ぶアホウドリをみて、飛行への興味をもつようになったのです。その当時、航空界の先駆者たちは、下げ翼での実験をし、失敗を繰り返していたので、モザイスキーは、固定翼を用いた飛行機の開発にいどみました。 オリジナル彫刻画にみられるように、彼は飛行に関する実験に凧を用いました。1870年、人間1人を運べるだけの大きな凧を作り、車にのせて3頭の馬に全速力でひかせて、自分自身は凧のロープにしがみつき、凧といっしょに宙に浮かびあがりました。このようにして、彼自身飛行の実験にたずさわり、航空界初期の先駆者と呼ばれるようになったのです。 #切手 #初日カバー #FDC ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1249256424640630786
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アンドレイ・ビコラエヴィッチ・トポレフ(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーを飾る切手には、ソ連の航空の父ともいえるアンドレイ・ビコラエヴィッチ・トポレフと、同国のもっとも近代的な飛行機の一つで164人の乗客を運ぶことのできる中・長距離ジェット航空機、TU-154が描かれています。この切手の発行国は東中央アジアに位置するモンゴル人民共和国です。 カバーのオリジナル彫刻画は、1920年に紹介されたトポレフのANT-1の操縦席に、彼自身が座っているところが描かれています。これは合板製の低翼単葉機ですが、当時の飛行機としては驚くほど斬新なものだったのです。 トポレフは長い年月をついやして飛行の研究を続け、30機以上もの飛行機を制作しました。このANT-1はその第1号です。 彼の設計になる飛行機で、制作された当時は世界最大といわれた陸上飛行機が4種類あります。それらは、1930年の4発重爆撃機TB-3、1933年の6発重爆撃機TB-6、1934年の8機の巨大なエンジンを搭載したマキシム・ゴーリキと呼ばれるANT-20、そして第2次世界大戦後に発表されたターボプロペラつきの重爆撃機TU-95です。 1968年10月4日はTU-154が処女飛行をなしとげた時、トポレフは80才ですでに第一線の設計の仕事から引退していたと言われています。しかし、彼の息子がその後を受け継ぎ、ソ連の超音速機TU-144の設計に多大な貢献をして、名声を得たのでした。 1978年当初の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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ライト兄弟「動力飛行用エンジンの開発」-1902年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーの切手は、西インド諸島リーワード諸島の中の1島、アンティーグァが発行したものです。2セントの切手には、ライト兄弟が飛行機用に設計した当時としては大へん進歩したエンジンが描かれています。そして彼らの「ライト・フライヤーⅢ」が50セント切手に描かれています。カバーに書かれているものは兄弟がオハイオのデイトンにある仕事場でモーターを組み立てているところです。 兄弟は、ノース・カロライナのキティ・ホークの丘で滑走術を習得したのです。そして、更に動力飛行用エンジンの研究を重ね、軽量のガソリン・エンジンも使用を考えつきました。モーターの重さを67キロくらいにして、8馬力は出せれば「フライヤー」を飛ばすことができると算定しました。しかし、彼らの設計書どおりに作れる業者がいないため、自分たちの手で作るべく1902年オハイオのデイトンの仕事場で作業にとり組んだのでした。 最初のエンジンは失敗に終わりましたが。1903年5月その改良型を用いて店の中で実験し、ついに成功をみたのでした。それは、4つの水平シリンダーをとりつけたもので、じゃじめての計画よりも7キロちかく重かったにもかかわらず、期待していた倍の馬力を得ることが出来ました。また、チューン伝動装置によって2つの反転するプロペラをまわすことが出来ました。このエンジンをパイロットの横の下翼にとりつけることによって、「フライヤー」は史上初の操縦可能な飛行機となったのでした。 #切手 #初日カバー #FDC
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飛行艇「ショート・ハイザ」-1952年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
1952年4月12日、飛行艇「ショート・ハイザ」はイギリスのサザンプトンからフォークランド諸島のスタンリーまでの初めての直行飛行をなし遂げました。南アフリカ南端の東方に位置するイギリスの直轄植民地フォークランド諸島が発行した切手は、この歴史的な飛行を記念しています。33ペンスの切手には「ショート・ハイザ」の飛行ルート、11ペンスの切手にはスタンリーの港に保留されている飛行艇に貨物や乗客を岸まで運ぶためのボートが接近していく場面がそれぞれ描かれています。カバーのオリジナル彫刻画にはスタンリーの上空をゆく飛行艇が描かれています。 飛行艇「ショート・ハイザ」は、第2次世界大戦中イギリス空軍の哨戒用として大活躍した「ショート・サンダー・ランド」を改造したものです。大戦中、700機以上製造された「ショート・サンダー・ランド」は、敵機にそなえて機関銃が装備され、900キロ以上の爆弾を搭載することができました。 装備を取り除き、乗客収容設備を加えてつくられた「ショート・ハイザ」が商業飛行についたのは1946年のことでした。1,030馬力のプロストル・ペガサスXVⅢエンジンを5基備えたこの飛行機は、時速285キロで24人の乗客を運ぶことができます。フォークランド諸島にはかつて飛行艇しか近づくことができませんでしたが、1972年には仮設滑走路が建設され、陸上飛行機が週一度飛来しています。 #切手 #初日カバー #FDC
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ウィルバーライト・フランスルマン飛行-1908年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーには、地中海のギリシア近くに浮かぶ島国キプロスにより発行された切手が添付されています。同国で発行消印が押されたそれらの切手の図案はライト兄弟と彼らの歴史的飛行機「ライト・フライター」号です。 オリジナル彫刻画には、ウエルバー・ライトと初の女性飛行家ハート・バーグが1908年10月7日フランスのルマンの東約11キロの軍事基地キャンプ・ドーバーからまさに飛立たんとしている所が描かれています。 ウィルバーは、フランにおけるデモンストレーション飛行のため」に同年5月に来仏し、「ライト・フラオヤー・A型」複葉機の組み立てにかかりました。当時ヨーロッパでも飛行に成功した人々がいましたが、空中において機を思いのままに操縦するまでにはいたっていなかったため、ライト兄弟の業績は信じがたいものだったのです。 ウィルバーによる当地での飛行準備には数ヵ月を要しましたが、ついに8月8日、ユノディエルの小さなレース場で数人の見物人が見守るなかを、空中での飛行機の完ぺきなコントロールを披ろうしました。更に、キャンプ・ドーバーにおいても100回を超す飛行を行ない、その操縦の確実さを披ろうしたのでした。フランス人たちは、このA型機のすぐれた性能に舌をまき、ウィルバーは彼の飛行機の製造契約をとりつけることに成功したでした。 #切手 #初日カバー #FDC
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アタランタ/ヴィッカース・ヴィミー -1931年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
今回の初日カバーの切手は南アフリカの国ローデシアにより発行されたもので、航空機の発達に貢献した2種いイギリスの飛行機が描かれています。切手の1枚には、大西洋無着陸横断に初めて成功したヴィッカース・ヴィミーが、他の1枚にはインペリアル・エアウェイズの運行に最初に採用されたA.W.15アタランタが描かれています。カバーのオリジナル彫刻画にもシンガポール上空を飛ぶアタランタの姿がみられ、発行初日の消印もローデシアで押されたものです。 1931年から1932年にかけてアームストロング・ホイットワース社が制作したアタランタは、インペリアル・エアウェイズのナイロビ=ケープタウン路線とカラチ=シンガポール路線で運航された4発の旅客機です。この飛行機は貨物輸送機として設計されていたため、乗客はわずか9名しか収容できず、340馬力エンジン4機を装備した機体は鋼鉄を合板で覆った構造でした。 ヴィッカース・ヴィミーは第1次世界大戦中も爆撃機として設計されましたが、配備が遅かったため戦闘には参加しませんでした。しかし終戦後、歴史的な大陸横断飛行を行っただけでなく、訓練機や郵便輸送機としても目ざましい活躍をしたのでした。この飛行機に改良を加えて乗客と荷物の輸送用にしたものは、ヴィミーコマーシャル(商業用ヴィミー)として知られています。、 #切手 #初日カバー #FDC
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ライト兄弟「南フランスポーでの飛行」-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
有名なライト・フライヤー1号機の姿が、これらのグラナダ発行の切手に描かれています。グレナダはコロンブスの第3回目の新大陸への航海で1498年に発見された、絵のように美しい島です。 1903年のキティホークで行われた初飛行成功の後、兄弟はオハイオ州デイトンの自宅付近の野原で更にライト・フライヤー号の実験を続けました。そして合衆国政府へ彼らの飛行機の買い上げを申請しましたが、一笑に付され、1908年軍用機として最初の契約が結ばれるまでには5年間も待たねばなりませんでした。 この同じ1908年にウィルバー・ライトはフランスへ向かいました。そこでも初めは新聞の冷やかしの種にされるばかりでしたが、ル・マンで多くの観衆を前に数回のスリルに満ちた飛行を行い、ヨーロッパとアメリカの第1面の見出しを飾ることになりました。その夏ライト・フライヤー号はフランスの有名な航空技術者で気球飛行家のエルネスト・ザンスを最初の客として迎えました。 1909年の初めには南フランスのポーで、弟のオーヴィルも加わって飛行が行われ、多くの政治家、王族、科学者、それに報道陣がヨーロッパ各地から詰めかけました。カバーの彫刻画に描かれているのは、これらの著名な観客たちの何人かが、この飛行機と勇気のあるパイロットによって行われる離れ業を見るべく、馬車から降りる場面です。 #切手 #初日カバー #FDC
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ルイ・ブレリオ② -1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
カバーに添付されているアフリカにローデシア発行の切手には、ライト・フライヤー号とブレリオⅩⅠ単葉機が描かれています。カバーのオリジナル彫刻画に描かれているのはイギリス海峡横断飛行に初めて成功したルイ・ブレリオで、バックではドーヴァーの崖へ近づく彼の愛機がみられます。カバーの発行初日消印もローデシアで押されたものです。 このフランスの飛行家が海峡横断飛行を完了したのは1909年6月25日のことでしたが、飛行機の完成のために過去9年間を費やしたブレリオは、フランス航空界の開拓者中でも傑出した存在となっていました。1908年にはヨーロッパで最初のクロス・カントリー飛行を、トゥーリーからアルテネーまでの32キロの間で行っています。 海峡横断飛行の2日前、彼はガソリンの爆発で右足を負傷してしまいました。しかし、杖を頼りにびっこをひいて愛機に乗り込まなければならなない状態にもひるもことなく横断を敢行したのです。短いテスト飛行の後、午前4時41分にカレー近くの村から離陸し、数分後にはイギリス海峡のドーヴァーの白い崖が見えてきました。午前5時18分、ドーヴァー城付近の草原に着陸しましたが、凸凹の多い地面であったため、プロペラと着陸装置を破損してしまいました。この横断はわずか数分間たらずのものでしたが、それはイギリスにとって海によりヨーロッパ大陸から孤立していた状態に終止符を打つこととなったのです。 #切手 #初日カバー #FDC
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オーレル・ヴライク -1910年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
今回のファースト・デー・カバーに貼付されている切手は、ルーマニア社会主義共和国により発行されたものです。この国の北部および中央部を弧状によぎる山岳地域には、美しい景観に恵まれたハイキングコースやスキー場などの整備された観光地があり、東欧でもっとも人気のある行楽地となっています。特に農村の祭りと民謡は興味深いもので、その起源はかつてこの国を流浪していた無数のジプシーにさかのぼることができます。また、ルーマニア人は、彼らの祖先と言語が初期のローマ帝国に起源を発する東欧唯一の民族です。 切手に肖像に描かれているオーレル・ヴライクはルーマニアの技師、発明家、飛行士であるばかりでなく、航行学上の優れた開拓者でもありました。ドイツは彼の飛行機制作に施設の提供を申し出ましたが、ヴライクは1908年に祖国へ帰る決意を固めたのでした。そして切手とカバーの彫刻画に描かれているヴライク1号機は1910年6月17日にブガレストでその最初の飛行に成功し、4~5メートルの高度に達しました。1912年には、国際飛行大会で当時のすぐれた飛行士たちと覇を競い見事優勝しました。 #切手 #初日カバー #FDC
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The Officail Government First Day Cover Collection カナダ①
今回の政府公式ファースト・デー・カバーに貼付された切手は、カナダで発行されたもので、この国の広大な天然資源の保存と発展に重要な役割を果たす水陸両用機がテーマとなっています。17セント切手の1枚に描かれているのは。カナデアCL-215で、1967年に初めてお目みえしたこの耐久性のある水陸両用機は、散水用に設計された最初の飛行機として有名です。山火事の消火作業に大変役立つこの機のタンクには、水や延焼防止剤だけでなく、除草剤や殺虫剤も入れることができるようになっています。 もう1枚の17セント切手には1920年代に消火作業に使用されていたアメリカ製のカーティスHS-2Lを描いたものです。 35セント切手に描かれているのは、ビッカース・ベデットとコンソリデイテット・カンソーという機種です。デベットは消化パトロール用に設計されたもので、1924年に採用されて以来、数え切れないほどの救助活動を行っています。 カンソーは捜索よ救助用の飛行機で、第2次世界大戦中は、ドイツUボート(潜水艦)の捜索と撃沈に活躍しました。 ※1980年の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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北極横断飛行 -1937年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
このファースト・デー・カバーに貼付されている切手は、アジア東部の山国モンゴル人民共和国が発行したもので、初めて北極を横断してアメリカまで無着陸で飛んだソビエトの飛行家V.クカリフ、G,バイドウコフ、A.ベリアコフを称えています。オリジナル彫刻画には、彼らが1937年6月にカナダのバンクーバー経由でモスクワからワシントンに飛んだ単発式単葉機ANT-25が描かれています。 彼らは1932年にすべてこの飛行を計画していましたが。ANT-25の徹底的なテストを完了するのに5年の歳月を費やしました。この間に国内でのテストを行い、モスクワから約9,280キロの飛行に成功しました。その結果、スターリンにより危険をともなう北極横断アメリカ飛行が許可されたのでした。 指揮官と操縦士をかねたクロカフ、副操縦士のバイドウコフ、航路案内人のベリアコフを乗せたANT-25は6月18日モスクワを飛びたちました。北に進むにつれ、機体に氷の被膜がつくという最悪事態が始まったため、飛行中何度も高度を変更しなければなりませんでした。そして6月19日午前4時、北極を通過、63時間強にわたる約8,480キロの飛行のすえ翌日にバンクーバーに無地着陸したのでした。 #切手 #初日カバー #FDC
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ライト兄弟-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
今回のファースト・デー・カバーのデザインは飛行史上重要な出来事のひとつがテーマとなっています。即ち人間を乗せる初の動力飛行機の共同開発者ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトの兄弟が揃って飛行しているところです。彼らが揃って飛んだのはこの時だけで、その歴史的飛行は1909年5月25日にオハイオ州デイトンで行われました。 カシェ封筒ににみられるのは、ヨーロッパで飛行のデモンストレーションを行い、大成功を収めアメリカへ戻ってきたばかりの兄弟が、ライト・フライヤー複葉機で飛んでいるところです。切手はライト機の平面、独面、および正面を図案化して描いたもので、シンガポール共和国で発行され初日消印が押されています。 ライト兄弟は1903年12月17日にノース・カロライナ州キティ・ホーク近くのキルデヴィル・ヒルで人類初の動力付き有人飛行に成功したのです。コインを投げて決めた先行者は、オーヴィルでしたが、ほんの12秒間滞空して飛行距離はわずか40メートルでした。最初の飛行に成功した名誉はオーヴィルでしたが、ウィルバーはほとんど1分近くの滞空で約250メートルを飛ぶことに成功しました。しかしこの歴史的な偉業もはじめはほとんど一般の関心をひかず、飛行の時代の幕開けとなったこの飛行を見守っていたのは、兄弟以外には5人だけでした。 #切手 #初日カバー #FDC
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