羊文学・塩塚モエカと観る近代日本の前衛写真(前編)

羊文学・塩塚モエカと観る近代日本の前衛写真(前編)_image

文/ミューゼオスクエア編集部
写真/佐々木健人

東京都写真美術館では、8月21日(日)まで「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」が開催されています。

近代日本写真史における前衛写真は、海外から伝わってきたシュルレアリスムや抽象美術の影響を受け、1930年代から1940年代までの間に全国各地のアマチュア団体を中心に勃興した写真の潮流です。活動期間が短く、またピクトリアリズム写真やリアリズム写真といった潮流の間に位置することでこれまではあまり顧みられていませんでした。しかし、ここ数年福岡や名古屋をはじめとする各地の美術館により研究が進み、海外の展覧会でも展示される機会も増えています。

今回はオルタナティブ・ロックバンド「羊文学」ボーカル・ギターの塩塚モエカさんをお招きし、東京都写真美術館学芸員の藤村里美さんと展示を観ながら言葉を交わしました。新しい表現を模索した作家の足跡を、前衛写真を塩塚さんはどのように観たのでしょうか。

※こちらはTOPMuseum Podcast「#01ゲスト・トーク|塩塚モエカ(ミュージシャン)×藤村里美(学芸員)【アヴァンガルド勃興】(前編)」のトークを編集した記事です。

前衛写真が盛んとなるきっかけを作った海外の作家たち

藤村里美(以下藤村):モエカさん、本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございます。ちょっと前まで全国ツアーをまわっていたそうですね。

塩塚モエカ(以下塩塚):そうですね。全国6箇所7公演で、最後は東京でライブをしました。

藤村:モエカさんは東京都写真美術館にたびたびお越しいただいているそうですが、ご自分で写真は撮られますか?

塩塚:トイカメラやインスタントカメラで撮りますが、あまり自信はありません(笑)。こっそり撮影した写真を見ています。

藤村:好きな写真家はいらっしゃいますか。

塩塚:同世代の写真家たちと交流することは多いです。あとは石内都さんの『フリーダ・カーロの遺品』という映画を観たことがあって、印象に残っています。東京都写真美術館でも広島の写真を見たことがあります。

藤村:もともとアートがお好きなんですよね。学生の頃には美術史を勉強なさっていたと聞きました。

塩塚:美術館の空間が好きなんです。高校生の時に初めて現代美術を見て、絵画ではない美術の形があることを知り美術史に興味を持ちました。でも、「現代美術はやっぱり難しいな」という気持ちもありました。

藤村:その作品とはどこで出会ったのでしょうか。

塩塚:イ・ブルという韓国のアーティストで、森美術館で観ました。

藤村:「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」では1920年代から30年代、40年代前半くらいまでに焦点を当てているのですが、モエカさんは前衛写真という言葉を聞いたことはありますか?

塩塚:前衛という言葉は絵画や美術史を勉強していて知っていましたが、前衛写真は初めて聞きました。

藤村:前衛絵画や前衛文学、前衛詩と同じくらいの時期に前衛写真も出てきたんですね。シュルレアリスムや抽象絵画という考え方が海外から入ってきて、それが基になって日本で前衛写真が流行りました。今回はアマチュア写真家の人たちの戦前の活動に重きをおいて、5つのパートに分けています。最初は日本の作家が影響を受けた海外の写真家たちの展示。その後に大阪、名古屋、福岡、東京と分けて展示をしています。

塩塚:前衛写真の前は、日本ではどんな写真が主流だったのでしょうか?

藤村:直前までは新興写真といわれる潮流がありました。新興写真の前にはピクトリアリズムといわれる絵画的な写真の潮流がありました。ピクトリアリズム以前は記録や肖像画のために写真を使うことが多かったのですが、既存の絵画に似せることで自分の表現として写真を使えるかを模索したのです。しかし、絵画に近づくと逆に窮屈になってしまう部分もありました。

新興写真は人間の視覚ではなくカメラのレンズを通してしか見えてこない景色、写真ならではの表現を改めて考えました。その新興写真から発展したのが前衛写真と言われています。新興写真よりも表現として新しいものを目指すという考え方なのですが、1930年から1940年前半くらいまでの短い間の潮流なんです。モエカさんは展示を見てどんな印象を受けましたか?

塩塚:「こんなにも写真の表現って自由で色々あるんだ」「これはどうやって撮っているんだろう」と思いました。芸術家たちがいろんなことにトライしている生き生きとした感じも伝わってきました。

藤村:ありがとうございます。コラージュだったり、ソラリゼーションだったり、フォトグラムだったり、色を塗ったものがあったり、写真ならではの特殊な技法を用いた写真を数多く展示しています。一方で、加工をしていないストレートの写真も混じっています。ストレートな写真でも、普通の風景を見ているのとはまた違った見方が見えてくることもシュルレアリスムの考え方の一つなんです。「日常的なところにある美を改めて認識する」意識が前衛写真の作家の根底にあるのかなと考えています。

塩塚:詩や絵は「芸術家の脳内を通ってきたもの」という感じがするのですが、写真は「日常をどういう風に芸術家たちが見ているのか」という視点がわかるので面白いです。

藤村:それでは、まず最初に第一章を一緒に見ていきましょう。今回フランスの作家やアメリカの作家を取り上げましたが、名前を聞いたことがある作家はいますか?

塩塚:マン・レイは聞いたことあります。ハンス・ベルメールは大学の資料でしか見たことなかったんですけれど、球体関節人形を置いて写真を撮るのは不思議だなと思っていたので気になっていました。これも昔の日本の人が影響を受けた作品だったんですね。

藤村:マン・レイはいまもとても人気ですが、当時の写真家たちもマン・レイが大好きで、しばしば写真雑誌や美術の雑誌に取り上げているんです。展示の冒頭にリンゴの上にねじがのっているマン・レイの不思議な作品を置きました。「この作品を改めて捉えることが新しい表現につながるのではないか」と小石清さんという大阪の写真家の方が語っています。小石さんは当時技法書のようなものを書いていて、版を重ねていました。その本の冒頭部分にマン・レイの写真について語っているところがあったので展示の最初に持ってきました。2番目の作品はソラリゼーションという技法を使っているんですけれど、不思議な感じがしませんか?

塩塚:点描っぽい陰影の付き方に見えます。

マン・レイ 《カラー》 1930年頃 東京都写真美術館蔵

マン・レイ 《カラー》 1930年頃 東京都写真美術館蔵

藤村:ソラリゼーションは、現像のときに光を余計に与えて、過感光させることによって通常の白い部分を黒に反転させる技法です。白い部分には黒い縁取りみたいものができていますね。これをマッキーラインといいます。通常の風景が全く違うように見えるので、シュルレアリストにすごく人気があった技法でした。ソラリゼーションを表現として取り入れようと試みたのはマン・レイが最初だと言われています。ただ技法が日本にはうまく伝わらなくて、日本の写真家はみんな苦労して実験をしていたようですね。

塩塚:衝撃的だったんですね。影があることでお花の部分が前に出てくる感じがします。

藤村:2番目に展示されているウジェーヌ・アジェは、シュルレアリストという認識も写真家という認識も自分ではあまり持っていない人でした。みんなが一つの方向に向かっている「日食の間」という写真があるのですが、その作品をシュルレアリストたちが雑誌で取り上げたいといったときにアジェは「自分の写真を使ってもらうのは構わないけれども、自分の名前を出してくれるな」といったんです。彼は自分自身の作品のために撮影するよりは、画家や記録を保存する人のために撮っていたようです。

塩塚:アジェの《紳士服店、ゴブラン通り》は、景色がガラスに映っていて前景と後景が反転して見える感じとか、胴体と首がどこについているのかわからない感じとかが不思議です。

藤村:レイヤーになっているわけですよね。アジェはほとんど加工をしない人ですが、フォトモンタージュという2つのネガを現像して重ねて新たな画面を作る技法も前衛写真の人たちはよく使っています。アルベルト・レンガー=パッチュという人も加工をしていないんですけれど、パッと見て何に見えますか?

アルベルト・レンガー=パッチュ 《マミラニア コジマニヌア》 1928年頃 東京都写真美術館蔵

アルベルト・レンガー=パッチュ 《マミラニア コジマニヌア》 1928年頃 東京都写真美術館蔵

塩塚:模様みたいに見えます。

藤村:実はサボテンの針なんです。

塩塚:そうなんだ!

藤村:固い金属のように見えるんですけれど、普通に花屋さんで売っているまあるいサボテンのとげをアップにしたものです。

塩塚:普通のサボテンなんですね。

藤村:レンズを通すと、普段見えていなかった世界を改めて認識できるとレンガ―=パッチュの作品を通して感じてもらえるかなと思います。先ほど話にあがったハンス・ベルメールも人気がある方です。球体関節人形は不気味で印象的ですよね。

塩塚:かなり衝撃的です。

藤村:不思議な怪しさがあります。

関西から広がっていった日本の前衛写真

藤村:続いて第二章です。前衛写真は関西から広がっていきました。最初に「アマチュアの写真家たちが中心になって」と先ほど申し上げましたが、そのアマチュアの写真家たちが立ち上げた「浪華写真倶楽部」という大阪の写真クラブは明治時代から存在し、実はいまでも活動しているんです。

塩塚:すごい!

藤村:一時期に比べて人数は減っていますが、いまでも続いている老舗の写真クラブです。そのグループの方が中心になって前衛写真を広げていったんですね。どうもクラブの主義として、一人の指導者に教えを受けるのではなくて、それぞれ独自に新しい表現を追求することが好まれているようです。若い写真家の人が海外の写真の影響を受けて、新しい表現を模索することをクラブの重鎮も応援していたんですね。

塩塚:模索しながらやっていたんですね。ロックバンドも海外の音楽を聞いて、自分の音楽に取り入れたりと感覚で新しいものや作品を生み出しているグループが多いので、似ているところがあるかもしれません。

藤村:そうですよね。写真家の中には、独自の表現を追及していった結果写真に色を塗ってしまう人もいました。

塩塚:天野龍一さんの作品、すごいですよね。この《オートグラム 細胞》はどういう作品ですか?

天野 龍一 《オートグラム 細胞》1938年 東京都写真美術館蔵

天野 龍一 《オートグラム 細胞》1938年 東京都写真美術館蔵

藤村:おそらくスライムのような液体状のものを独自に作って撮っているんだと思います。

塩塚:人みたいにも見えるし、寒空みたいにも見えます。タイトルを見るのもおもしろいですね。私は本庄光郎さんの《夢の再生装置》という作品がすごく好きです。タイトルが不思議で、何を撮っているんだろうと考えてしまいます。白い部分は時間が逆戻りしているようにも、液体が逆噴射しているようにも見えます。光にも見えるし、稲妻にも見える。色々な見方ができる写真をこれまであまり見たことがなかったので新鮮でした。

藤村:私の予想でしかないんですけど、理科の実験に使うようなグラスを何度か撮影して、コラージュしたものだと思いますね。いまではフォトショップで簡単に加工できると思いますが、当時は切ったり貼ったり撮影したりを繰り返して作ったのではないでしょうか。

塩塚:「こういう作品を作りたい」というビジョンがあって取り掛かるのか、それとも絵画のように消したり塗りつぶしたりを繰り返していくうちにできあがるものなのか、制作の過程も気になりました。

藤村:ケースバイケースかなとは思います。エスキースのようなものを残している方、コラージュのかけらが残っている方もいます。

塩塚:そうなんですね。あとは、ハナヤ 勘兵衛さんが気になります。《ナンデェ!!》というタイトルの作品は自分で自分を撮影したんですか?

藤村:いえ、これは演劇の役者さんを撮ったものです。芦屋で写真館を営んでいた方で、この写真館はいまでもお孫さんが続けています。

塩塚:そうなんですか。下にプロフィールがあるのもおもしろいです。この方はアジア中を旅されたのですね。

藤村:そうですね。そんなにみなさん有名ではないと言ったら変ですが、それぞれの作家の人が順路で最初にでてくるときに作家の簡単なプロフィールを出しています。ただ、服部義文さんという人は、いまでも生没年がわからないんです。グループにいつ入ったかはわかっていますが、その後どんな人生を送ったのかがわかりません。あと、本名ではない可能性もあるんです。

塩塚:そうなんですね。

藤村:これは小石清さんの〈半世界〉というシリーズの作品です。太平洋戦争が始まる直前くらいに中国で撮られた作品で、ストレートで撮った写真とコラージュなどが組み合わされています。

塩塚:《肥大した戦敗記念物》という写真には反戦のメッセージが込められているのでしょうか。

小石 清 《3.肥大した戦敗記念物》〈半世界〉より 1940年 東京都写真美術館蔵

小石 清 《3.肥大した戦敗記念物》〈半世界〉より 1940年 東京都写真美術館蔵

藤村:小石さんはドキュメンタリーとしても写真を発表していますが、同時期に中国で撮った写真を自分の表現として発表するときには、反戦というか厭戦というか、戦争を嫌っているニュアンスを残しています。この時代は反戦と言いづらい時代だったと思います。特に、彼は従軍写真家として中国に行っていたのでなおさら大きな声では言えなかったのではないでしょうか。

塩塚:職業としての写真と、自分の表現としての写真が小石さんにはあったんですね。

藤村:そうですね。

塩塚:写真家の友達と悩みを話しているときのことを思い出しました。職業としてのものづくりと、そことちょっと合わない自分の気持ちとか。自分のアルバムに入れる曲を作る時とタイアップで作るときでは求められるメッセージも違うので。ものを作る人は自分の表現と暮らしていくためのものづくりの間で悩むのかな。

Series : 【書き起こし】TOPMUSEUM Podcast

公開日:2022年8月9日

Contributor Profile

File

ミューゼオ・スクエア編集部

モノが大好きなミューゼオ・スクエア編集部。革靴を300足所有する編集長を筆頭に、それぞれがモノへのこだわりを強く持っています。趣味の扉を開ける足がかりとなる初級者向けの記事から、「誰が読むの?」というようなマニアックな記事まで。好奇心をもとに、モノが持つ魅力を余すところなく伝えられるような記事を作成していきます。

Read 0%