評論家や詩人、写真家が協同して結成された名古屋の前衛写真
藤村里美(以下、藤村):モエカさんはアーティストとして作曲も作詞もなさっていると思うのですが、どんなものからインスピレーションを受けますか。
塩塚モエカ(以下、塩塚):音そのものからインスピレーションを受けることもありますし、毎日の暮らしの中で「なんでだろう」と思ったことからも。あとはこうして展示を見に来て影響を受けることもたくさんあります。
藤村:展覧会をよく見に来ていただいていると聞いているのですが、写真以外のアートから影響を受けることもありますか。
塩塚:あります。2019年から2020年にかけて「火星移住」をテーマにした展覧会がロンドンでありました。いろんな人が様々なアプローチで人が火星に移住することについて考えている様子から『人間だった』という曲、『OOPARTS』という曲の着想を得ました。
藤村:音楽やミュージシャンからだけではなくて、全く違うジャンルの写真とか、プロジェクトとかから発想を得ることもあるんですね。
塩塚:そうですね、あとは映画もよく観ます。『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を観て、『Red』という曲を書いたりしました。
藤村:それでは作品を見にいきましょう。次は名古屋の作家です。この映像には『メセム属』というタイトルの写真集が映っています。
塩塚:小さい写真集ですね。ノートみたいです。自費出版で作られたのでしょうか。
藤村:そうですね。本当はもう少し大きく作る予定だったんですけど、この写真集が作られた1940年は戦争の影響で大きいものが作れなかったみたいです。
塩塚:『メセム属』のメセムとは何ですか?
藤村:多肉植物の種類です。この写真集には、写真家だけではなくて詩人や実際に多肉植物を育てていた園芸家も参加しています。名古屋の前衛写真の特徴のひとつに、写真というメディアを通して色々なジャンルの作家が関わっていることがあります。写真家が主導して、というよりも画家や詩人がシュルレアリスムの研究をはじめたところに写真家が参加したという方が正確かもしれません。その後、独立して写真だけのグループを作っていこうということで、ナゴヤ・フォトアヴァンガルドというグループができました。だから、他の地域に比べてよりシュルレアリスムっぽい感じがあります。ちなみに、『メセム属』は少数しか作られていない貴重な写真集です。
塩塚:なかなか見られないものなんですね。この写真は多肉植物ですか?
藤村:そうです。お花屋さんで売っている多肉植物ですね。
塩塚:多肉植物を撮る行為は、アルベルト・レンガ―=パッチュのサボテンの写真の影響を受けているのでしょうか。
藤村:おそらくレンガ―=パッチュのことも意識の中にあるのではないでしょうか。サボテンを普通に眺めると「かわいいな」とか「とげとげしているな」という感想を持つ人が多いかと思いますが、ずっと見ているとエロティックにも感じられると思います。
塩塚:確かに言われてみれば曲線の感じとかがエロティックですね。
藤村:そのエロティックさをわざと出そうとしている人もいますし、もうちょっと冷静な視点で見ている人もいます。同じ植物なんだけど、それぞれの作家の撮り方・見方によって全然違ってくるんです。
塩塚:モノクロだからより質感が曖昧になっていますね。
藤村:カラーだとむしろつまらなく見えるのかもしれません。モノクロだから想像力をかき立てるのかもしれないです。
塩塚:《題不詳(水滴による構成)》という作品は砂漠みたいな背景に水があって不思議です。この写真を撮影した坂田稔さんはどういう人なのでしょうか。
藤村:坂田さんは名古屋の出身ではありましたが、就職で大阪に行き浪華写真倶楽部に入りました。その後名古屋に戻ってきて、テクニックや浪華写真倶楽部がやっていたことを名古屋で伝えました。彼はもともとシュルレアリストの考え方を勉強しながら活動していた人なんです。作品を見比べると作風が変わっていくのがわかると思います。《農民家屋に就て》という作品は他の作品と比べてストレートなものです。おそらく普通の家の土壁を表現しているものなんですが、抽象絵画にも見えてきませんか?
塩塚:そうですね。《農民家屋に就て》は横の線と波打つ藁の線から、図形みたいな要素を感じられるところが好きです。
藤村:シュルレアリスムだけではなくて、当時海外から日本に入ってきた抽象美術も写真表現として取り上げようという試みが感じられるのではないでしょうか。藁や土壁から日本の伝統的なものの美しさも感じられそうです。
塩塚:面白いです。次は山本悍右さん。
藤村:彼は写真作品をたくさん残していますが、どちらかというと詩人として活躍していた人です。最近になって写真家としての活動が再注目されているんです。日本だけではなくて海外でも注目され、アメリカのゲティ美術館などにも作品が収蔵されています。
塩塚:《題不詳(草原と布)》が気になります。空と布と草原の三層構造から「何を言いたかったんだろう」と考えてしまいます。人が布に寝転んで入っているように見えませんか?
山本 悍右 《題不詳(草原と布)》 1940年頃 東京都写真美術館蔵
藤村:確かに。自然のものと布団のようなものが同じ画面にあると不思議な感じがしますね。しかも、空は合成にも見えます。
塩塚:確かに距離感がおかしいです。「ここに布を置くぞ!」って、持っていったんですかね。
藤村:いまと違って簡単には合成はできなかったと思うので持っていったんですかね。
塩塚:そうですよね。きれいな布ですもんね。落ちていた布だったらもっと汚いですよね。撮っているところを想像するとかわいいです。
「新しい」美のありかたを探求した福岡の前衛写真
藤村:福岡のグループには写真家だけではなくて画家やデザイナーなど色々な方が参加しています。ちょっと変わったグループ名ですよね。
撮影者不詳《イルフ逃亡》1939 年 福岡市美術館蔵
塩塚:ソシエテ・イルフ。
藤村:どんな意味を持っていると思いますか?
塩塚:ウルフみたいな響きなので、オオカミとか?(キャプションを読んで)古いの逆さ読みでイルフと名乗り、シュルレアリスムや抽象芸術といった新しい......。古いを逆さまから読んでいるから新しいってことですか?駄洒落ですか(笑)。
藤村:そうですね(笑)。
塩塚:ユーモアがありますね。
藤村:ソシエテ・イルフにはいろんな立場の人がいました。例えば、高橋渡さんは弁護士だったようです。許斐儀一郎さんは日本酒の酒造メーカーの蔵元。立場や年齢が違ういろいろな人たちが集まって、新しい美術の表現を研究したり、1つのオブジェについて語りあったりしていたみたいです。
伊藤研之さんの《音階》という作品は絵画で福岡の美術館から借りてきました。なぜかというと、隣に展示してある貝の写真を撮影した久野久さんが、グループの集まりで持って行った写真に触発されて伊藤研之さんは《音階》を描いたようです。久野さんは貝殻を研究していて、1冊だけですがイルフという同人誌を出しています。その中に「一生懸命工夫して撮った貝殻の写真を伊藤さんが先に使い、二科展という有名な展覧会で入賞して伊藤さんの代表作になった」というエピソードが書かれています。「僕に断りもなく」とは言いながらも、決して責めているわけではないんです。そういう出来事から、誰かが作ったものからお互いに影響を与えあっていたということがわかります。
モエカさんは他のジャンルのグループや音楽に影響を受けたりとか、一緒に作ったりすることはありますか?
塩塚:一緒に作ることもありますし、ライブを見て「こういう音をこの空間で私も響かせてみたい」と思うこともあります。同世代の人からも昔の人からも、アイデアをもらうことはいっぱいあります。
写真を使って前衛的な表現を目指す画家たちの意気込みが感じられる東京
藤村:最後は東京のエリアです。他の地域と比べ作品点数が少なくなっています。
塩塚:確かに、他のエリアに比べると少ないですね。
藤村:今回の展覧会のためにオリジナルのプリントを探したのですが、残っていなかったんです。ご遺族の方に連絡を取り「1920年代から1940年代のプリントが残っていませんか」と伺ったのですが、空襲で焼かれてしまったそうでなかなか見つかりませんでした。そういう作品は残念ながらオリジナルではないんですけど、当時の写真集を広げることによって、「東京エリアの写真家たちの作品です」と見ていただけるようにしました。東京も他のエリアと同じように、写真家だけではなくて画家などさまざまな立場の人が参加していました。「シュルレアリスム的な表現は絵ではなく写真の方が簡単に表現できる」。そういうことに気づいた画家たちがむしろ積極的に前衛的な写真を作っていたみたいです。
塩塚:永田一脩さんが撮影された《題不詳(手)》という作品と似た作品を第一章で見た気がします。
藤村:おそらくマン・レイにインスパイアを受けて撮影されたものです。もしかしたらマン・レイのフィルムを複写したのかもしれません。真似というよりも、研究の一環としてリスペクトをして撮ったのではないかと思っています。年代的にいつ撮ったのかははっきりしていません。
塩塚:バンドでもカバーをしますもんね。自分なりに咀嚼していくというか。このチューリップを撮ったのも影響を受けたからなんですかね。
藤村:そうだと思います。ただ、素材の選び方にその人なりの視点が出てくるかなと思います。モエカさんが気になった作品はありますか?
塩塚:私は永田一脩さんの《砂の表情 其の1》が気になりました。歩いていてきれいだなって思っていたら、ちょっと傷ついているところを見つけていろいろなことを考えたのかな。
永田一脩《砂の表情 其の1》1930年代頃 東京都写真美術館蔵
藤村:永田一脩さんはコラージュとかモンタージュとか加工をした作品が多いのですが、これはストレートな写真ですね。日常で見逃しているような美しさを見出すというのも、前衛写真の特徴の一つなのかもしれません。
塩塚:全体の話になりますが、展示の構成はどういう風に決められたのでしょうか。
藤村:これまで見てきたように、前衛写真はさまざまな地域で同時代的に活動がありました。ここ数年、福岡や名古屋の美術館の方が一生懸命研究をして展示をするという動きがありました。それぞれの地域での展示だけでなく、東京という場所でフラットに見ていただくことによって同時代の熱量を感じていただきたいと思っています。
それと、1941年の太平洋戦争が始まった頃は、前衛という言葉が左翼的な表現であるとか、社会主義を強調するような言葉であるという誤解を受けて思想的な統制を受けてしまうんです。だから、前衛写真という言葉が変えさせられたり、グループの名前を変えないといけなくなったりと、自由な表現を発表する場がなくなってしまったんです。写真雑誌が統合されて報道写真だけを発表するような4雑誌しか残らなくなってしまったり、フィルムやカメラが配給制になってしまったりもしました。
戦後、もう一度自由な写真が撮れるようになった時にはリアリズム写真と言われる時代の写真家、例えば土門拳さんや木村伊兵衛さんのストレートに撮った写真が注目され、前衛写真はあまり顧みられていませんでした。まだまだ研究が進んでいなかったところもあったので、あえて注目をして展覧会をやってみようと思ったのが企画の最初の趣旨でした。
塩塚:そうなんですね。
藤村:モエカさんもライブやアルバムの構成をご自身で考えられますよね。その構成はどうやって決めているんですか?
塩塚:ライブやアルバムでは自分の作品を並べていくことになります。ライブの場所はライブハウスのように屋内だったり、フェスのように野外だったり。小さいところや大きいところ、それぞれの場所でどういう風に音を響かせたいかを考えます。
それと、ライブはお客さんが見えるところにいるのでどんなお客さんがいらっしゃるのかをイメージしながら組み立てます。アルバムだったら一枚聞き終わったときにどういう印象を受けてほしいのかを考えます。例えばどっと疲れるくらい聞きごたえがあると感じてほしいのか、旅をしたように感じてほしいのか、軽やかに何度も頭に戻って聞きたいと思ってほしいのか。それと曲ごとにテーマは違うので、アルバムを通して見たときの全体のストーリーをいつも考えながら作っています。
藤村:それはモエカさんおひとりで考えるのでしょうか。それともバンドの皆さんと話し合って決めるのでしょうか。
塩塚:どっちもあります。ライブだったら、みんなに演奏したい曲があるか聞きます。アルバムの曲順は......私は自分の考えたことをみんなに発表するのは照れちゃうタイプなので、ギリギリまで言いません。「もう締め切りです」というタイミングで「この順番にします」と言います(笑)。
藤村:私と話しているときにはすらすらと言葉がでてくるので意外でした。
塩塚:作家さんの作品とか、自分の気持ちじゃないこととかは話せますが、自分の作品は感情とか暮らしとかに結びついている部分が多いのでちょっと照れちゃいます。自分の生活を売っている、生活がパッケージされるところに不思議さを感じます。音楽ではなくて自分の生きてきた記憶とか、思い出のアルバムみたいなものを作品として人に見せているような。気持ちの部分を歌っているものが多いので......。そんな感覚で日々やっています。
藤村:早いものでエンディングのお時間になりました。「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」という展覧会は東京都写真美術館の3階で8月21日まで開催しています。
塩塚:暑い日が続くので、美術館に涼みに来ていただけたらと(笑)。
藤村:冷やしています(笑)。
塩塚:作品一つひとつにもっとたくさんのエピソードがあると思うので、またお話を聞いてみたいです。
藤村:またぜひいらしてくださいね。