素朴な発想が、全ての原点
写真左が国島・伊藤核太郎さん、右がアジャスタブルコスチューム・小高一樹さん
「社長に就任した際、『原材料が産まれる現場をもっと知っておかないと』みたいな素朴な気持ちで北海道の牧場を訪れたのが、今から思えば全ての始まりでしたね」国島株式会社(以下「国島」)の伊藤核太郎社長(同 「伊藤社長」)は取材の冒頭から嬉しそうに話し始めた。そこで出会ったのは「まあ儲からないし重労働だし……」と仰る割には笑顔で生き生きと働いている、羊飼いの皆さん。海外で見た牧場の美しさを日本で再現しようとしている人、子羊のかわいらしさや母羊の気高さに心を動かされた人、太古の昔から国や文化を超えた人類との関りに興味を惹かれた人、肉の美味しさにぞっこん惚れ込んでしまった人……きっかけは大分異なれど、誰もがとにかく羊が大好き!
一方で、後述する理由で国内の羊から採れる羊毛は現在、ほぼ廃棄処分になっている事実も知った。毛質が劣るのでは断じてない。むしろ膨らみや弾力は豊かなので、ツイード生地やセーターには最適なのに……。「生地を通じてもっと日本のウールを、そして羊の楽しみ方を広めることで、日本の羊飼いの皆さんが抱く『暖かな思い』を少しでも多くの方と共有できたら」今回のADJUSTABLE COSTUME(アジャスタブルコスチューム)とのプロジェクトに採用された生地=J.SHEPHERDSのシリーズを開発する原動力になったのは、そんな「大好きな気持ち」。とかく言われがちな救済とか危機感とかとは異なる思いだった。
ただしこのJ.SHEPHERDSシリーズの生地、デビューまでには乗り越えねばならない高い壁が幾つも立ちはだかった。今回のプロジェクトの意義をご理解いただくためには絶対に知っておきたい中身なので、まずはその詳細をお話し申し上げたい。ちょっと長くなるがお許しを。
使いたくても使えない!
写真/The J.SHEPHERDS提供
まずは原料となる国産羊毛のサプライチェーン再構築。我が国では紡績=生地となる前の「糸」を作ることは可能だがその前段階、つまり羊毛からウールの糸になるまでの一部の工程が、実は既に消失していた。例えば「化炭処理」なるもの。羊毛に付着した葉や草などの植物性のゴミを希硫酸と熱風で焼き切る工程で、20世紀の終わりには日本国内では不可能になった。廃水などの環境負荷が大きかったのもあるが国産の羊毛の流通量、いや国内の羊そのものの数が減少し、もはや不要とみなされたのだ。
昭和30年代には100万頭近くいた日本の羊は今や1万7千頭足らずで、なんとヤギより少ない。牛などに比べ肉や乳が大量かつ効率的に採取できず、羊毛も合成繊維の台頭でかつてほどの需要がなくなってしまったのが、その要因。結果、上記のような設備が消失しただけではなく、羊を取り巻く行政的なサポートも次第に貧弱化した。防疫検査や種羊の確保も羊飼い自らが手配し羊肉、そして羊毛も農協経由では販売できない……。つまり価格や品質云々ではなく、使いたくても使えない状態のため国産羊毛は廃棄せざるを得なかった訳である。
「なんかもったいないなぁ……と思いましたよ、当然。なので紡績までの上工程に関わる取引先に思いを熱心に伝えたら、言ってみるものですね、『それ面白そう!』 と数社が手を挙げてくれたんです」伊藤社長によれば、中には現在使われていない設備をこの生地のために再稼働してくれた企業も。また、国内の羊飼いとの交流も多い方の協力で、化炭処理なしで糸を紡ぐのに不可欠な「スカーティング(羊毛に付いたゴミを物理的に除去する工程)」のノウハウが彼らに伝わるとともに、取引ルールの明確化やビジョンの共有も一気に進んだ。
国産羊毛は、農産物
鎖が繋がりはじめると、課題は次第に「どのような生地を作るか?」に変化していった。先述した膨らみや弾力の豊かさを活かしたいのは当然だったが、海外産のものを用いるのとは全く異なるアプローチが必要であることを、ここで気付かされることになる。国産羊毛は、毛質に良し悪しとは異なるバラツキが大きいのだ。これは行政サポートが少なくなってしまった分、牧場の成り立ちや羊の飼われる目的が各々異なっているから。食用主体や観光目的、はたまたソーラーパネル周辺の草むしり役……。当然品種も多様で、同じ牧場の羊ですら、年により毛質が異なってしまう。
「とにかく原毛が届いてからでないと、どのような生地に向いているかがわからない(笑)。作りたい生地ごとにグレードを適切に選べるオーストラリア羊毛の素晴らしさも、 改めて理解できました」しかし伊藤社長は、欠点と受け取られがちな国産羊毛のそうした特性を、逆に利用する作戦に乗り出す。「でも年によって違う、場所によって違うって、果物やワインなどと同じですよね。だったらそれらと同様に、その年の原毛の適性に見合った生地を都度作れば良いのではと。その過程も毎年ワクワクできますし」
敢えて等級分けなどは行わず、原毛を集めたタイミング毎に、その性質に合わせた生地を織り上げる。せいぜい年間5~6トンと、現状では国産羊毛の供給量に限界があるからこそ可能な方式ではあるが、サプライチェーンをゼロから作り上げたからこそ可能になった発想の大転換と言える。J.SHEPHERDSシリーズの生地は「○○年産」、つまり織られた年によりキャラが異なる、工業製品ではなく農産物的な原点に立ち返った商品として企画されることになったのだ。
少しずつ売れれば、経年変化も直接ノウハウにできる
開発の大枠は固まった。最後に残った課題は当然、売り方になる。前述したとおり、原毛が届いてからでないと企画ができないという、従来の業界常識とは全く異にする生地であるため、例えば市場のトレンドに見合った製品づくりなどは到底、不可能。一方でもちろん、採算性だって重要だ。何せ小ロットであるため、国産羊毛は海外産のものに比べると高価にならざるを得ない……。「羊飼いの皆さんにとっては微々たる額だったのですが、それでも『これで棄てなくて済む。育てた羊の隅々まで使ってくれるのがとにかく嬉しい』との声を頂くと、俄然力が湧いてきました」
ここで伊藤社長率いる国島の企業特性が生きることになる。世界三大毛織物産地の一つ・尾州で最古のミル=生地メーカーたる同社は、その歴史的経緯から内外のアパレルブランドのみならず、個別のテーラーへの販路を早い段階から開拓していた。このルートを活かし、取引先のテーラーに生地見本(バンチブック)を置いていただき、個別の顧客の注文に応じカット販売する作戦としたのである。ご存じの通り近年は重衣料のオーダー回帰が顕著。既製服のブランドもしっかりしたポリシーを持ちフットワークに優れた小規模なところが大手より遥かに元気で、嘗てのように大きなブームに乗って商品展開する必要もないから、これは極めて適切な方針と言えよう。
「一回織ったものは即ではなく、5・6年で完売できたらと想定しています。化炭処理を施せない分、ウールが本来持つ油分をしっかり残せた生地になりましたので、製造直後と数年後の経年変化をこの目で確かめる必要もありますから」実は以前、国内最大手級の生地メーカーが国産羊毛を用いた同様のプロジェクトを試みたものの、その化炭処理を海外で行う際の検疫に引っ掛かったのが原因で頓挫した失敗事例があった。国島はそれを「人の繋がり」と発想の転換で克服し、遂に2020年の秋冬、J.SHEPHERDSシリーズの生地を市場にデビューさせることになる。
目に留まるべき人に、早くも目に留まった!
こうして登場した国島のJ.SHEPHERDSシリーズ。第一弾はやはり、国産原毛の特徴と同社の織機の特性を活かしたツイード系の生地となった。重量は1メートルあたり、なんと650g!今日のハリスツイードが500g弱なのを考えれば相当なヘビー級で、もはやコート地でもこのウェイトはなかなかお目に掛かれない。「弊社は打ち込みのしっかり入った高密度な織物が得意なんです」実際、服に仕立てると張り感がしっかり表現できてシルエットが綺麗にまとまると、既に買っていただいたテーラー、特に総手縫いがまだ可能なアトリエからの評価が高いそうだ。
実は筆者(飯野)もこの生地が登場して早々に、某所で手に触れた経験を有する。「わっ、ギッシギシでゴワッゴワ(笑)」いかにも堅牢で経年変化が期待できそうな質感に感動したものの、一方で変な心配もしてしまった。この質感を理解して仕立ててくれるテーラーやユーザーが、まだいて欲しいものだなぁと。そしてこうも思った「日本の既製服だとアジャコス(代表の小高氏を含め、ADJUSTABLE COSTUMEのファンが好んで用いる同ブランドの略称)さんくらいしか、理解してくれなさそうだよなぁ……」
なんと予感は的中。ほぼ同じタイミングにその小高氏も、この生地の存在を知ることになる。「伊藤社長とは以前から面識があったのですが、とある方を通じ『こんな凄いのがある』とご紹介頂いたんです。実物を見て触った瞬間、もう脳髄稲妻走りまくりでしたよ!」ちょうど2022/23年の秋冬の商品企画を構想し始めたタイミングだったそうだ。「単にぎっしり目の積んだ生地というだけでなく、登場した背景にもロマンがぎっしり詰まっているじゃないですか。この生地でお客様の心に響く目玉商品が絶対に作れる、そう確信したのです」そしてここが実に小高氏らしいところなのだが、伊藤社長にこのJ.SHEPHERDS生地の「アジャコス別注」を相談することになる!
幻のあの生地以上を、見事に再現
これまでも英国のミル(生地メーカー)に、もはや製造不可能とさえ言われる650g級のハリスツイードを織らせたり1000g超えのキーパーズツイードの色別注を掛けたりなど、重くて硬いオリジナル生地への探求が並外れている小高氏。J.SHEPHERDS生地にもやはり、ピンとくるものがあったのだ。「数年前、インポート生地の輸入商の方と一緒にシェトランド諸島を訪問したことがあります。現地の郷土博物館のような場所に、今から百数十年前に作られた現地のツイード生地の見本ブックがあって、それを1つずつ、全ての生地を丸2日掛けて写真に記録したのです。魂がワクワク震えたあの生地を遂に再現できるかも? との思いでした」
伊藤社長からは大歓迎との返事がすぐに来た。この生地の意味を理解しての真摯な別注依頼なのだから当然だろう。昨今多く目にする、発想の薄くて浅いコストカットのみを目的としたコラボ別注とは次元が全く異なる。そして一番のお気に入りだった写真を国島に託した結果が、今回のプロジェクトの生地となった。シナモンブラウンとベージュ系の、細かなヘリンボーン系……。予想を遥かに上回る秀逸なテキスタイルデザインに設計してくれたのが、まずは感動だったと小高氏。生産工程上、使える糸の色味や糸の組み方こそごく僅かな制約があったものの、逆にそれが再現度の高さに繋がったらしい。
「この生地、ベージュ系の糸、実は経糸に2色使っているんですよ。無染色とナチュラルベージュ。判ります?」伊藤社長がちょっと意地悪く尋ねてきた。正直パッと見はそうだと判らないものの、これが生地の自然な立体感や、見る角度で細かな柄・大きな綾目の双方に目が行ける楽しみに開花したのだ。ズバリ、近くで見ても遠目で見てもカッコ良く、あのガッシガシの厚みと重さも当然味わえる。入っている「空気の層」まで存分に感じられる生地なんて、今や滅多にお目に掛かれまい。
互いに直球で真剣勝負するからこそ可能な共鳴
そして小高氏は、別注が決まった瞬間に何を作るかまで一気に想像できたとのこと。今回のプロジェクトであるノーフォークジャケットこそが、正に真っ先に浮かんだ商品である。今日の全てのスポーツジャケットの原点であるそれは、ディテールが凝りまくっている分縫い上げるのが大変な服の典型。昨今では既製服どころかイージーオーダーの縫製工場ですら製作不可能なところが殆どだ。しかも重い以上に目の詰まったこの生地では、特に縫い合わせのエリアでは糸飛び・針折れが続出だろう。
「確かに仕立てるのは、アジャコス史上最も激エグ確実な生地です(笑)。それでも、」小高氏は言葉を続けた「この生地は日本の羊飼いの皆さん、糸を染め紡ぐ方、そして生地を織る国島さんが、それぞれの立場で最大限の努力をして生んでいただいたものです。それをしっかり受け止めることができれば、多少の障害があっても自ずと最強の服、そしてお客様が『小高、今度はこう来たか!』と喜んで買っていただける服が完成できますよ!」
ADJUSTABLE COSTUMEの顧客は、嗜好こそ多岐に渡るものの、そんな小高氏の真剣勝負を理解し楽しんだ上で、彼の作品を「着たいように着こなしている」方が多く、ある意味装いの最先端の発想の持ち主ばかりだ。今回はそれにJ.SHEPHERDSシリーズの「作りたいから作る」姿勢が共鳴し、見事なまでに繋がった。羊を源とする製品の奥深さを味わえるとともに、今後のものづくり全般の方向性を示せる重要な機会にもなるこのプロジェクト。実際のノーフォークジャケットの解説は……、まだまだ長くなること確実なので、次回の記事まで待て!
ーおわりー
ADJUSTABLE COSTUME
アーリーアメリカンの世界観を現代に落とし込んだファッションブランド「ADJUSTABLE COSTUME(アジャスタブルコスチューム)」。企画、デザイン、生産、工場とのやり取り、営業、納品まで、全てオーナー兼デザイナーの小高一樹さん一人で行っている。
製品は、1920〜1940年代(物によっては1800年代)の古着を、今のスタイルとサイジングに修正し、“小高一樹”というフィルターを通してリプロダクトしている。日本、海外、どこのブランドでも見たことのないアイテムばかりだ。
デザイン、生地、ディテール、彼が手掛けるその全てがクラシックファッション好きに刺さり、20代の若者から目が肥えたファッション通、さらには海外のヴィンテージマニアたちをたちまち虜にしている。
年2回の展示会で受注販売。また、「MUSHMANS(マッシュマンズ/埼玉県越谷市)」「BRYWB(ブライウブ/東京都世田谷区尾山台)」など、10店舗で取り扱っている。海外でもアジアを中心に12店舗ほどで、ドイツ、スイス、ロシア、スウェーデンなど北欧に広がっている。
KUNISHIMA
創業1850年、尾州で最も古い歴史を持つ毛織物メーカー「国島(KUNISHIMA)」。
KUNISHIMAの前身である国島商店は、尾州の中心地(現在の一宮市)で織屋業をはじめ、問屋業、金融業など多角営業を図っていた。1924年には製織部門を分社化し、中外毛織株式会社を設立。問屋機能にメーカー機能も加わり、これが現在のKUNISHIMAの源流となっている。
1965年には、イタリアの企業と技術提携・姉妹会社提携をスタートさせ、海外展開にも取り組んできた。
2020年には、社名をKUNISHIMAに変更し、「生地で世界をやさしくしたい」を新たなスローガンに掲げる。従来の生地メーカーという役割にとどまらず、生地と装いを通して人々がつながり気持ちが通じ合う、そんなやさしい世界を生み出している。
紳士服を嗜む 身体と心に合う一着を選ぶ
服飾ジャーナリスト・飯野高広氏の著書、第二弾。飯野氏が6年もの歳月をかけて完成させたという本作は、スーツスタイルをはじめとしたフォーマルな装いについて、基本編から応用編に至るまで飯野氏の膨大な知識がギュギュギュっと凝縮された読み応えのある一冊。まずは自分の体(骨格)を知るところに始まり、スーツを更生するパーツ名称、素材、出来上がるまでの製法、スーツの歴史やお手入れの方法まで。文化的な内容から実用的な内容まで幅広く網羅しながらも、どのページも飯野氏による深い知識と見解が感じられる濃度の濃い仕上がり。紳士の装いを極めたいならば是非持っておきたい一冊だ。