(C914-915)近代美術シリーズ 第13集 初日カバーコレクション

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発行日 1982.8.5

 「あやめの衣」は洋画壇の育成に大きな足跡を残した岡田三郎助(1869~1939)の作品で、昭和2年(1937)の第12回本郷絵画展に出品され高い評価を受けた。彼の作品からは、「夫人像」が昭和45年の切手趣味週間の切手の題材に取りあげられた。

 「普陀落山観世音菩薩像」(ふだらくさん・かんぜおんぼさつぞう)は文人画家の富岡鉄斎(1837~1924)の作品である。彼は神道家から画業の道に入り、白衣の観音像をよく描いた。

※1982年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①あやめの衣
  ②普陀落山観世音菩薩像
原画構成者  
  ①②菊池 吉晃
版式・刷印 
  ①グラビア6色
  ②グラビア4色
印面寸法  
  ①よこ27×たて48ミリのたて型
  ②よこ30×たて48ミリのたて型
シート   
  ①②よこ5×たて4=20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代美術シリーズ

■岡田三郎助肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/208

■昭和45年切手趣味週間
https://muuseo.com/stamp_collection/items/165

■富岡鉄斎肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/220

岡田三郎助 ≪あやめの衣≫(1927年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
岡田三郎助  明治2年(1869)1月12日、旧鍋島藩士石尾孝基の4男とすて佐賀に生まれる。明治4年父に伴われて上京、20年岡田正三養嗣子となって岡田姓を名乗る。はじめ曽山幸彦について油絵を勉強したが、明治26年黒田清輝、久米佳一郎の画塾天真道場に入り、印象派風の明るい色彩による表現を学んだ。明治29年黒田、久米、藤島武二らと洋画団体白馬会を創立、また30年フランスに留学してラファエル・コランに師事し、本格的な油絵技術を習得、35年帰国後東京美術学校教授に任ぜられた。主として明治38年までは、白馬会、40年以降は文展、帝展などの官展と光風会を中心に活躍し、「大隅伯夫人像」、「萩」、「ヨネ桃の林」、「志那絹の前」、「夫人半身像」などの優れた作品を発表した、卓越した油彩画の表現技術と洗練された感覚に裏付けられたそれらの作品は、典雅な装飾感に溢れた日本的美を追求したものとして高く評価されている。近代日本洋画壇の重鎮として常に主流を歩き、帝室技芸員、帝国美術院会員に任ぜられるとともに、昭和12年新しく制定された文化勲章の最初の受賞者にも選ばれた。昭和14年(1939)9月23日、70歳で歿した。 #近代美術シリーズ #切手 #初日カバー #FDC ■「夫人像」 https://muuseo.com/stamp_collection/items/165
https://muuseo.com/stamp_collection/items/208
(C555)1970年 切手趣味週間 岡田三郎助画「夫人像」初日カバーコレクション
昭和45年4月20日発行 図柄は、岡田三郎助画「夫人像」です。  岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、1869年1月22日(明治2年1月12日) - 1939年(昭和14年)9月23日)は佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家である。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。夫人像のモデルとなったのは、三越呉服店理事、高橋義雄の妻千代子。当時ファッションリーダーと言われる存在でした。百貨店としての発展を目指していた三越は、西洋の礼服にあたる女性の着物を売り出そうとしていました。千代子が身にまとっている華麗な刺繍や絞りがほどこされた着物は、三越呉服店が元禄模様」と名づけて、大いに流行したデザインです。 #切手 #初日カバー #FDC #切手趣味週間 ■岡田三郎助 肖像画カバー https://muuseo.com/stamp_collection/items/208
https://muuseo.com/stamp_collection/items/165
富岡鉄斎 ≪普陀落山観世音菩薩像≫(1924年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
富岡鉄斎  天保7年(1836)12月19日、法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として京都に生まれる。幼い時から国学、漢字、詩文、南画、大和絵などを学ぶ。幕末の混乱期には儒士とし勤王運動に関係、また明治9年大和石上神社および和泉大鳥神社に神官ろして奉仕し、両社の復興に力をつくした。しかい明治14年神官生活をやめて京都に隠栖し、以後40年にわたり、儒教、仏教、神道をさらに深く学び、読書三昧の生活をおくりながら、その余暇に絵を描いた。おおやけの展覧会にはまったく出品しなかったが、明治29年日本南画協会の成立に加わり、30年第1回展から37年第14回展まで、同会に「武陵桃源図」(明治32年)、「十六羅漢図」(明治34年)などを発表、また後素如雲社展にも「蓬菜山図」(明治36年)、「福禄寿図」(明治38年)などを出品している。生涯を通じて画壇との交渉はほとんどなく、また主要作品が展覧会で発表されることもなかったが、その名声はしだに高まり、大正6年帝室技芸員、8年帝国美術院会員に任命された。大正13年(1924)12月31日、89歳で歿した。 #近代美術シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/220

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