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- 71F 決定版 年賀切手コレクション
- 昭和26年(1951)年賀切手「うさぎと少女」カシェカードコレクション
昭和26年(1951)年賀切手「うさぎと少女」カシェカードコレクション
NHKラジオで第1回紅白歌合戦が放送された。年末ではなく、1月3日の正月番組としてである。マッカーサー元帥が罷免されたこの年、日本は独立へと着実に歩を進めていた。
まず5月にIOC(国際オリンピック委員会)が日本の復帰を承認したのにつづき、6月にはわが国はILO(国際労働機構)とユネスコに加盟した。そして9月、サンフランシスコ講和会議において対日平和条約、日米安全保障条約が調印された。
まだ政治・経済の面で国際的な活躍からはほど遠かったものの、文化的な面で少しずつ国際舞台における日本人の活躍が期待されるようになってきた。この年、アメリカで開催されたボストン・マラソンで、田中茂樹が優勝したからである。広島生まれの彼は、原爆ボーイと呼ばれた。また、ベネチア映画祭で「羅生門」がグランプリを獲得。監督の黒澤明の名前は一躍世界に知られるようになった。
戦後初の民間航空会社である日本航空が誕生したのもこの年であった。スチュワーデスはエアガールと呼ばれていた。だが、庶民の足であった町のバスは、ガソリン不足のため木炭からガスを発生させて燃料にする木炭車が、戦前からひきつづいて使われていた時代でもあった。
「少年期」(波多野勤子)と「山びこ学校」(無着成恭)が話題になった。「老兵は死なず」(マッカーサー元帥が日本を離れるにあたって述べた言葉)、「アジャパー」(喜劇役者の伴順三郎が舞台で愛用したギャグ)、「斜陽族」、「ノーコメント」などが流行語となった。
この年のために発行された新切手は「うさぎと少女」である。卯(ウサギ)年にちなんで創作された図柄であるが、着物を着た少女がうさぎを抱いている。リボンを付けた」おかっぱ頭が、時代を感じさせて愛らしい。
カシェカード挿絵=藤井厚志
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