近代デザインのキーワード:唯美主義

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文/藤田芽生

ココ・シャネルが1926年に発表したリトルブラックドレスが女性の立ち姿を変えたように、デザインが社会に影響を与えることもあればその逆もしかり。1940年代〜1960年代のアメリカでは、軍事技術として発展した積層合板やプラスチック、金属などを用いた家具が生みだされました。

デザインに関するキーワードを政治や素材開発の進歩といった出来事と並べてみると、なぜそのデザインが生まれたのかを知る手がかりとなります。

この連載ではアーツ・アンド・クラフツ運動からポストモダンまでの近代デザインにまつわるキーワードを、当時の社会の状況と合わせてまとめます。

第2回のキーワードは「唯美主義」。ただただ美しさを追求するべきものである。そんな提言を掲げるエスシート(唯美主義者)たちの限りなく芸術家らしい美に対する情熱に、きっとあなたも憧れるはず。

唯美主義とは何か

MuuseoSquareイメージ

「芸術のための芸術(l'art pour l'art)」。これはエスシートと呼ばれる唯美主義者たちのスローガンだ。美を最高の価値として、ひたすらその世界に心を傾け陶酔する。道徳や教訓を伝えたり、社会や政治に訴えるのではなく、ただ単純に美しい存在であり、その美しさ自体に価値を置く、それこそが芸術だ!というのが唯美主義者たちの掲げる芸術論だった。

唯美主義運動はイギリスを中心に19世紀後期のヨーロッパに巻き起こる。ロイヤルアカデミーなど旧来の芸術機関が掲げる“美についての模範回答”的指針や、芸術に付いて回る必要不可欠なストーリー性など、一般の社会通念とは対照的な「視覚」だったり「触覚」だったりに重きを置いた唯美主義的思想は、アーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーボーにより世界中に広められることとなる。今となっては理解しがたいことだけれども、当時芸術には「美の規範」があった。この「美の規範」を大きく無視して自分の芸術的なパッションにただただ純粋に従う。これが唯美主義なのだ。

絶対的だった“美の定義”が崩壊した時代

「大量生産」と「消費社会」という新たな価値観の到来から“実用的なだけ”の粗悪品が街中に溢れかえった19世紀後半のイギリス。産業革命による美的水準の低下は、1851年の第1回ロンドン万国博覧会で決定的に印象付けられることとなる。

イギリス産業を見せしめるために用意された特別な場所で披露されたのは“醜悪な自国製品”だったのだから。これによりイギリスのアートシーンは「イギリスにおけるデザイン教育の改革は必要不可欠!」という結論と、当時のフランスと比較した文化的危機感を抱えることとなってしまった。

一方で、この時代に誕生したのが鉄道や蒸気機関車などのインフラだ。これにより多様な文化や価値観が世界中を行き来する。科学技術と産業革命を経て資本主義が発展する反面、これまで絶対的だった宗教の衰退が始まり、キリスト教的な権威が弱体化した(そう、神が死んだ!とニーチェが言った時代なのだから)。

こうして世の中の“世俗化”に一気に拍車がかかっていく。それまで“キリスト教”的だったり“ギリシア神話”的だったりする古典的且つ伝統的な美的概念が、世界がぎゅっと縮まったことで多様な価値観が生まれ覆されてしまった。

以上の理由により、イギリスにおける芸術シーンは変革期を迎えていた。個人主義を唱え美しさを追求する唯美主義思想はこの時代の波に乗り、慣習から逸脱した「芸術のための芸術」を自由気ままに生み出していった。

唯美主義のもと生まれた価値観

Regina Cordium—Rossetti's 1860 marriage portrait of Siddall

Regina Cordium—Rossetti's 1860 marriage portrait of Siddall

1860年代は「芸術のための芸術」という思想に基づき様々なアーティストが結びついた時代だった。例えばロマン派的ボヘミアン、ラファエル前半二世代、フランス近代絵画の理念を学んだ異端児たちや古典を主題として絵画を描いたオリンピアの画家たちなどが挙げられる。

彼らはそれまでの“美的概念”から外れた個性的でアイコニックなモデルたちをミューズとして取り上げた。例えばロセッティの赤毛のミューズ、エリザベス・シダルや、レイトンのエキゾチックな黒髪モデル、ナンナ・リジが有名だろう。彼女たちはそれまで好まれていた上品で清楚なモデルとはかけ離れているにも関わらず、多くの人々を魅了した。唯美主義は規範に囚われない個人主義的芸術だ。それまで良しとされていた規範なんて関係ない。美しいものは美しい!そうして生まれた全く新しい女性美は、多様性のある新たな時代に歓迎されて受け入れられることとなる。

この時流に乗り誕生したのが唯美主義運動における主要な芸術家の作品を展示するグローブナー・ギャラリーだ。面白みのない作品がずらりと並んでいた当時のロイヤル・アカデミーに比べ、作品はもちろん展示方に至るまで随所までこだわりが詰まったグローブナー・ギャラリーは、それはもちろん社会的センセーショナルを巻き起こした。しかし芸術は絵画だけではない。生活そのものに美が必要不可欠と考える彼らは新たな概念「ハウスビューティフル」によって、室内装飾や建築物の変革をもたらしていく。

これらの価値観に人々はすぐに順応した。産業革命、グローバリゼーション、大衆への文化移行など、密接にからまり合った社会の動きが唯美主義という“思想”をメインストリームまで押し上げていった。

アーツ・アンド・クラフツ運動との違い

さて、ややこしいのがアーツアンドクラフツ運動との違いだ。というのも、アーツ・アンド・クラフツ運動と唯美主義は重なる部分が多数存在する…ということで、簡単に違いをさらっておく。

一言で言うならば、芸術のための芸術が唯美主義、社会のための芸術がアーツアンドクラフツだ。

社会変革をも視野に入れた、芸術を通した身近な生活改善がアーツ・アンド・クラフツ運動。これは生活者に寄り添うもので、すべての人の人生を豊かにするためには芸術が必要だと考え促進する考え方。

一方唯美主義は、イズム(主義)でもなければムーブメント(運動)でもない(唯美主義というにも関わらずだが)と当時のジャーナリストであるウォルターハミルトンは言っている。唯美主義運動とは、様々な人々が立ち代り入れ替わり共有した理想や熱意のことなのだ。つまり、目的が“社会改善”なのか、“美の追求”なのかの違いだ。

当時を代表する作家、取り組み

作家 オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)

Oscar Wilde, photographic print on card mount: albumen.

Oscar Wilde, photographic print on card mount: albumen.

唯美主義を代表する作家、オスカー・ワイルド。当時文学界で主流だった自然主義に矛盾を感じ唯美主義的へと傾倒していく。1891年に『ドリアン・グレイの肖像』を発表し一世を風靡。世紀末文学の寵児として注目される一方、退廃的で不道徳な内容に攻撃されもした。

同性愛者であった彼は、当時罪だった同性愛で告発を受け有罪になり投獄されている。出獄後はパリへ移ったが、1900年に貧困の中亡くなった。周りからなんと言われようが自分の美学を貫く生き方を選んだワイルドは、唯美主義を代表する人物と言って間違いない。また、後世の文学に大きな影響をもたらした。代表作は、告白録『深淵より』や、『サロメ』などが挙げられる。

作家 フレデリック・レイトン(Frederic Leighton)

Frederic Leighton, 1st Baron Leighton

Frederic Leighton, 1st Baron Leighton

「芸術のための芸術を」という唯美主義思想を作品はもちろん生き方でも体現したフレデリック・レイトン。全作品を通して共通するのは圧倒的なまでの美。彼の作品はビクトリア女王が絶賛し、画家にして最初で最後のLord(男爵の称号)が与えられたことでも有名だ。

数ある代表作のうちの1つ『パヴォニア』は孔雀の羽で誂えた奥義を持つエキゾチックな女性が描かれる。黒くはっきりした眉と瞳は当時の伝統的な美人とはかけ離れているものの、その力強い眼光で鑑賞者の心をぐっとつかんだことは容易に想像できる。ちなみに「パヴォニア」とはラテン語で美の象徴である“孔雀”を意味している。

ビューティフルブック

Baby's Own Aesop by Walter Crane, London, 1887

Baby's Own Aesop by Walter Crane, London, 1887

19世紀末当時、本の装丁はあまりにもひどいものが多かった。産業革命による大量生産の波がこういった側面にまで影響を及ぼしていたのだ。素材の品質はもちろん、デザインや挿絵に至るまで粗悪なものが出回るのを見かねた人々によって「ビューティフルブック」を作ろうという動きが出てくる。ウォルター・クレインやウィリアム・モリス、チャールズ・リケッツらによってこの時代に美しい書物が登場した。

建築 レイトンハウス(Leighton House)

Leighton House Museum

Leighton House Museum

ゼウスと呼ばれた芸術家フレデリック・レイトンが友人のジョージ・エイチソンに作らせた邸宅がレイトンハウスだ。約30年にも渡り作り上げた邸宅は一流のもののみを選び抜き、こだわり抜いて作られており、細部に至るまでが“まさに完璧”だ。「美しいものに囲まれたい」という実に唯美主義的思想から世界中から集めたアートコレクションや彫刻作品で囲まれた館内はまさに圧巻。当時の文化人がこぞって集まったこの社交場は、見た目の美しさはもちろんのこと、文化的価値において存在そのものが芸術作品だった。

しかし、1点ミステリアスな部分がある。それは簡素な作りの寝室だ。この館唯一のプライベート空間といえば寝室に他ならないのだが、その空間はこの館に似合わない簡素なものだ。美しいものに囲まれる人生でなければ意味がないと豪語した彼は人々から「ゼウス」と呼ばれた。芸術の鎧のようなこの豪華絢爛な館は、社交界で彼を“ゼウス”と呼ばせるに至ったけれど、簡素な作りの寝室を覗き込めば、1人の人間としての本来の彼の姿が浮かび上がってくる(かもしれない)。

レイトンハウスの見所はジョージ・エイチソンによるアラブホール。12世紀のシチリア王宮「ラ・ジーマ」にインスピレーションを得た室内は、唯美主義を象徴とする青い孔雀の羽モチーフのタイルが連なっている。

ーおわりー

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公開日:2020年9月11日

更新日:2021年10月20日

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藤田芽生

エディター・ライター。現在はベルリンにてフリーランスで活動中。ファッション、ストリートカルチャー、音楽、アートあたりが得意分野。中世ヨーロッパの歴史オタク。虎が好き。

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