(C944-945)近代洋風建築シリーズ 第8集 初日カバーコレクション

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発行日 1983.6.23

 豊平館は、明治13年(1880)札幌市に北海道の開拓使が洋風ホテルとして建造した。建築形態は、米国風様式を基調としているが、日、米、欧の建築要素が混在する。

 旧グラバー住宅は、文永3年(1863)に建てられた。イギルス人トーマス・ブレーク・グラバーの邸宅で、我が国最古の洋風木造住宅である。また、「蝶々夫人」ゆかりの地ともいわれる。

※1983年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①豊平館
  ②旧グラバー邸
原画構成者  
  ①②近岡 善次郎
版式・刷印 
  ①②グラビア4色 凹版1色
印面寸法  
  ①②よこ35.5×たて25ミリのよこ型
シート   
  ①②よこ5×たて4=20面構成
発行数   
  ①②3,000万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代洋風建築シリーズ

■近岡善次郎氏による創画カバーと詳しい建築物の説明

①豊平館
https://muuseo.com/stamp_collection/items/401

②旧グラバー邸
https://muuseo.com/stamp_collection/items/426

豊平館「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1983年6月23日発行  木造2階建て白ペンキ塗り。時計台とともに札幌の街を象徴するかのような建物である。  明治2年に設けられた北海道の開拓使が建てた接待所で洋式のホテルであった。明治13年(1880)に竣工したが、翌年8月、明治天皇の北海道行幸の行在所として正式に会館した。豊平館の名は三条実美の命名という。もと北一条西一丁目にあったが、昭和33年現在地の中島公園の緑の中に移され、市民の結婚式場などとして広く使われている。若者たちの社会に門出する場として、まことにふさわしい気品ある建物で、ロマンの香りも高い。  設計は開拓使工業局営繕課。江戸の大工出身の御用掛・安達喜幸をチーフとする日本人技術者たちが担当したと考えられる。開拓使は有名なクラーク先生をはじめ、アメリカ人の学者や技術者をたくさん招いたので、北海道の建設は、アメリカの木造建築の様式・手法が色濃く残っている。  この建物もその代表例だが、しかしそうした環境の中で、新しい洋風の技術を学びながらも、しっとりと落着いた日本建築の伝統を失わなかった法人建築技術者の心意気をよく伝えている。コリント式のオーダーの柱に支持された半円形の車寄せバルコニーの軒には円弧状の破風がつき、印象深い外観を構成しているが、そこはかとなく和風の香りがただよう。美しく翻訳された洋風建築とも言えよう。  内部は1階中央にロビーと右側に客室4、左側に食堂2室があり。2階は右客室、左に舞踊室があった。舞踊室には大きく豪華なシャンデリアが2基下がっている。全体の骨組みにはアメリカの木造建築の手法がよく取り入れられている・ (重要文化財、札幌市) ※1983当初の説明です #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/401
旧グラバー邸「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1983年6月23日発行  日本最古の洋風住宅で、木造平屋建て。文久3年(1863)に竣工したが、当初は今日よりはるかに規模が小さく、港を眺める応接所として建てられたものではないかと考えられる。今日の形になったのは明治10~20年のころであろう。  プッチーニの歌劇「マダム・バタフライ」は、この邸宅で構想されたかと錯覚するほど、ここからの晴れた南国の港長崎の見晴らしはすばらしい。この辺り一帯は今は「グラバー園」となり多くの洋風建築が移されているが。やはり目玉はこれである。  安政5年(1858)の五ヵ国条約にもとづいて翌6年に長崎にも居留地が設けられるようになった。直ちに上海から乗り込んできたイギリス人のトーマス・グラバー(Thomas Blake Glover,1838~1911)が南山手3番地を借地してこの住宅を建てた。工事はすぐ隣りの大浦天守堂を施工した天草の小山秀之助が請け負ったものと思われる。西洋人が東南アジアの植民地に建てたハンガロー型式をとってはいるが、様式も技法も稚拙で、いたるところに日本的な技法が見られるものも、未だよく西洋建築を知らなかった日本人の手になったからである。しかしまたそれだけに開国の昔を語る貴重な建物でもある。  グラバーは薩摩藩や長州藩に武器や艦船を売り込んだ冒険商人。伊藤博文・井上肇・山尾庸三・五代友厚ら明治維新の指導者で、彼の世話になった者は少なくない。グラバーの婦人ツルは日本女性だが、もちろんお蝶婦人とは関係ない。この住宅は戦前グラバーの息子倉場富三郎から三菱長崎乗船所へ譲られ、昭和32年に同造船所から長崎市へ寄付された。 (重要文化財、長崎市南山手町) ※1983当初の説明です #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/426

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