豊平館「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1983年6月23日発行

 木造2階建て白ペンキ塗り。時計台とともに札幌の街を象徴するかのような建物である。
 明治2年に設けられた北海道の開拓使が建てた接待所で洋式のホテルであった。明治13年(1880)に竣工したが、翌年8月、明治天皇の北海道行幸の行在所として正式に会館した。豊平館の名は三条実美の命名という。もと北一条西一丁目にあったが、昭和33年現在地の中島公園の緑の中に移され、市民の結婚式場などとして広く使われている。若者たちの社会に門出する場として、まことにふさわしい気品ある建物で、ロマンの香りも高い。
 設計は開拓使工業局営繕課。江戸の大工出身の御用掛・安達喜幸をチーフとする日本人技術者たちが担当したと考えられる。開拓使は有名なクラーク先生をはじめ、アメリカ人の学者や技術者をたくさん招いたので、北海道の建設は、アメリカの木造建築の様式・手法が色濃く残っている。

 この建物もその代表例だが、しかしそうした環境の中で、新しい洋風の技術を学びながらも、しっとりと落着いた日本建築の伝統を失わなかった法人建築技術者の心意気をよく伝えている。コリント式のオーダーの柱に支持された半円形の車寄せバルコニーの軒には円弧状の破風がつき、印象深い外観を構成しているが、そこはかとなく和風の香りがただよう。美しく翻訳された洋風建築とも言えよう。

 内部は1階中央にロビーと右側に客室4、左側に食堂2室があり。2階は右客室、左に舞踊室があった。舞踊室には大きく豪華なシャンデリアが2基下がっている。全体の骨組みにはアメリカの木造建築の手法がよく取り入れられている・

(重要文化財、札幌市)

※1983当初の説明です

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