(C906-907)近代洋風建築シリーズ 第4集 初日カバーコレクション

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発行日 1982.3.10

 旧日本銀行京都支店は、明治39年(1906)に建てられ、塔屋をつけなど外観には独特な意匠が見られる、明治時代の代表的な洋風レンガ造建物で、現在平安博物館となっている。

 旧済生館本館は、明治12年(1879)山形市に、県令三島通庸の命により、原田祐之を棟梁として、建立病院として建てられた。洋風と和風を混合させた擬洋風建築の代表的な建物である。

※1982年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①旧日本銀行京都支店
  ②旧済生館
原画構成者  
  ①②北岡 善次郎
版式・刷印 
  ①②グラビア4色 凹版1色
印面寸法  
  ①よこ35.5×たて25ミリのよこ型
  ②よこ25×たて35.5ミリのたて型
シート   
  ①よこ4×たて5=20面構成
  ②よこ5×たて4=20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代洋風建築シリーズ

■北岡善次郎氏による創画カバーと詳しい建築物の説明

①旧日本銀行京都支店
https://muuseo.com/stamp_collection/items/267

②旧済生館
https://muuseo.com/stamp_collection/items/256

旧日本銀行京都支店「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1982年3月10日発行  赤煉瓦2階建て、一地階付きのスレート葺きの建物で、辰野金吾および長野宇平治の設計で明治39年(1906)に竣工した。戦後、昭和42年に財団法人・古代学協会の所有になり、現在平安博物館として利用されている。かなり大規模な近代建築の再利用の例として初期のものに属する。保存もよく明治時代の代表的な洋風煉瓦造建築である。  赤い煉瓦の壁面に白い石の横線を入れて変化をつけ、塔屋を設けるなど設計者の独特の意匠が見られるが、様式はルネッサンスとバロックの混合したものである。この辺りにまだ西洋の歴史的な建築様式を、ただ意匠をまとめるだけのパターンとして理解し、その時代の精神とか様式の本来的な性格を十分に汲みとっていなかった当時の日本の建築家の成長段階を見ることができる。  辰野金吾(1854~1919)は明治12年(1879)工部大学校造家学科(東大工学部建築学科の前身)第1回の卒業生で、明治から大正前半にかけての日本建築界最大の巨頭。日本銀行本店(明治29)・同大阪支店(同36年)・中央停車場(東京駅、大正3年)などの現存する大建築をはじめ作品も多い。とくに日本銀行の全国各地の主要支店は、ほとんど辰野および彼の協力者の作品であった。長野宇平治は辰野の教え子で明治26年帝国大学(後の東京大学)造家学科の出身、のちに日銀の技師となって辰野とともに、また辰野亡き後も各地の日銀の建物の設計に当たった。しかし、この建物は辰野の色彩が強い。これに隣接して建物の外観(外壁)保存に成功した中京郵便局(明治35年)があり、ともに三条通りのエキゾチックな景観を構成している。 (重要文化財、京都市中京区三条通) #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/267
旧済生館本館「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1982年3月10日発行  現在は山形市郷土館として使われているが、もとは山形県立病院として明治12年県庁舎前に、市の中心計画の一環として建てられたもの。洋風の病院もまた近代化の象徴であった。当時の県令(県知事)三島通庸も雄大な欧化計画構想の遺構である。鬼県令として自由民権主義者だったことも、明治の栄光と、かげりをよくあらわしている。  黒い屋根瓦、うす暗い民家のひしめく日本の、とくに東北の風土の中に正面に木造3階建ての桜閣を構え、下見板ペンキ塗りの、しかも円形に近い14角形の内側廊下つきの明るい異様な建物が姿をあらわしたときの、人びとに与えた衝撃は大きかったに違いない。明治13年版の『県内名所図鑑』にも、この建物を評して「無双の壮観なり哉」とある。文明開化もただ底抜けに明るく陽気だったというわけでもない。むしろ新政府の権威を誇示して人民を威圧する風なきにしもあらずである。  だが今は、そんな印象はまったくない。国の重要文化財指定に際して一度解体され、戦時中2階建てに縮められていたものをもとに復し、明るく閑静な旧城址に移築されたためもあろう。いかめしいヒゲの官員さんのイメージも、明治とともに遠くなってしまった。  設計者は原口祐之とも筒井明俊とも言われるがはっきりしない。また当時の病院長が東京医学校や横浜の海軍病院などを訪ねていろいろの助言を得、それにもとづいてこの病院の平面を作成したとも伝えられている。とにかく"奇想"と称するにふさわしい形で、旧開智学校と並ぶ代表的な擬洋風建築である。よほど独創的な技術者が参加していたに違いない。 (重要文化財、山形県山形市霞城公園) #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/256

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