昭和28年(1953)年賀切手「三番叟」カシェカードコレクション

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 昭和28年は、わが国のテレビ元年であった。NHKがテレビ放送を開始、つづいて初の民間テレビ、日本テレビも本放送に入ったからである。ただ、テレビ受像機は大学卒初任給が8000円の時代に7インチの小型でも9万円。庶民には高嶺の花であったため、NHKは東京都内に該当テレビを7ヵ所設置した。どこでも黒山の人だかりとなった。また、昭和26年にラジオ番組「今週の明星」の新春特番としてスタートした「紅白歌合戦」が、テレビ放送開始の今年から恒例の年越し番組となった。

 自動車は、戦後に課せられていた生産禁止や制限が解かれ、昭和27年頃から外国メーカーとの提携により準国産車の生産が始まっていた。目抜き通りには輸入車に混じってこうした準国産車も姿を見せ始めた今年、街行く女性たちの姿も、モンペ姿から解放されてファッショナブルになりつつあった。クリスチャン・ディオールのファッションショーもこの年の秋に開かれた。

 とはいえ、戦後はまだ終わっていないの観もあった。たとえば引き揚げ船「興安丸」は、第1次引き揚げ者を乗せて京都・舞鶴港に入港したのがこの年であった。興安丸は、ソ連からの引き揚げにも就航、計22回の航海で2万2000人を運んでいる。教育についても、教室が足りない学校は午前と午後の2部授業を実施していた。

 「八等身」ということばが流行した。ミス・ユニバースのコンテストで3位に入賞した伊藤絹子さんの身長(164センチ)と頭の長さの比率に由来する言葉で、美人の代名詞となった。

 昭和28年の新年用切手には、京都市特産の御所人形が見られる。「三番叟(さんばそう)」という舞のうち、最初に舞われる揉の段のポーズを採っている。御所人形は童子の姿態をとらえて桐、張り子、練物などで作り、肌は胡粉で仕上げて磨いてある。大きな頭と丸々とした裸体が愛らしく美的な人形。名前は。江戸時代に西国の大名が参勤交代で上府の際に御所や公家にあいさつし、その返礼として下賜されたことに由来する。

カシェカード挿絵=藤井厚志

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