尾山神社神門「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1982年6月12日発行

 明治8年(1875)11月竣工の石および木造3階建て銅板葺きの建築。設計および工事は"匠工長"に任せられた地元の棟梁・津田吉之助。

 尾山神社は。加茂百万石の藩祖前田利家を祭った神社で、この神門は正面石段を上った場所にあり、和洋を混合した不思議な様式を持っている。竜宮の門のようなところは中国的ですらある。明治の西洋館の中でもちょっと特異なものだが、最初の設計図を見るともっと複雑で仏寺建築くさいものであったが、設計を変更して建てられたこの実物は、はるかにまとまりがよい。青味・赤味の越前石の加工や、ケヤキ材の彫り物など手がこんでいて、しかも本格的な堂々たる建物。三層桜の最上階には色ガラスの窓があり。昔は遠く日本海を行く船の灯台の役も果たしたと言う。また当初から避雷針が設けられていて、その"避雷器工手"の名も陳礼に記され、新時代への積極的な意欲が十分にうかがえる。芸術の伝統と百万石のプライドとがミックスして新しい時代を迎えると、こういう形になるのだろうか。

 津田吉之助(1829~1890)は、目に一丁字もなく、自分の名すら書けなかったという棟梁だが、洋風の建築や機械類の設計および操作に詳しかった。彼はこの建築を工事する前に、すでに様式の金沢製糸会社(明治7年開業)の建設に関与し、また明治10年開業の金沢撚糸会社の工場や機械の設計もしている。万能の天才的技術者だったようだ。彼を登用してその才能を発揮させた人物が、旧加賀藩重役の出で、後に金沢市長をつとめた長谷川準也。かつて市民を騒がせたであろうその珍奇さも、今はすっかり落着き、神域の雰囲気にピッタリと合って、さすがに名建築である・

(重要文化財、金沢市尾山町)

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