旧日本聖公会堂京都聖約翰教会堂「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1982年1月29日発行

 明治村の正面右手の小高い丘上に建っているが、もとは京都市下京区河原町通り五条下ルに明治40年(1907)竣工したプロテスタントの協会堂で、昭和39年に現在地へ移築されたものである。

 外観は細部にゴシックの要素をまじえたロマネスク風で、正面左右に高くどびええる双塔が印象的である。1階がレンガ造り、2階が木造だったが、移築に際して1階を鉄筋コンクリートに改め外装にレンガを貼った。2階の屋根は木造の合掌造りで、木のフレームが交差し面白い大空間をつくり出している。その化粧天井には竹簾(たけすだれ)は張られていてアジア的な雰囲気をもかもし出しているのも、やや異様な空間体験となろう。トタン(亜鉛鈹鉄板)屋根(現在は銅板葺き)を通して伝わってくる太陽光の熱気と、京都の気候を考慮しての設計者のくふうであろう。

 使われ方も変わっていて1階は幼稚園、2階が教会堂として移築前まで使われていた。いわば複合建築で、いかにも都会の中心部に計画された新教会堂らしい。解体移築に際して証明入口脇にあった「1906」と年号を刻んだ定礎石から設計青写真を含んだ多数の文章が発見され、設計者は在日アメリカ人建築家で牧師でもあったJ.M.ガーデナーであることがはっきりした。彼はハーバード大学で建築学を修め、明治13年(1880)来日し、布教教育活動に従事し、築地にあった立教大学校の校長もつとめたが、のちに建築家に転じて学校や教会堂の作品も多い。大正14年東京で亡くなった。むずかしい名称だが「聖ヨハネ教会堂」で通ていた。
(重要文化財、京都市、現在明治村)

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    bamboo1968

    2020/01/18

    二十年くらい前、明治村の広告デザインの仕事してました、なのでよく知ってます(笑)

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    • 私は京都太秦の生まれで、よく明治村に行ってましたよ。

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