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- 55F 日本近代美術シリーズ 初日カバーコレクション
- 前田青邨 ≪洞窟の頼朝≫(1929年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
前田青邨 ≪洞窟の頼朝≫(1929年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
前田青邨
明治18年(1885)1月27日、岐阜県中津川市に生まれる。本名廉造。明治34年上京し、尾崎紅葉の紹介で梶田半吉の門に入る。ここで小林古径を知り、生涯行動を共にした。はじめ日本絵画協会、国画玉成会、文展などに出品。また古径と共に、今村紫紅や安田靫彦らが組織していた紅児会に入会して勉強をつづけた。大正3年再興された院展に参加して第1回展に「竹取物語」「湯治場」を出品、展覧会期中に同人に推sれる。依頼院展を中心に活躍し、「京都所八題」(大正5年)、「西遊記」(昭和2年)、「洞窟の頼朝」(昭和4年)、「罌粟」(昭和5年)、「大同石仏」(昭和13年)、「風神雷神」(昭和24年)、「Y氏像」(昭和26年)など、歴史画、風景画、風俗画、肖像画、静物画のあらゆる分野にわたって、つぎつぎに秀作を発表した。再興日本美術院の中心的存在というだけでなく、近代の日本画を代表する画家の一人であり、その作品は東洋や西洋の古典の研究に裏づけられている。帝国美術院、日本芸術院会員、帝室技芸員、東京芸術大学教授などをつとめ、昭和30年文化勲章を受けた。昭和52年10月27日に歿した。
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fanta
2019/09/23この切手、手元にはないんですが^^;)歴史が好きだったのでなんか覚えてまス。
確か石橋山の合戦で平家に敗れた頼朝主従が、洞窟に逃げ込んだところ、奇しくも見逃してもらったとかなんとか…ってエピソードの一場面ですね(長いっ笑)
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Jason1208
2019/09/23 - 編集済み見逃したのが梶原景時で、後に頼朝が鎌倉幕府を立てたときに有力御家人になったと聞きます。
平家追討の戦乱の中で、源義経と一番対立したのも、梶原景時だったような。
これ、『ガンダムTheOrigin』で、シャアがレビル将軍の脱出を見逃したエピソードに似てますね。
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fanta
2019/09/23まさに!その通りでっす(゚∇^d) グッ!!
(反応しちゃったよ😁)
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