第1集 武家の美「江戸城障壁画下絵(初日カバー)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

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発行 2003.5.23

江戸城障壁画下絵 本丸表大広間(東京国立博物館所蔵)

狩野晴川院筆(縦45.5 全長697.5センチ) 
江戸時代(17世紀)

 江戸城は、慶長8(1603)年に本丸御殿が造営されて以来、慶長11(1606)年・元和8年(1622)年、寛永14(1637)年・寛永17(1640)年・万治2(1659)年・弘北2(1845)年・万延元(1860)年の7回にわたり造営されている。その殿舎を彩っていた障壁画の画題や作者については、寛永年間以来の記録によってたどることはできるが、具体的な図柄については不明な点が多かった。

 しかし十数年前に綿密な調査がおこなわれ公開された「江戸城障壁画下絵」によって、江戸城内本丸・西の丸両御殿内の障壁画の様子がつぶさに伺い知れるようになった。

 この「江戸城障壁画下絵」は、天保9(1833)年に炎上した江戸城西の丸(将軍を引退した前将軍や次の将軍となるべき嗣子が住む御殿)の翌10年の造営と、銅15(1844)年に焼失した本丸の弘北2(1845)年の造営という、二度にわたる城障壁画制作に関して、発注者である将軍(西の丸は前将軍家斉、本丸は十二代将軍家慶)の意向を伺うために絵師が提出した"伺下絵"で、東京国立博物館にその大半の264巻が現存している。絵の制作は幕府の御抱絵師(奥絵師)であった狩野晴川院養信(1769~1846)が中心となっておこなわれた。

 掲出の絵は、将軍と諸大名の対面儀式をはじめとした江戸幕府における最大公式の場であった本丸御殿大広間に描かれていた障壁画の一部である。この大広間は本丸御殿の南端にあって、押板・二つの床・書院・帳台構を完備した上段間と、これに続く中段・下段の間を備えた四百畳を超す広さであった。

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