(C942-943)近代洋風建築シリーズ 第7集 初日カバーコレクション

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発行日 1983.2.15

 旧睦沢学校校舎は、明治8年(1875)山梨県敷島町に建てられた。当時の県令藤村紫朗が積極的に奨励した擬洋風建築で、広く各地に流行し、藤村様式建築と呼ばれた。

 桜宮公会堂玄関は、明治元年(1868)に着工し、明治4年に完成した明治政府最初の大工場(旧造幣寮鋳造所)の正面玄関であったもの。設計者はイギリス人ウォートルスで、古典様式の石造りである。

※1988年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①旧睦沢学校校舎
  ②桜宮公会堂玄関
原画構成者  
  ①②近岡 善次郎
版式・刷印 
  ①②グラビア4色 凹版1色
印面寸法  
  ①よこ25×たて35.5ミリのたて型
  ②よこ35.5×たて25ミリのよこ型
シート   
  ①よこ4×たて5=20面構成
  ②よこ5×たて4=20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代洋風建築シリーズ

■近岡善次郎氏による創画カバーと詳しい建築物の説明

①旧睦沢学校校舎
https://muuseo.com/stamp_collection/items/381

②桜宮公会堂玄関
https://muuseo.com/stamp_collection/items/359

旧睦沢学校校舎「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1983年2月15日発行  明治8年(1875)竣工の木造2階建て、中央に塔屋(太鼓桜)付き桟瓦葺きの小学校校舎。もと山梨県巨摩郡敷島町(旧巨摩郡第7区睦沢村)にあったが、戦後に甲府市の武田神社境内に移され「睦沢記念館」として公開されている。日本の建築関係工匠の持つ伝統的な技法で、西欧の建築の意匠をあらわし、しかも細部に日本風のデザインを主張しているいわゆる擬洋風建築の代表的な作品である。設計は山梨県下山の大工棟梁の松木輝殷(まつきてるしげ、輝重とも書く)。  当時の山梨県令(県知事)の藤村紫朗は着任早々県内の物産調べをして、ブドウがたくさんとれ、しかも品質が良いのを知り、ブドウ酒の生産を奨励、今日の山梨ワインの恩人とされているが、その開化政策の一環として県下の学校や役場などに独特の洋風建築をたくさん建てさせた。藤村式建築と俗称されたものであり、松木がその意を受けて活躍した。  玄関車寄せの円柱や2階のヴェランダ、屋上の太鼓桜、上げ下げ窓、シックイで石のように盛り上げた窓のアーチや隅石(壁の角の部分の凸凹の模様)など、充分に洋風の情緒を盛り上げているが、土蔵式の壁も小屋組みも、軒の雲形の飾りなども、いたるところに伝統の日本建築の意匠が見られる。擬洋風たるゆえんであるが、それだけに甲斐の盆地に三峡に文明開化の熱気が雲のように流れこんだ明治初年の時代を象徴する建築と言えよう。  また区長の長田友康以下当時の睦沢村民がこの学校建設にかけた期待と努力も大きかった。建物そのものも当時の文献記録も、よくそれを物がっている。 (重要文化財、甲府市古府中町) ※1983当初の説明です #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/381
桜宮公会堂玄関「近代洋風建築シリーズ初日カバー」
1983年2月15日発行  明治4年(1871)に完成した大阪の造幣寮(現造幣局)の金銀貨幣鋳造場の正面玄関部分を戦前に移したものである。鋳造場は明治3年秋に竣工しており、造幣寮の建築群の中でも中心になっていた建物である。流石に堂々とした石造りの古典様式の玄関で、とても工場建築の玄関とは思えない。それだけにこれにかけた維新政府の期待の大きさも想像できる。工場であると同時に記念的な建物でもあった。記念建築であれば当然そこに様式が要求される。設計を担当したイギリス人技術者ウォートルス(Thomas James Waters)は、じつに上手に古典様式をまとめ、流石に万能技術者の面目が躍如としているが、正面のペディメント(三画破風)の間のびした平板さ、六本の円柱の貧弱な細かさ、などにはどうしても埋めきれない正規の建築家的教養の欠如が見られる。また、最近の研究によれば、この建物の平面は当時の香港造幣局鋳造場の図面を忠実に参考にしたとされている。しかしその立面はウォートルスの手になったものだろう。ちなみに、ウォートルスは銀座煉瓦街の建設にも当たり、明治初年のお雇い外国人技術者のうちでは最も建築的活躍が顕著な人物であった。この建物に隣接して、やはりウォートルス設計の泉布観(重要文化財、明治4年)が建っている。これももと造幣寮の応接所だった建物である。  開国直後の日本は、諸外国から信用できる貨幣の発行を強く求められた。それに応え、新興国家の面目にかけて建設したのが造幣寮の工場であり、近畿一円の石工を総動員して昼夜兼業で行った大工事の、これは記念の建物である。 (重要文化財、大阪市北区天満橋) ※1983当初の説明です #近代洋風建築シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/359

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