桜宮公会堂玄関「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1983年2月15日発行

 明治4年(1871)に完成した大阪の造幣寮(現造幣局)の金銀貨幣鋳造場の正面玄関部分を戦前に移したものである。鋳造場は明治3年秋に竣工しており、造幣寮の建築群の中でも中心になっていた建物である。流石に堂々とした石造りの古典様式の玄関で、とても工場建築の玄関とは思えない。それだけにこれにかけた維新政府の期待の大きさも想像できる。工場であると同時に記念的な建物でもあった。記念建築であれば当然そこに様式が要求される。設計を担当したイギリス人技術者ウォートルス(Thomas James Waters)は、じつに上手に古典様式をまとめ、流石に万能技術者の面目が躍如としているが、正面のペディメント(三画破風)の間のびした平板さ、六本の円柱の貧弱な細かさ、などにはどうしても埋めきれない正規の建築家的教養の欠如が見られる。また、最近の研究によれば、この建物の平面は当時の香港造幣局鋳造場の図面を忠実に参考にしたとされている。しかしその立面はウォートルスの手になったものだろう。ちなみに、ウォートルスは銀座煉瓦街の建設にも当たり、明治初年のお雇い外国人技術者のうちでは最も建築的活躍が顕著な人物であった。この建物に隣接して、やはりウォートルス設計の泉布観(重要文化財、明治4年)が建っている。これももと造幣寮の応接所だった建物である。

 開国直後の日本は、諸外国から信用できる貨幣の発行を強く求められた。それに応え、新興国家の面目にかけて建設したのが造幣寮の工場であり、近畿一円の石工を総動員して昼夜兼業で行った大工事の、これは記念の建物である。

(重要文化財、大阪市北区天満橋)

※1983当初の説明です

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