昭和12年(1937)年賀切手「二見ヶ浦」カシェカードコレクション

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 昭和12年年賀切手「二見ヶ浦」では、初日の出と二見ヶ浦の夫婦岩を組み合わせた図柄が見られる。これは、昭和11年に逓信省の公募に応じて人選した作品(原画は逓信博物館集収蔵品)によっている。

 夫婦岩は興玉神社の神体で、伊勢市と鳥羽市の中間にあり、この辺り一帯を二見ヶ浦と呼ぶ。夫婦岩は大岩(高さ9メートル)と小岩(4メートル)の2つからなり、しめ縄で結ばれている。この夫婦岩の間から初日の出がのぞいている図はいかにも正月らしい。だが実際には、そうした光景が見られるのは夏至の前後10日間位だから、新年には向かないと論争になった。

 この年わが国は、戦争へと確実に歩を進めていた。7月7日、中国駐屯軍の一部隊が北京郊外の盧溝橋付近で中国軍と銃火を交え、日華事変が勃発。名目は事変であっても、その実は大規模な中国との宣戦なき戦争であった。満州運営で一応の功をおさめた軍部が北支工作を積極化していった結果であったが、この衝突はたちまち日中両国の全面的な戦争へとつながってゆく。さらにそれが太平洋戦争へと拡大されてゆき、やがて日本を破綻に導く。歴史を振り返ってみるとき、この7月7日が重要性が浮き彫りにされる。

 しかし、まだ明るい文化的な話題も豊富であった。文化勲章が制定され、長岡半太郎、横山大観ら9人が第1回受賞者となった。帝国芸術院が創立され、第1回文展が開かれた。岸田國士らが文学座を結成したのもこの年であった。スポーツでは、双葉山が横綱免許を受け、後楽園球場が開場、主にプロ野球大会用につくられていた。また、朝日新聞社の飛行機「神風号」が、パリ、ローマをへてロンドン着、所要時間94時間17分16秒の世界記録を樹立、世界で話題を呼んだ。「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからは・・・・・・」とうたわれる「露営の歌」が、日華事変が起こった直後に発売され、ちまたで流行した。それは、戦争が終結するまで全国の駅頭で出征兵士を送って歌われることになった。

カシェカード挿絵=鮎沢美奈子

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    tanupon

    2019/07/22

    二見ヶ浦は一度は行ってみたい場所です。
    熊野古道、腰を痛めて挫折したまま。
    機会を失うとなかなか・・・

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    • 私は関西で育ったので、
      小学校の修学旅行は伊勢です。
      お土産は赤福を買って買えるのが定番(^_^)
      伊勢も鳥羽も良いところですよ~♪
      熊野古道はかなり過酷です。
      鯖街道というのも有りますよ!!

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