(C845-C846)近代美術シリーズ 第5集 初日カバー

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発行日 1980.2.22

 「鮭」は明治初期の洋画家・高橋由一(1828~1994)の明治8~10年頃の作品で、彼の代表作である。高橋由一は外国の写実的な石版画に感激して洋画を学ぶ決意をし、川上冬崖とワーグマンに師事した。

 「阿弥陀堂」は小林古径(1883~1957)の代表作である。小林古径は梶田半古に学び、のち院展の中心作家となり、多くの名作を残した。昭和44年切手趣味週間の「髪」も彼の作品である。

額面・種類 
  50円 2種
図案    
  ①鮭
  ②阿弥陀堂
原画構成者  
  ①②菊池 吉晃
版式・刷印 
  ①グラビア4色 凹版1色
  ②グラビア5色
印面寸法  
  ①②よこ30×たて48ミリのたて型
シート   
  ①②よこ5×たて4 -20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

■高橋由一肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/65

■小林古径肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/64

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高橋由一 ≪鮭≫(1876年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
高橋由一 文永11年(1828)2月5日下野国佐野藩士高橋源十郎の嫡子として江戸佐野藩邸に生まれる。生来病弱だったので武術家になることをあきらめ。画家の道を選んだ。12歳頃から狩野派の画法を学んでいたが、嘉永年間たまたま西洋石版画を見てその迫真的写実表現に驚き、西洋画の習得を志した。文久2年(1862)幕府の洋書調所画学局に入所、川上冬崖の指導を受けながら、油絵の技法はもちろん絵具やカンパスの作り方まで苦心して研究した。さらに慶応年間に横浜在住のイギリス人チャールズ・ワーグマン、明治10年頃には工部美術学校教師として来日したイタリア人アントニオ・ファンタネージにも師事し、実技を学んだ。「花魁図」「豆腐」「鮭」などの作品は、陰影描写や空間表現に問題があり技術的にも稚拙だが、対象を徹底的に写実しようとする態度に貫かれており、異様な迫力を感じさせる。また明治6年日本橋浜町に画塾展絵桜を開いて、原田直次郎、安藤仲太郎ら多くの洋画家を育てるなど、わが国近代洋画の揺籃期に大きな足跡を残している。 #切手 #初日カバー #FDC #近代美術シリーズ
https://muuseo.com/stamp_collection/items/65
小林古径 ≪阿弥陀堂≫(1915年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
小林古径 明治16年(1883)2月11日新潟県で生まれる。本名茂。4歳で母を、9歳で兄を、11歳で父を失い、孤独な少年時代を過ごした。明治32年妹と遠縁の親類に引取られて上京、日本画家を志して梶田半古の門に入った。その誠実な人柄とすぐれた画才は多くの人に愛され、特に岡倉天心、原三渓は数々の援助を与えている。明治43年安田靫彦、今村紫紅らの組織した研究団体紅児会に加入し、このころ大和絵をはじめ古画の研究に没頭した。大正3年第1回再興院展に「異端」を出品して同人に推され、11年には前田青邨とともに日本美術院留学生として渉欧、西洋美術を学んだ。依頼日本画壇を代表する画家として活躍し。古典のもつ端正で清澄な美しさを近代造型のうちに求めて、独自の厳しい追及を進めたが、再興院展を中心に発表した「清姫」「髪」「鶴と七面鳥」などの作品は近代日本画に新しい表現様式を確立したものとして、今日もなお高く評価されている。昭和25年文化勲章を受けた。 #切手 #記念切手 #初日カバー #FDC #近代美術シリーズ
https://muuseo.com/stamp_collection/items/64

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