(C874-875)近代美術シリーズ 第10集 初日カバーコレクション

0

発行日 1981.6.18

 「Nの家族」は関西の洋画壇mp育成に大きな足跡を残した小出楢重(1987~1931)の作品で、大正8年(1919)の第6回二科展で樗牛(ちょぎゅう)賞を受けたものである。作品はテーブルを前に子供をはさんで、作者自身と家族を描いている。

 「筍」は福田平八郎(1892~1974)の昭和22年(1947)の作品で掛物(99.2×134.2センチ)である。福田平八郎は京都市立絵画専門学校を卒業し、同校教授となり。昭和36年(1961)には文化勲章を受賞した。

※1981年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①Nの家族
  ②筍
原画構成者  
  ①②菊池 吉晃
版式・刷印 
  ①グラビア4色 凹版1色
  ②グラビア5色
印面寸法  
  ①よこ48×たて30ミリのよこ型
  ②よこ30×たて48ミリのたて型
シート   
  ①よこ4×たて5=20面構成
  ②よこ5×たて4=20面構成
発行数   
  ①②2,700万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代美術シリーズ

■小出楢重肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/128

■福田平八郎肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/115

小井楢重≪Nの家族≫(1919年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
小井楢重 明治20年(1887)10月13日、大阪市南区長堀橋筋1丁目21番地に生まれる。生家は膏薬「天水香」で知られる老舗の薬屋であった。大正3年東京美術学校西洋画科を卆業。大阪へ帰り。文展や院展へ作品を送った。大正8年第6回二科展に「Nの家族」を出品して樗牛賞を受賞、さらに翌9年第7回二科展に「少女於梅図」を出品そて二科賞を受賞し、ようやく世に認められた。大正10年フランスに留学、わずか6か月間の滞在であったが、油絵が西洋の自然や物の考え方を基盤として生まれた、またそれによって支えられている絵画表現であることを実感として知った。そして帰国後は自分自身の体質から生まれる油絵表現の完成を生涯の目標とした。大正12年二科会の会員となり、同会を中心に「帽子を冠れる肖像」(1924)、「裸女結髪」(1927)、「支那寝台の裸女」(1930)などの作品を発表し、上方文化の伝統にもつながる一種濃密な美の領域を独自に開拓した。分筆にもすぐれ、随筆集「楢重雑筆」(1927)、「めでたき風景」(1930)などの著書がある。昭和6年(1931)2月13日、43歳で歿した。 #近代美術シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/128
福田平八郎≪筍≫(1947年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
福田平八郎 明治25年(1892)2月28日、大分市に生まれる。大正7年京都市立絵画専門学校を卆業、翌8年第1回帝展に「雪」を出品して初入選した。つづいて大正10年第3回帝展の「鯉」で特選となって宮内省に買上げられ、さらに大正11年第4回帝展の「鶴」で二度目の特選となった。以後帝展(帝国美術院展覧会)、文展(文部省美術展覧会)、日展を中心に出品し、しばしば審査員をつとめるとともに六潮会、春虹会、清流会、彩交会などのグループにも属して活躍した。生涯を通じて自然のさまざまな様態の観察と徹底した写生をつづけ、生まれながらにそなわった鋭い色彩感覚と卓越した描写力数々の秀作を描いた。とくに戦後の日展に発表した「筍」(1947)、「新雪」(1948)、「雨」(1953)、「水」(1958)、「花の習作」(1961)などの作品は、装飾感にあふれる構図と新鮮な色彩表現によって、現代日本画の展開に大きな影響を与えた。昭和22年日本芸術院会員となり、36年文化勲章を受章した。昭和49年(1974)3月22日、82歳で歿した。 #近代美術シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/115

Default