日本銀行本店本館「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1984年2月16日発行

 明治29年竣工。日本金融の総本山は、また明治建設の頂点とされる建築でもある。しかも、その設計者の辰野金吾(1854~1919)は、明治の建築界の最高の地位にあった人。お膳立てはすべて揃っていた。

 この建物が建てられたころは、まだ日本では鉄筋コンクリートや鉄骨の建築技術は、ほとんど知られていなかった。したがって壁体はレンガ積みの上に石を貼っているが、屋根は鉄材で組み、基礎は厚いコンクリートと、当時の技術の粋を集めて堅固そのものの建物でもある。工事の途中に明治24年の濃尾地震があったので、その経験も生かして余計に丈夫になった。おそらく日本で最初と思われる本格的なスチール・サッシやエレベータが使われているのも注目すべきであろう。もちろん輸入品である。

 当時帝国大学造家学科(今日の東京大学工学部建築学科)の教授だった辰野は、この建築の設計のためにヨーロッパへ調査旅行におもむき、ベルギーの中央銀行をモデルにしたと言われるが、ルネッサンス様式を基調にしてバロック的なところもあり、今日から見ればまだ十分に洗練された意匠とは言いがたいところがある。無理もない。イギリス人建築家コンドルを教師として、はじめて西洋建築学を学んで20年もたっていない日本人建築家の第1世代の作品である。もしろその習得の早さに驚く。謹厳剛直、いかにも明治の人らしくカミナリ親父で鳴らした辰野金吾は、九州唐津藩士の子。藩校で高橋是清に洋学を学び、やがて上京して工部大学校造家学科の第1回卒業生となった。コンドルの薫陶を受けた日本人最初の建築家で、やがて明治の建築界を牛耳る大家となった。仏文学者辰野隆の父でもある。

(重要文化財、東京都中央区日本橋)

※1984当初の説明です

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