(C849-850)近代美術シリーズ 第7集  初日カバー

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発行日 1980.7.7

 「黒扇」は藤島武二(1867~1943)が明治38年(1905)、イタリア留学中に描いた作品である。藤島武二は洋画を学び、東京美術学校の助教授を務めた。彼の作品「蝶」も昭和41年切手趣味週間でとりあげられた。
 「アレ夕立に」は竹内栖鳳(1864~1942)の明治42年(1909)の作品で、題名は地唄舞の一節から取られたものである。竹内栖鳳は早くから画才をを認められ、京都画壇を代表ずる画家として活躍した。

※1980年当初の説明です。

額面・種類 
  50円 2種
図案    
  ①黒扇
  ②アレ夕立に
原画構成者  
  ①②菊池 吉晃
版式・刷印 
  ①グラビア5色
  ②グラビア6色
印面寸法  
  ①よこ27×たて48ミリのたて型
  ①よこ30×たて48ミリのたて型
シート   
  ①②よこ5×たて4=20面構成
発行数   
  ①②2,800万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代美術シリーズ

■藤島武二肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/82

■藤島武二画「蝶」(昭和41年切手趣味週間)
https://muuseo.com/stamp_collection/items/91

■竹内栖鳳肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/81

藤島武二≪黒 扇≫(1908-9年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
藤島武二 慶応3年(1867)9月4日、鹿児島に生まれる。明治17年絵画修行を志して上京、はじめ川端玉章に日本画を学んだが、23年洋画に転じ 曽山幸彦、山本芳翠などに師事して明治美術会の会員となった。しかし明治29年東京美術学校助教授に任ぜられるとともに、黒田清輝を中心に結成された白馬会に参加、同展にロマン主義的色彩の濃い「天平の面影」(明治35年)「蝶」(明治37年)を出品して注目された。明治38年から4年間フランス、イタリアに留学、画風にいっそう洗練された情感と造形的な堅牢さを加えた。帰国後の明治43年東京美術学校の教授となり、文展、帝展を中心に活躍して「うつつ」(大正2年)、「匂い」(大正4年)、「鉸剪眉」(昭和2年)などを発表した。晩年は油絵によって日本の自然の特質を捉えることに執念を燃やし、「大王岬に寄せる怒涛」(昭和7年)、「東海旭光」(昭和7~10年)、「耕到天」(昭和13年)などの風景画の傑作を残した。大正13年帝国美術院会員、昭和9年帝室技芸員となり、12年文化勲章を受けた。昭和18年3月19日歿。 #切手 #記念切手 #初日カバー #FDC #近代美術シリーズ ■藤島武二「蝶」 https://muuseo.com/stamp_collection/items/91?theme_id=15094
https://muuseo.com/stamp_collection/items/82
竹内栖鳳≪アレ夕立に≫(1909年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
竹内栖鳳 元治元年(1864)11月22日、京都に生まれる。本名恒吉、号棲鳳、のち栖鳳と改めた。明治10年14歳の時、四条派の流れをくむ土田英林について日本画の修行を始める。明治14年幸野楳嶺塾に入門、伝統芸術に対して否定的であった維新後の激動期に、新しい時代に即応する日本画の創造を目指して活動した。明治40年第1回文展もは、京都日本画壇を代表する画家の一人として審査員をつとめている。その後は文展、帝展、新文展を中心に「飼われたる猿と兎」(明治41年)、「アレ夕立に」(明治42年)、「絵になる最初」(大正14年)、「鯖」(大正14年)など斬新な感覚の作品を発表した。また京都市立絵画専門学校教授あるいは画塾竹杖会の主宰者として後進の指導に当たり、その門下から土田麦僊、村上華岳、小野竹喬、福田平八郎、徳岡神泉などの俊才が輩出して、名実共に京都日本画壇の重鎮として、東京の横山大観と並び称せられた。大正2年帝室技芸員、8年帝国美術院会員となり、昭和12年文化勲章を受けた。昭和17年8月23日歿。 #切手 #記念切手 #初日カバー #FDC #近代美術シリーズ
https://muuseo.com/stamp_collection/items/81

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