旧開智学校校舎「近代洋風建築シリーズ初日カバー」

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1981年11月9日発行

 明治9年(1876)竣工した木造大壁造りシックイ塗り2階建ての小学校建築。寄棟(よせむね)造りの屋根中央に八角の天桜がつき、当座南北の文字付の風見が天にのびている。明治初期のいわゆる"擬洋風"建築の代表的な遺構であり、また日本の学校教育史上にも重要な存在で、げんに教育資料館としてさかんに利用されている。信州教育の発祥の場所とも言えよう。

 "擬洋風"建築とは明治初年の民間の大工・棟梁たちが見様見真似で西洋建築を設計し建てたもの。アーチ形の窓、上げ下げのガラス戸、バルコニー(露台)のついた車寄せ、建物壁すみのコーナー・ストーン(隅石)など、せいいっぱいに西洋を真似てはいるが、いたるところに伝統の日本的意匠もとり入れている。"擬洋風"といわれるゆえんである。今はないが錦絵で有名な築地ホテル館(明治元年)もその代表的な存在だった。文明開化を民衆の立場から歌い上げた日本近代建築史上の圧歓んが"擬洋風"建築である。

 旧開智学校校舎の設計・施工に当たったのは地元・松本の棟梁。立石清重(1829~1894)。彼は土地の人びとの期待に応えるべく東京や横浜にたびたび出て西洋建築を助っ人して学習し、設計そ、工事に当たった。彼の人柄を反映して重厚ではあるが文明開化の気運をよく表現したこの建築は。もと町の中心、女鳥羽川のほとりにあったが、昭和36年重要文化財の指定を機に、松本城の北に移築された。正面の唐破風はもちえろん日本の伝統の意匠、しび飾りは「開智学校」という字幕をかかげた2体のキューピット。新時代を迎えて、子弟の教育に情熱を傾けた大人たちの心意気が溢れている建築である。
(重要文化財、長野県松本市)

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