世界の航空機コレクション フォッケウルフ Fw 200

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ドイツフォッケウルフ社で製造された、4発エンジンを持つ旅客機(後に長距離輸送機)。
第二次世界大戦により軍に徴用され、長距離哨戒爆撃機として活躍。主に船舶攻撃に用いられ、その後は主に輸送任務に回されるようになった。
1937年に当時、旅客機市場で大ヒットしていたアメリカのダグラス DC-3の対抗馬として旅客機用に開発された。
そして開発されたのが、ルフトハンザ航空向けにクルト・タンク(1931年から1945年までフォッケウルフ社の設計部門を指揮した人物)の設計で製造されたのがFw200であった。
720hpのBMW132Gエンジンを4基搭載した大型機となり、乗客25人を乗せて3,000Km以上飛ぶことができた。
試作機は1937年7月に初飛行し優秀な性能を示し、1938年8月10日にベルリンからニューヨークへ24時間56分で無着陸飛行を行い、13日には19時間47分でベルリンに戻ってくると飛行プランを成功させている。
さらに同年11月28日に無着陸ではなく燃料補給飛行を行いつつ、46時間20分52秒での飛行にも成功している。
この際に、東京都立川市の立川飛行場にも給油するために着陸した。
こうして旅客機市場に参入したFw200はスウェーデンやブラジルへも輸出された。試作3号機は、ヒトラーの専用機だったようだ。
日本でも導入する計画があった。
大日本帝国陸軍は九二式重爆撃機の後継機としてユンカースJu90四発旅客機の購入を検討したが、導入されることがなかった(ユンカース社に三菱重工業の本社営業課長を派遣して交渉したが断念)。
ドイツ滞在中の三菱スタッフがFw200に興味を持ち、交渉の結果Fw200の訪日飛行が実現しており5機注文を行ったが、日本陸軍の興味は軍用型タイプ(Fw200C)に移り、購入計画はキャンセルされたというエピソードがある。
1939年には、第二次世界大戦で長距離哨戒爆撃機に改造される。
これは当時、ドイツ空軍の長距離偵察機が不足していたためだと言われている。
1943年に哨戒爆撃機ではなくなり、主に輸送機として活躍した。
輸送機時代には、スターリングラード攻防戦で輸送任務にあたったこともある。
1944年に生産が終了。生産されたのは276機だった。

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