マイクロエース 【A7250】 国鉄 10系客車 急行「天の川」 基本7両セット

0

1955(昭和30)年、国鉄では拡大する旅客需要に対応するために新型客車の製造を開始しました。
10系客車のうち、寝台車は最大車体幅が国鉄では初めて2900mmとされています。
これは極力寝台寸法を拡大し、居住性を向上させたためです。このため「裾絞り」と呼ばれる車体形状が初めて登場しました。
1965(昭和40)までにグループ全体で1000両以上が製造され、全国各地で活躍しました。
1970年代に入ってからは次第に活躍の場を地方線区へと移し始め、最終的に1985(昭和60)年までに全車の営業を終了しました。
急行「天の川」は上野と新潟を上越線経由で結んでいた夜行急行列車です。
1958(昭和33)年に上野~新潟間の夜行準急列車に「越後」の愛称が付けられ、1962(昭和37)年に「天の川」と改称されました。
1972(昭和47)年には寝台急行列車化され、運転区間が上野~秋田間に延長されました。
長らく10系客車を主体として編成で活躍しましたが、1976(昭和51)年までに20系客車が投入され、10系寝台車は引退しました。

Default
  • File

    tomica-loco

    2019/03/08

    郵便車、懐かしいですね。
    今みたいに宅配便がない時代、最寄駅にある小荷物預かり所に行って荷物を預けて到着駅で受け取るって言うことをしてました。

    返信する
    • File

      Railwayfan

      2019/03/08

      コメントありがとうございます。
      昔は自動車も少なく、高速道路も発達してなかったため、荷物は鉄道が担当してましたね。小さい駅にも荷物取り扱いがあったらしいですね。

      返信する
  • Animals 16

    Jason1208

    2019/03/08

    『天の川』。
    松尾芭蕉の「荒海や 佐渡に 横たふ 天の川」にちなんだ列車名ですね。高雅です。^^;

    返信する
    • File

      Railwayfan

      2019/03/08

      コメントありがとうございます。
      芭蕉から列車名が来てるんですか!(^^)
      寝台列車は星や銀河系の名前から取られているので天の川も、その一部だと思ってました。
      沿線に佐渡島があるのも納得です。

      返信する
  • File

    tomica-loco

    2021/03/10 - 編集済み

    昭和の時代の貨車は好きでした。家畜を載せた貨車や石炭、セメント、クルマを載せた貨車の行き先を見てずいぶん遠くまで運ぶんだなぁと思って写真撮ってましたね、貨物の最後に連結されていた車掌車の人が子供の私たちが手を振ると振り返してくれたのは遠い思い出です。

    返信する
    • File

      Railwayfan

      2021/03/10

      昭和の貨車は家畜者やタンク車やコンテナ車が編成に入り混じってていかにも「ザ・貨車」という編成をしていますね。この貨車編成は私も一度見て撮影してみたかったです。
      車掌車から手を振りかえしてくれるなんて良い話です(*´∀`*)

      返信する