- Railwayfan Museum
- 324F 航空館 全日空商事 ダイキャストモデル 1/500
- 全日空商事 【1/500】〔KZ54402〕NCA 日本貨物航空 B747− 200SF JA8181
全日空商事 【1/500】〔KZ54402〕NCA 日本貨物航空 B747− 200SF JA8181
NCA 日本貨物航空
B747− 200SF
レジJA8181
コックピットから眺める素晴らしい景色は、B747が私に与えてくれた感動のひとつです。
空中感、空気感と相まって地上からは決して見られない景色が現れるのです。太平洋の夜明け、ゴールデンゲートブリッジ、マンハッタンの夜景、コロンビア氷河、雪のマッキンレー、北極近くで現れた飛行機を取り巻くオーロラ、それら感動的な景色が今B747の思い出と重なって、走馬灯の様に瞼に甦って来ます。
日本で2番目の定期国際線運航会社として名乗りを上げた日本貨物航空は1985年5月8日、サンフランシスコ経由成田ニューヨーク線をB747-200で開始しました。
その第一便をSFOからNYKまで乗務した事が、私の忘れられない思い出です。
初めて自分の手でアメリカ大陸を横断し、JFケネディ空港でタラップを降りる時は足が震えるほど感動したものです。数々の感動を与えてくれ、私の手足の様に動いてくれた在来型B747ですが、その燃料効率の悪さから後継機-400にバトンタッチする事となり、2008年3月28日、NCA最後の在来型B747(JA8181)は私と高柳機長、石引F/Eの操縦により大勢の見送りの中、その任務を終えるべくSFOに向け成田空港を飛び立ちました。そして、このJA8181のリタイヤと共に、私の21年に及ぶ在来型B747の乗務に終止行が打たれたのです。
ところで一般的にジャンボと呼ばれているこのB747-200ですが、複数の呼び名があるのをご存知でしょうか。航空会社ではジャンボと呼ぶ事はまれで、導入当初はビーフォと呼んでいました。
その後、後継型の-400型が導入され、クラシック又はザイライ(在来)と呼ばれる様になったのですが、その呼びやすさからザイライがよく使われました。そこで正式名称は、となると、車の車検証にあたる航空機登録証明書には、ボーイング式B747-200F
(旅客機改造型には200B)と、何とも硬い名前が付けられているのでした。
(BOEING747 機長 加村 俊文 より)
NCAクラシックB747-200SFへの思い
2008年3月28日にNCAのKZ-152便、B747-200SF(俗に広うクラシック B747で第三世代の航空機)JA8181が成田一サンフランシスコ線に於いて商業ラストフライトに旅立ちました。
JA8181はANAの国際線仕様機を譲り受け、貨物専用機に改造した後NCAの貨物運送事業の発展に貢献してきました。
しかし、燃料効率や航法機器が進化した第四世代の航空機の台頭に、退役を余儀なくされました。B747クラシックは1969年に初飛行して以来、39年を過ぎても未だ世界の各エアラインで商業フライトをしています。
私はANAとNCAの両航空会社で航空機関士として、これまでB727、L.1011、そしてB747とそれぞれの航空機に乗務してきました。特にB747は飛行性能、操縦性能の良さに加え、エンジン及びシステム機器の信頼性も非常に高く、何らかのトラブルがあってもフェールセーフやバックアップ機能が充実していて安心して運航することができました。
また、現在の高度にコンピューター化された第四世代の航空機と違って、B747はシステムが人間思考と絶妙にマッチしているのです。各種計器のモニターに加え、コックピットからの音や振動、臭いなど五感によっても異常の兆候を事前察知できる優れものの機体でした。燃料効率問題を除けばまだまだ現役を続投できる頑強な航空機でしたが、これだけ燃油が高騰した現在では、残念ながら世界中のB747は加速的に退役が早まることになるでしょう。
それにしてもB747-100、200シリーズは優雅さと精悍さが融合し、そのバランスのとれたデザインに勝る航空機は今後出てこないと思います。
(BOEING747 航空機関士川西義和より)
備考・塗装尾翼に塗装ムラあり。