DVD「民族の祭典」

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 とにかく、『美の祭典』も含め修飾文句の多いのが本展示アイテム収録作ですので、とりあえずはその辺りをざっと紹介しておきますかね。
1.概要
 1936年ベルリン大会の『オリンピア』は初の本格的長編オリンピック公式記録映画で、ドイツのレニ・リーフェンシュタールが監督を務めました。二部構成で、陸上競技や開会式を記録した『民族の祭典』と、競泳、飛び込み、体操をはじめとする陸上以外の競技をまとめた『美の祭典』からなっています。日本選手では、三段跳び金メダリストの田島直人、棒高跳びそれぞれ2位と3位の西田修平と大江季雄、陸上5000m、10000mともに4位の村社講平などが登場しています。
2.プロパガンダ
 ベルリンでのオリンピックに対し、アドルフ・ヒトラーはかなり意気込んでいたようで、その表れの一つが10万人収容の大規模なスタジアムの建設と言われていますが、画面からもそのスタジアムの巨大さは窺い知れます。要するに、ナチスのプロパガンダ及び国威発揚の場と位置づけたわけで、それがこの1936年ベルリン大会を「ヒトラーのオリンピック」と言わしめた所以となっています。そのためには妥協も厭わなかったようで、人種差別政策を採っていたナチスが国際オリンピック委員会(IOC)の強い要求により、このときばかりは政策の執行を凍結したため、アメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスなど有色人種も活躍の場を得ることができたのですが、その様子は映画『オリンピア』に描かれています。
3.芸術性
 『オリンピア』の撮影はそれまでのオリンピック公式記録映画とは異なり、さまざまな焦点距離のレンズを駆使し、効果音の使用、撮り直しなどにより、競技を美的に描いたものであったため、その芸術的完成度は極めて高く、観る者を圧倒した作品となりました。他方、ヒトラーを精悍な指導者としてクローズアップし、集団体操(マスゲーム)の様式美・構成美を強調するとともに、観衆がヒトラーに対して一斉にナチス式敬礼をするシーンをダイナミックに描いたため、監督のレニ・リーフェンシュタールは、芸術的で美しい記録映画であるという称賛と、ナチスのプロパガンダ映画であるという批判の両方を受けました。このことについては、「ナチスに加担したことは許せないが、記録映画としてはたいへん美しいことを評価すべきである」とするのが現代までの一般的な評価であり、批判の方は『オリンピア』以前にオリンピックとは関係のないナチスのプロパガンダ映画をリーフェンシュタールが製作していたことにも向けられているようです。

 ということで、個人的な感想。「撮り直し」なども行ったわけで、そうなると果たしてこの『オリンピア』なる作品がドキュメンタリー映画なのか、純粋なオリンピック記録映画なのか、というツッコミも入れたくなりますが、そんなことは「芸術性」の前ではどうでもいいことなのでしょう。そして、少し気になったのがこの『オリンピア』2部作がともに「1938年ドイツ映画」であり、ともに「1940年キネマ旬報外国映画ベストテン」であったこと。ベルリン大会が挙行されたのは1936年でしたので、ドイツ本国での公開まで2年、本邦公開までさらに2年を要したことになります。
 まず、製作に2年を費やしたのは意外でした。いくら「撮り直し」などの演出があったにせよ、ちょと時間がかかり過ぎのような気がします。まあ、リーフェンシュタールにしてみれば作品的な失敗は許されなかったでしょうから、推敲に推敲を重ねたのですかね。そして、日本公開が1940年ということですが、本来ならば東京でオリンピックが開催されるはずが、当時の世界情勢のより中止に追い込まれた年でした。そんな国情下で、情報としては知っていた4年前のオリンピックが実際にはどうあったのかをまとまった映像として日本の観客は観ることができたわけで、この『オリンピア』2部作を観た観客は大喜びし、ドイツという国家を信用する、という誤った認識を持つ要因の一つとなった旨を、本展示アイテムに収録されている解説映像で淀川氏は語っておられました。まあ、それが本質なのかどうかはわかりませんが、その当時を生きた淀川氏にはそのような社会の気分が感じられたのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=H3LOPhRq3Es
#DVD #淀川長治 #民族の祭典 #オリンピア #レニ・リーフェンシュタール #美の祭典 

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    Jason1208

    2021/07/05 - 編集済み

    リーフェンタール女史は、後年「ナチのプロパガンダに協力した」とそしられても、特に自己弁護はせずに毅然としていたと聞きます。
    そして映像作品は生き残りました。
    日本でも戦時中の国策映画に協力したと、何人もの映画人が公職追放の憂き目を見ましたが、当時の自己弁護をしなかった人ほど後に正当に評価されて、復活してるように思います。

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      woodstein

      2021/07/06

       Jason1208さん、コメント有難うございます。公職追放された日本の映画人に関しては、私はあまり知識がないので何も言えませんが、まず思い出されるのが円谷英二ですね。別のフロアに『総特集 円谷英二 生誕100年記念』なるアイテムを展示しているのですが、公職追放については巻末の年譜にその事実が記載されている程度でした。1948年に公職追放指定され、1952年に指定解除はされたのですがこの間はかなり困窮したらしく、それに耐えられたからこそ、解除後の大活躍があったのでしょう。

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    オマハルゲ

    2021/07/06 - 編集済み

    オリンピックの映画を変えた名作ですね。この映画がなければ市川昆の「東京オリンピック」も実現しなかったでしょうね。

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      woodstein

      2021/07/06

       omaharuge102さん、コメント有難うございます。確かに市川崑監督の『東京オリンピック』もこの『オリンピア』2部作を意識しないで製作されないはずがありませんよね。その点については、隣接の『美の祭典』のDVDの展示紹介文でも掲げた『白い恋人たち』『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』に関しても同様で、作品を観れば作家諸氏の『オリンピア』2部作への対抗意識がそこはかとなく伝わってくるようでした。

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      オマハルゲ

      2021/07/06 - 編集済み

      自分はオリンピックの記録映画は、woodstein さんの仰る「白い恋人たち」「時よとまれ、君は美しい」以外の映画については全く聞いた事がありません。それだけこれらの映画のみが作家性のある印象に強く残る作品になったんでしょうね。

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      woodstein

      2021/07/09

       omaharuge102さん、再びのコメント有難うございます。オリンピックの記録映画の作家性については、DVD『美の祭典』の展示紹介文に記したとおり、それほど作品を観ていないのであまりモノは言えないのですが、1972年札幌大会の『札幌オリンピック』は篠田正浩監督、1992年のバルセロナ大会の記録映画はその一部をカルロス・サウラ監督がそれぞれ担当しており、これらの作品についてはそれなりの作品性があったのでは、という勝手な想像を私自身はしています。

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      オマハルゲ

      2021/07/10

      そうそう「札幌オリンピック」が抜けてました。日本だったから見た事はありましたが、開催地が外国だったら見てなかったと思います。1960年のローマ、1968年のメキシコ、あたりはもうちょっと映画として話題になっててもいいのかなと思いますが全く聞いた事ないです。

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