涅槃 ねはん

初版 2023/07/19 21:38

改訂 2023/07/19 21:38

サンスクリット語でニルヴァーナは『(火が)吹き消された状態』をさし、仏教では人間が存在を自ら意識する生の環境の百雑(ひゃくざつ)から解放された状態、つまり『死』である。何が吹き消されるのかといえばおそらく生きることで増えて行く煩悩なのだろう。
ボク達が日本語で聞く『涅槃』=『ねはん』はその語感からからの造語のようだ。

如来が横になって目を閉じているいわゆる涅槃像は『死』の姿だけれど、そこには入滅(釈迦の死)の瞬間までの涅槃とそれが去った後の『魂の生』としての死後がある。

有余涅槃、後者を無余涅槃という。


死後の悟りは仏教徒の意味づけであり、意味されるものが絶対者であるからこそ有意がある。
釈迦のニルヴァーナは死してなお半眼である。
涅槃像が意味するものは、パーリ語の教典を研究された方、中村(名前の方は忘れた)さんによれば、そんなに大げさな境地ではなくて安らかな心でえることが出来る静寂の境地を言うらしい。
半眼の涅槃像は
確かにボクにはそんな風に見える。

でも、目を閉じて死ぬしかできないボクのような相対者には魂の生は考えられない。

ニルヴァーナという言葉で思い出す音楽がふたつある。

一つはエルネスト・ブロッホのニルヴァーナ。1923年に作曲されたジョン・ケージに通じる20世のピアノ曲。ほつ、ほつとつぶやくような低音に左手が対照的な生命感のある音を付けて行く。単音が徐々に変形しつつ

死が点から面に滲むような色合いのレント。中間部はやや動きがあり色がある。短い再現部はやがて繰り返しが消えるように静まる。死の向こう側の扉が開かないのか左手がドアを叩く。静かな有余涅槃 これはもう、完全に横たわって目を閉じちゃってる。

もう一曲は生々しい。ニルヴァーナは曲ではなくてグループの名称である。

1980年代に非常にインパクトのあったロックバンド。
ボーカルのカート・コバーンの慢性的なヘロイン使用から来る不可避的な死によって、活動を終えた。

スメルズ・ライク・ティーン・スピリット を最初に聴いたときのあっち側に逝ってしまったようなかっとんだ印象は今もって変わらない。

彼らは生の状態で平安であったわけでもなく、トランス状態にあったわけでもなく、『ニルヴァーナ』というバンドネームに囚われていたわけではない。
でも、今聴いてみても、ボーカルのハスキーボイスに、心理的に壊れかけた危うさに惹かれるものがあった。間違いなくトランス状態のときにあっちを見たことがあるよ彼は。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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