今の昔拾い

初版 2023/06/12 14:21

改訂 2023/06/13 10:37

表紙の写真について一冊目の表紙。
これは私の普段のウォーキングのコースよりも遠い,一山越した隣の砂浜の近くの堤防の護岸壁でちょうど引き潮で露出した海側に降り、その護岸に寄りかかりながらスマホで撮影したものです。
昔の堤防や特に海岸沿いの道路のコンクリートは今のアスファルトのような味気ないグレイや黒や彩色された細かい岩石のクラスタで固められたものではなく、こんなにいろんな種類の石ころがコンクリートに混ぜ合わされ頑強に作られていました。
太平洋の波に洗われ、石たちを巻いていたコンクリートは侵食されてデコボコの石たちが目を覚ましています。


石たちは太古の地球の鳴動から生まれ、あるものは溶け合いあるもの長い地殻の変動や圧力で堆積され、大地の変動や気象の変動、大陸自体の移動で、我々の目の前にあります。火山の熱に耐えられない私はいまだ生まれたての岩石を見たことがありません。
幼いころ石けりに使った石は私よりはるかに長生きしてきたものだったし、水きりの回数を競った平たい砂岩や流紋岩も想像の付かない年寄りです。


人類の過ごしてきた時間は地球上の時間の中では指先についた砂粒程度のものでしょう。
忙しさに自然を振り返ることがなくなっていた私が、そろそろ終活のことも考え始めた今、ようやく自分の足元に光っている赤や緑や黄色や黒の様々な色の重なりを見せるコンクリートに練り込まれた、石たちの個性に目を向けられるようになりました。
少年時代に熱中した蝶の採集、魚釣り、野山に咲く花、過去に生きていた生物のかすかな痕跡である化石の採取 それらにはすべてその時代の自分が同時に見える思い出です。
でも、石は違った。昔からそこにあったのに私はそれを自分とリンクさせるだけの興味がなかったんですね。
コンクリートの歩道や道路、そこにはその時代のガラス片や石のかけらが磨かれて自己主張しています。
それを眺めながら今、山から下りてくる川あちこち、その川の流れが終わる海辺のあちこちを歩き回って、地球そのものの歴史を拾い集めるのは、楽しい。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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