最期のソナタ 煤と膠(すすとにかわ)

初版 2023/07/06 15:56

改訂 2023/07/06 22:14

ベートーヴェン/ピアノソナタ第32番ハ短調op..111

第1楽章 マエストーソ  アレグロ コン ブリオ エド アパッシオナート

第2楽章 アリエッタ .アダージオ モルト,センプリーチェ エ カンタービレ

何度聴いても掴みどころがなくて、水の底が見えてるはずなのに覗きこむと蒼く澄んだ水の底は息を止めていられる間にはとても届かない。
すべてが濃く粘着力のある煤のような、指先についたが最後容易に洗い流せない個性。

到達し、音化した情熱の最終形態。
その意志の濃さと有機的に結びつく精神の浄化。
極めて個人的で主観的な音楽の自由が白い和紙の上に墨痕として太く残ってゆくその筆跡は好き嫌いは別にして普遍的。


第1楽章は作品57で閉じたはずの高度で技術的な攻撃性と荒々しさが太い筆致を残す。
ペンよりも先に頭で鳴っている音楽が突っ走りながらも、短いコーダには滲むように第2楽章を予感させてゆくあたりは、怜悧な設計を感じさせる。
どこに向かって収斂させるべきか、ハ短調からハ長調への道筋に明確さが見える。

第1楽章はこれに続く主題と5つの変奏が最も映える形で消えるように閉じる。

第2楽章は第1楽章で描いたコーダの残像が耳に残る間に滲むような波紋の中から揺れるように歌われて立ち上がる。
変奏の中にこれほどの深い内省が覗ける音楽はあまりない。
主題と変奏のバランスや技術的な処理などというものではない。
煤はもう燃え尽きた煤ではなく、膠で練固められた表現のための精神的な塊である。
そこから『フランツくん君はここにいるよ』とでも言っているような、つぶやくような厳しい叙情があったりする。
そして、何度聴いてもその歌の無比な高さの中に転調されて弾ける即興性を感じさせてやまない間奏。
短いがここだけ取り出せば、それは伝統音楽の中に不意に降りてきたラグタイムのようであり、驚くほど近くにジャズのイデオムが聴き取れないか。

ピアノ・ソナタという楷書から引き出された2楽章の行書。
煤(すす)と膠(にかわ)はそこに加えられた香気によって深い墨痕を心に残す。
様々に語られるベートーヴェンの姿はボクの中ではどうしても彼の後期の作品と結びつかない。
何度も繰り返して聴くほどに、ベートーヴェンという名はボクの耳から抜け落ちてゆく。
他にどんな聴き方をすればいいのだろう。

ふと気が付くと、もうこの作品を聴くような季節を過ぎたのだと思った。暑い夏が来る。

様々な演奏があるけれど、現代の方から遡る演奏。少し墨が薄いけれどね。第2楽章を

このマリヤン・ドゥゼルというクロアチアのピアニストをボクは初めて聴いた。すべてをゼロになるまで慎重に引く(弾く)。墨の擦り方が足りない楷書書き、と思ったら突然糸が切れたように墨が濃淡を以て筆致が自由になる。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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