Band of Brothers - 何故、我々は闘うのか 

初版 2023/06/27 20:23

改訂 2023/06/27 23:41

『プライベート・ライアン』で描いた世界をさらに深く掘り下げるべく、さらに映画で限定される説得の時間をノンフィクションの枠の中に展開するため、このきわめてプライベートな戦争ドラマは10話の枠で10時間余りという構成で製作された。

戦争物のドラマとしてはきわめて掘り下げの深い物語だと言える。
物語は42年から45年までの3年間、第二次世界大戦中、米陸軍101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊のなかのエリート部隊「E中隊」の苛烈な戦いのプロセスを、兵士たちの人間模様を軸に描いたものだ。

全編の中で使用される音楽の素晴らしさが群を抜いている。この兵士の内面、戦場の悲惨、死を踏み台にした勝利、それぞれのシーンにただ呆然と立ち尽くすような肺腑を突かれる旋律が、ドラマのシーンに別のドラマを生む。
その中でいまだに忘れられないシーンがある。良くは記憶していないがモノクロームの収容所に収容されたおそらく音楽家四人が、収容施設外側に作られた広くはない場所で、泣きわめきながら駆け回る女性、力なく立ち続ける虜囚たちの中で、四つの楽器を取り出す。
そこで演奏される音楽。
ボクとしては戦争の悲惨、悲壮を語るための音楽の挿入が観るものにとってそれが適切なものかどうかとか、作品自体の出来がどうだとか言うつもりはさらさら無い。

ただ、その映像の部分にベートーヴェンの作品131の弦楽四重奏曲が使用されたこと。それがBGMとしてその臨場を印象付けるものとして扱われたのではなく、その音楽を演奏する恐らく、戦前4人で重奏していた仲間たちがドラマの中で演奏したシーン自体に非常に胸に迫るものを感じた。
この弦楽四重奏曲はその分野の古今の音楽で、ボクの最も好きな曲であり、全ての解決が終楽章によって解放される部分を本当に素晴らしいと思っている。
その曲が物語の映像をの中で演奏された。

ただし、そこには終楽章に至る安息と諦念、悲嘆の結晶と透明な浄化の橋渡しをするアンダンテ・クワジ・ウン・ポコ・アンダンテのあの澄み切った哀しみが流れるのみであった。

本来ならば一拍おいて総奏される、四つの楽器の下げ弓が、強くアレグロに繋げる部分、その部分が消え入るように糸を引いて閉じてしまい、ヴァイオリンはそこで演奏者達の無言の諦念とともにケースに戻され、ふたが閉じられるのです。

それは展開される映像の残酷と酷薄と正と正がぶつかり合うときの救いのない悲劇の真実に近いものが確かに予感された。

そこには終楽章のあの俯いた貌が自然とあがり、再び前を見据えることができる解決の音楽がないのです。

イマジネーションによって生み出された精神の芸術と事実を克明にすることによって普遍的な精神に達しようとする映像の違いがまざまざと見えた気がしました。






ドラマのシーンは既に削除され、音楽がそのまま残っていました。
やはり、終楽章は演奏されていませんでした。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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