月報 新世界レコード 1950年代

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新世界レコードは、旧ソビエト盤を中心に販売していた会社です。設立当初の状況を整理すると、こんな感じです。

1955.07 古鷹産業が新世界レコードの名称でソ連盤を輸入開始(証言日本洋楽レコード史)
1955.11.20 第1回新譜が発売される(レコードタイムス1956年1月号)
1956.02  新世界レコードが古鷹産業レコード部から独立し、新世界レコード株式会社となる(証言日本洋楽レコード史)
1957.01.22 新世界レコード株式会社が販売業務を日本ビクターに委託した(レコード年表)
1958.05.31 新世界レコード株式会社が解散した(レコード年表)
         その後、改めて設立し直され、日本ビクターの資本が入ったようです。

こういう特色あるマイナー・レーベルは特定の個人の強い思いに裏打ちされている場合が多く、この新世界レコードも社長の「帆足計」氏の意向に沿ったレーベルだったと言っていいと思います。ガウク、ムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキー、ヤンソンス、オイストラッフ、コーガン、リヒテル、ギレリス、アシュケナージ、オボーリン、ロストロポーヴィッチ等々、このレーベルによって日本に紹介されました。

但し、当時のソ連は西欧諸国ほど録音技術が発達しておらず、その点でのハンデも抱えていました。
そんなこともあってか、来日したアーティストの国内録音も積極的に行っていました。その中でも注目すべきは、1958年に来日したレニングラード・フィルのライヴ録音です。この時はムラヴィンスキーが病気で来られず、ガウクやザンデルリンク、ヤンソンス(父親のアルヴィド・ヤンソンス)らに率いられていました。月報の1958年8月号には、ガウク(この指揮者はムラヴィンスキーの先輩格になります)指揮でチャイコフスキーの「悲愴交響曲」等のライヴ盤が紹介されています。
更には、録音がステレオで録られたことも書かれています。演奏会が 1958.5.12 で、ライヴ盤発売が 1958.6下旬というとてつもない早業で出されたこのLP、もちろん初版はモノラルです。(まだステレオ・レコードは国内にはありませんでした) 恐らく、時期が熟せばステレオ盤も発売するつもりだったのでしょう。
が、残念ながらそれは実現しませんでした。

1959年にはチェコのスプラフォン・レーベルが加わり、11月5日に第1回新譜が発売されます。ヴァーツラフ・ターリッヒ指揮チェコ・フィルによるドヴォルザークの「新世界より」(PSH-1)です。なお、このレコードの音源は、ターリッヒの同曲2度目の録音(1949年録音)とする記述を見たことがありますが、残念ながら音を確認したことはありません。

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