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1973年8月16日発売 ザ・ビートルズ1967年〜1970年 オープン・リール
タイトル:ザ・ビートルズ 1967年〜1970年 形態:オープン・リール レーベル:Apple 品番:EAXA-5098B 定価: ¥4,200 発売日:1973.08.16 通称「青盤」と呼ばれているベスト盤のオープン・リールです。 レコードの発売が 1973.05.20 ですから、約3ヶ月遅れの発売です。 「青」が出てるということは、当然「赤」もあると思いますが、 同じ月報には載っていません。 先行していたのかもしれません。 収録曲そのものはレコードと同じですが、表示通りの曲順なのだと すると、「レヴォルーション」と「バック・イン・ザ U.S.S.R」が 入れ替わっています。 ここはレコードだと1枚目と2枚目の分岐点になるところなので オープン・リールでは、そこが違っていることになります。 発売日等は判りませんが、赤・青は、もちろん8トラやカセットも 発売されていました。 #ミュージック・テープ資料 #オープンリール資料 #ビートルズ
ビートルズ 音楽 ザ・ビートルズ 1967年〜1970年 東芝音楽工業chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1963年11月号
「ミュージック・ライフ」1963年11月号です。 (全126ページ) 雑誌のサブ・タイトルが「ポピュラー・ミュージックの雑誌」 となっています。 編集者の一人として星加ルミ子さんのお名前が見えます。 画像1 表紙 ジョニー・ソマーズ。 画像2 ピーター・ポール&マリー フォーク・ソングも聴かれるようになって来ました。 画像3 伊東ゆかりさん この写真はデビュー当時(1958年)のものではないでしょうか? 少なくとも1963年の姿ではないでしょう。 画像4 加古幸子&安岡力也さん シャープ・ホークスは、既に結成されていると思います。 画像は掲載しませんでしたが、東京第一プロダクションの広告ページに 所属タレントとしてシャープ・ホークスの名前があるので、 間違いないでしょう。私などは、グループ・サウンズ時代のイメージが 強いのですが、この頃の活動内容は大部違っていたようです。 加古幸子さんは最初期のメンバーだった方ですが、ステージでは ポールとポーラのナンバー等を、こうしてデュエットで披露していた のかもしれませんね。 因みに加古幸子さんは、後にサリー・メイと改名し、 金髪&巻き舌の演歌歌手としてソロ・デビューしています。 (この写真からは、全くイメージできませんが) 画像5 サミー・デイヴィス・Jr この年が初来日だと思います。 本物のエンターティナーの芸は、インパクトが大きかったようです。 画像6 来月のヒット予想番付表 東の横綱としてロネッツが挙げられています。 発売当初は「あたしのベビー」で、後に「ビー・マイ・ベイビー」に 変わったわけですが、「青い慕情」という邦題は どこから来ているのでしょうか? 実は、ロネッツ盤に遅れること21日の 1963.11.10 に ジョニー・ディアフィールドのカバー・バージョンが コロムビアから発売されており、そこにこの邦題が 付けられているのです。多分、ここから来ているものと思います。 画像7 スターの近況 坂本九さんが日本専売公社(の工場)の一日局長を務めた、 という記事が出ています。 今の時代では、イメージ的によろしくないかも…… 念のため附記しますが、日本専売公社は、 今の日本たばこ産業(JT)です。 画像8 ホリ・プロ広告 若き日の堺正章さんです。 所属タレントに「田辺昭知とザ・スパイダース」が載っています。 堺正章さんはまだ加入する前だと思いますが、かまやつひろしさんは どうなのでしょう? グループとは別に個人名で載っています。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥150 1963年11月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1962年2月号
「ミュージック・ライフ」1962年2月号です。 (全98ページ) 画像1 表紙 ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ。 ジミー時田さんの右隣りがいかりや長介さん(ベース)、 左隣りが寺内タケシさん(ギター)、 更にその左側はジャイアント吉田さん(マンドリン) でしょうか。 <明日を歌う10人の女性歌手 山村雅昭作品集より> 画像2 森山加代子さん(東芝) 画像3 渡辺トモ子さん(グラモフォン⇒東芝) 後にジェリー藤尾さんと結婚されます。 波多まゆみさん(グラモフォン) 本名北畑靖子さん、1943年4月29日生まれ 1961年4月、ポリドール・レコードからデビュー。 デビュー当時は、東京パンチョスの専属歌手でした。 シングル盤が10枚以上出ていますが、大きなヒットは なかったようです。 ポール聖名子さん(コロムビア) 確か、シリア・ポールさん(モコ・ビーバー・オリーブに在籍、 ソロで「夢で逢えたら」が有名)のお姉さんだったと思います。 画像4 斉藤チヤ子さん(東芝) 中古盤市場で人気の高い方です。 この方は「ストップ・ザ・ミュージック」のカバー盤を出していますが、 オリジナルのディック・ジョーダン盤と同タイミングの発売です。 (どちらも1963年8月新譜) おそらく、発売前のテープの段階から「斉藤チヤコさん向き」として 準備していたものと思います。 (センスいいですね) 西田佐知子さん(日本マーキュリー⇒グラモフォン) デビューは日本マーキュリーからの「伊那の恋唄」でした。 (1956年10月臨発) 画像5 弘田三枝子さん(東芝⇒コロムビア⇒キング) 画像6 中尾ミエさん(ビクター⇒アポロン?⇒コロムビア?) ザ・ピーナッツ(キング) 仲宗根美樹さん(キング) 大ヒットした「河は流れる」はデビュー曲ではなく、第4弾のシングル でした。(発売当初はB面曲) 画像7 ビルボード・チャート トップは「プリーズ・ミスター・ポストマン」(マーヴェレッツ)。 画像8 弘田三枝子さんの初LPが紹介されています。 (1961年12月中旬に臨発されています) #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
¥100 1962年2月 1962年2月1日chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1962年1月号
「ミュージック・ライフ」1962年1月号です。 (全102ページ) 雑誌のサブ・タイトルが「ポピュラー音楽の専門誌」になっています。 画像1 表紙 弘田三枝子さん。 画像2 スリー・ファンキーズ シャボン玉ホリデーの放映も始まっていたようです。 画像3,4 プロダクション系の広告 この頃のML誌は、プロダクション,音楽事務所系の広告が多いようです。 特に1月号は新年号ということで、新年の挨拶が多数掲載されています。 画像3は堀プロ、画像4は金井事務所です。 ヴォーチェ・アンジェリカも、写真は少な目ではないでしょうか。 画像は掲示しませんでしたが、 もちろんナベプロも3ページも使って広告しています。 画像5 広告主体不明の広告(!?) 楽曲の広告なのですが、 レコード会社もアーティストの事務所も跨がっています。 考えられるのは、楽曲の版権を持つ出版社でしょうか? 案外、雑誌そのものの発行主体である新興楽譜出版社の 可能性が高いのかもしれません。 画像6 レコード街早耳横丁 グラビア・ページにも載っていましたが、スリー・ファンキーズの レコード・デビューが報じられています。 このグループのレコードは、LP(25cm)がデビュー盤となっています。 (JP0-1160 1962年1月下旬臨発) シングル盤は、同年4月の発売です。 画像7,8 おしゃべりジョッキー ゲストは弘田三枝子さんです。 初めてのステージは「駐留軍のキャンプ」だったと語られています。 「プレンダ・リーが大好き」というのは納得ですね。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥100 1962年1月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1960年10月号
「ミュージック・ライフ」1960年10月号です。 (全90ページ) 画像1 表紙 坂本九さんを含めたパラダイス・キングの面々。 画像2 日劇ウエスタン・カーニバル ステージがスカスカで、殺風景に見えます。 画像3 ザ・ピーナッツ 国内での活躍はもちろんですが、海外盤レコードの多かった アーティストです。 それも「上を向いて歩こう」を「スキヤキ」として出すとか、 そういうことではなく、 ドイツ語の現地オリジナル曲などがあったりします。 この海外でのレコーディング実態の全容が、なかなかつかみにくい という話を聞いたことがあります。 画像4 ブレンダ・リー デビューが早かったため、キャリアは長いのですが、 1944年の生まれなので、例えばポール・マッカートニーや ジョージ・ハリスンなどよりも年下になります。 それにしても、この写真は随分と若いというか… 画像5 ユア・ヒット・パレードのチャート 映画音楽が多いなと思います。 「太陽がいっぱい」のレーベルが「朝日ソノラマ」となっているのが 気になったので調べてみました。 日本でヒットしたのはフィルム・シンフォニック・オーケストラ演奏の ポリドール盤(DP-1183)でしたが(サン・トラではない)、 発売が1960年8月20日と遅かったのですね。 朝日ソノラマのソノ・シートが同年5月21日発売なので、 その音源を放送では使っていたのでしょうか? 現物を探して確認しましたが、このシートに収録されている音楽は、 ポリドール盤とは違っており、セリフ等も入っていることから、 本物のサン・トラだろうと思います。 右側のブライアン・ハイランドやベンチャーズは、 ビルボード・チャートの記事です。 ちなみにベンチャーズの最初の国内盤レコードは 1960年10月5日発売(VictorWorld RANK-1075)なので、 音楽雑誌に写真が紹介されたのは、この辺りが最初かもしれませんね。 画像6,7 おしゃべりジョッキー ダーク・ダックスのソ連公演の話が語られています。 当時のソ連のジャズ事情など、興味深いです。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥100 1960年10月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1960年2月号
「ミュージック・ライフ」1960年2月号です。 (全90ページ) 画像1 表紙 フル・カラーになりました。 旗照夫と園さゆりさんです。 園さんは全く存じ上げませんが、このお二方が結婚されるということで こんな表紙が出来上がったようです。 画像2 新人登場 アントニオ古賀さん 若い頃の写真が、近藤真彦さんに似ているような… 画像3 江利チエミさんの休日 フライパン片手にしっかり「サザエさん」してます。 スリッパは、ミッキーマウスのようです。 画像4 佐々木イサオさん 楽団紹介のページですが、「ウエスタン・キャラバン」の ヴォーカル・トリオのひとりとして紹介されています。 当時まだ高校生だったとのこと。 画像5 人気投票の中間発表 国内の歌手やミュージシャンに絞られているようです。 男性歌手の顔ぶれを見ると、ロカビリーなんだなと感じます。 ただ女性シンガーと比べると、投票数が桁違いに低いですね。 男性中心の読者層だった、ということでしょうか。 22位の「かまやすヒロシ」というのがチョット… 画像6 クリフ・リチャード イギリスの新人ロック歌手として紹介されているのですが、 クリフォード・リチャード!? 画像7 当時のロックン・ロールもの 「レッド・リヴァー・ロック」に対するコメントは、今とほとんど 変わらないような気がします。極めてシンプルな曲なんですが、 つい聴きたくなります。 ファッツ・ドミノの「ビー・マイ・ゲスト」、こういう曲の 国内盤のシングルが発売されていたんですね。 (ビクター IMPERIAL IMP-1047 1960.1.5発売) クリフの「ダイナマイト」は、コロムビアから発売された初版です。 (LL-216 1960.1.10発売) ヒットしたのは、東芝に移ってからの再発盤でした。 それにしてもコメントを書いた「本誌・セッちゃん」さん、 良いセンスしてますね。 画像8 新譜LP紹介 ポピュラーのLPも紹介されるようになっています。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥100 1960年2月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1956年2月号
「ミュージック・ライフ」1956年2月号です。 サブ・タイトルが「ジャズの月刊雑誌」となっています。 (全60ページ) 画像1 表紙 ベニー・グッドマン物語の撮影風景より。 この頃公開された映画「ベニー・グッドマン物語」にちなんで ベニー・グッドマン特集号となっています。 詳しくは判りませんが、表紙系は3c(3色カラー)なのではないか と思います。 画像2 映画のスナップ 上はライオネル・ハンプトン(本人出演)との演奏シーン。 下はカーネギー・ホール・コンサートの場面より。 画像3 その他の写真 上は、ニューヨークでの映画試写会の模様。 なんだか「A Hard Day’s Night」の試写会の様です。 下はグッドマン一家。 画像4 映画に寄せる言葉 当時の日本のミュージシャンたちのコメントです。 映画のストーリーが必ずしも史実と一致しない、ということは そこをポイントとした記事も載せられていますので、 詳しい人にとっては、言わずにはいられなかったのでしょう。 他にも、演奏と画像が合っていないとか、 色々と注文はあったようですが、 こういう映画が作られたということは、一様に歓迎していたようです。 画像5 人気投票の中間発表 内外のプレイヤーとシンガーのページです。 ルイ・アームストロングは、プレイヤーとシンガーの両方に ランキングされています。 画像6 ユア・ヒット・パレード順位表 「ユア・ヒット・パレード」(文化放送のラジオ番組)は、 1955年10月から放送開始とありますが、 チャートの掲載はこれが初めてだったようです。 「エデンの東」は、超ロング・セラーだったようです。 レコードはビクター・ヤング盤でヒットしましたが、 映画のサン・トラとはかなりテンポが違っていました。 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」も しっかりチャート・インしてます #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥100 1956年2月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1954年6月号
「ミュージック・ライフ」1954年6月号です。 (全60ページ) 画像1 表紙 ローズマリー・クルーニー。 画像2 ジョセフィン・ベイカー この年春に来日したジョセフィン・ベイカーのステージ・フォトです。 画像3 ニュース・アラカルト そのジョセフィン・ベイカーのステージ評で出ています。 好意的に受け止められていたようですが、 観客には「ザーマス族」(これは死語ですね)が多かったとも… 同じコラムにティーン・エイジャーの新人として 東郷たまみさんと朝丘雪路の名が見えます。 画像4 モートン・グールド アメリカからの新着ポートレートの中に、モートン・グールド の姿があります。(表記はモートン・ゴールド) モートン・グールド楽団は、かつての日曜洋画劇場 エンディング・テーマの演奏者として記憶に残っています。 淀川先生の「さよなら×3」が終わってあのメロディが始まると 「休日もこれで終わりだな」という曰く言い難い気分に襲われました。 因みに曲名は So In Love、作曲はコール・ポーターです。 画像5,6 アカデミー賞関連の写真と記事 写真は「カラミティ・ジェーン」「ローマの休日」「リリー」。 映画に関する情報は少な目の雑誌なので、拾ってみました。 画像7 キューバ音楽のリズム楽器について ラテン系のパーカッションがイラスト付きで説明されています。 ページの右側には、マラカス,ボンゴが掲載されています。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥100 1954年6月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1954年3月号
「ミュージック・ライフ」1954年3月号です。 表記も「ミュージック・ライフ」になっています。 (全60ページ) 画像1 表紙 ウディ・ハーマン。 画像2,3 写真ページ 上質紙を使った写真ページが入っています。 アメリカの「ダウン・ビート」誌の人気投票の発表です。 フォア・フレッシュメン、デイヴ・ブルーベック… 皆さん若い! 画像4 レス・ポール紹介 抱えているギターが、レス・ポール・モデルではないです。 機材らしきものや、ケーブル類など、いかにもという感じです。 画像5 ノド自慢族へのアンケート 文化放送で「ジャズノド自慢」という番組が放送されていたそうで、 その応募者82名にアンケート調査が行われていました。 尚、番組は1953年から放送開始された日本TVでも オン・エアされていたようです。 画像5は、その質問項目です。 興味を持ったのは、(10)「テネシー・ワルツ」「ジャンバラヤ」 「プリテンド」は『ジャズ』の曲でしょうか という問です。 画像6 アンケート結果 なんとと言うべきか、やはりと言うべきか、 半数以上の44人が「ジャズの曲」と答えています。 正に「流行歌とクラシック以外の洋楽は、全部ジャズ」で一括り なんですね。ノド自慢に応募するような人たちでこうなのですから、 より関心の低い一般層は、ほとんどそういう認識だったのでしょう。 さすがにライターは「本当はそうじゃないんだけどな…」と 判っているようですが…… 画像7 ティーブ釜范さん 渡辺弘とスター・ダスターズのページですが、左下の写真には、 ティープ釜范さんが写っています。(ペギー葉山さんの右上) もちろん、ムッシュ(かまやつひろし)のお父さんです。 この時代は、スターダスターズのヴォーカル・トリオに 参加されていたようです。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 1954年3月号 1954年3月1日chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1952年5月号
「ミュージック・ライフ」1952年5月号です。 表記は「ミュジック・ライフ」です。 表紙・裏表紙のみが二色刷りで、本編はすべてモノクロです。 (全48ページ) 雑誌としての体裁は、前回紹介した1952年3月号とあまり変ってないので、 第1回の人気投票の結果を中心に見ていきます。 画像1 表紙 黒田美治さん(チャックワゴン・ボーイズ)です。 画像2,3 ランキング 画像2がバンド、画像3が個々のプレイヤーです。 例えば、画像3の「フルバンド」のランキングに ペギー葉山さんの名前がありますが、 これはスターダスターズの専属歌手としての地位によるものだと思います。 ラテン系はまだまだこれからのジャンルなのでしょうか、 東京キューバン・ボーイズの一人勝ちですが、プレイヤーを見ると リーダーの見砂直照さんを抑えて、専属歌手の竹平光江さんがトップ になっています。 画像4,5 トップ・プレイヤーの面々 画像6,7 トップ・バンドの面々 何せロカビリーよりも前の時代であり、名前だけは知っているものの、 写真を見ても「あっあの人!」とならない方も多かったりで…… 画像8 裏表紙 コロムビアは、ドリス・デイの「ムーンライト・ベイ」を広告しています。 ビートルズもイギリスのTVショウで披露していた曲です。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥80 1952年5月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1952年3月号
「ミュージック・ライフ」1952年3月号です。 表記は「ミュジック・ライフ」です。 表紙・裏表紙のみが二色刷りで、本編はすべてモノクロです。 (全48ページ) 画像1 表紙 トランペットの松本文男さんです。 画像2 人気投票 ML誌恒例の人気投票が始まっています。 この1951年度が、初めての試みでした。 当時のジャンル区分は、こんな感じだったんでしょう。 画像3 「ジャズ学校」紙恭輔さん 不勉強でよく存じ上げなかったのですが、紙恭輔さんは 日本のジャズ,ポピュラー,映画音楽等の草分け的存在だった 方のようです。 画像4 「映画音楽のベージ」清水光雄さん 映画を見ながら、活弁よろしく解説者が実況中継する、 そんなスタイルのラジオ番組があったようです。 (もちろんラジオの聴取者は、映画を見られません) ここで語られている「カーネギー・ホール」は、ブルーノ・ワルター をはじめ、戦後間もない頃の音楽家の活動を捉えた貴重なもので、 1980年代に、¥14,800 でVHSソフトを買い求めました。 画像5 「デューク・エリントンと傘下のスター達」いソノてルヲさん いソノてルヲさんの声は、まるでアナウンサーのように端正で聞きやすく、 今でも記憶に残っています。 画像6 新譜レコード紹介 1952年3月時点では、日本でLPを発売していたのはコロムビア一社のみで それも総てクラシック音楽でした。ボピュラー系はまだSPオンリーという 時代です。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥80 1952年3月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1951年11月号
「ミュージック・ライフ」1951年11月号です。 表記は「ミュジック・ライフ」です。 表紙・裏表紙のみが二色刷りで、本編はすべてモノクロです。 (全48ページ) 画像1 表紙 画像2 目次 1940年代の歌本とは全く違っており、紙面が一新されています。 楽譜もありますが、巻末に7ページほどです。 ハーモニカ譜はなくなり、バンド・スコアが掲載されています。 雑誌全体としては、ジャズ系の情報が多いようで、 タンゴ,ラテン,ウェスタンなども取り上げられています。 画像3 「私の想い出」バッキー白片さん ホノルル生まれのバッキーさんの小自叙伝です。 アルバイトでお金を貯め、リッケンバッカーのスティール・ギターを 買ったと書かれています。 戦前の話と思いますが、日本には電気のスティール・ギターがほとんど無く アコースティック・ギターの上に普通のマイクを置いて やっていたそうです。 ギターを横に寝かせ、スライド奏法でやっていたということかな!? 画像4 名曲解説「タキシード・ジャンクション」 音楽に関わる情報は、ラジオと雑誌が中心だったものと思います。 これは1960年代になっても、基本的には同じでした。 新しいネタを仕入れると「お前、この話知ってるか?」と、人に話したくて 仕方なくなったものです。 画像5 ダイナ・ショア・アルバム 「シングル」に対する「アルバム」という言い方が、 SP盤由来であることを明確に示しています。 ここで紹介されている「ダイナ・ショア・アルバム」は LPではなく、SPの組物のことです。(この場合は3枚組) SP盤は厚くて重いので、 セット物のケースも分厚く丈夫に作られていました。 盤を選ぶ時に、パタンバタンとページを繰っていたわけです。 ケースの作りや、ページを繰る所作は、 写真のアルバムとそっくりだったのです。 画像6 新譜レコードとラジオ番組紹介 ラジオの音楽番組は、生放送中心だったんでしょうね。 画像7 バンド・ニュース バンドの格付けなど、結構シビアです。 写真はフランキー堺(堺正俊)さんですね。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥80 1951年11月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 沿革
ミユージック・ライフ誌の第1回目は、 その沿革をたどってみたいと思います。 以下、現シンコー・ミュージックのサイト情報からです。 1937年 「ミュジックライフ」の創刊 歌謡曲の投稿誌だったとのことです。 さすがにこの時代の現物は所有しておりません。 1940年 当局の干渉の為に「歌の花壇」に誌名変更 1943年 戦時下の「紙類統制令」のため休業となる 1945年 社屋を東京都杉並区に移転し、事業を再開 1950年 社名を「新興楽譜出版社」に変更 同年株式会社に改組 1951年 「ミュージック・ライフ」復刊(9月) 以降1998年まで刊行 ということで、紙媒体の雑誌としては、1998年12月で休刊となりました。 その後、 2011年 iPad/iPhoneアプリ の「MUSIC LIFE Plus」で再刊 2018年 Web Site で復刊 となっているようです。 画像1 戦後の復刊まもない頃の1951年11月号の表紙です。 表紙は、左下が早川真平さんと思われ、 早川さんをリーダーとした「オルケスタ・ティピカ東京」の メンバーだろうと思います。 (すみません、さすがにまだ生まれておらず、自信がありません) 画像2 同じ1951年11月号の編集後記です。 「復刊号が九月であったから、これが三号目~」との記述があり、 これはサイト情報の「1951年9月復刊」と合致しています。 ところが、なのです。 どうも、そうとも言えないのではないか、という資料もあったりします。 それは次回に…… #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード
(株)新興楽譜出版社 ¥80 1951年11月号chirolin_band
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Music Monthly,Record Monthly 番外編2
Music Monthly,Record Monthly の番外編2です。 4.専用バインダー R.Monthly誌を1年分収める専用バインダーも作られていたようです。 (画像1・2) 私が入手したものは状態が悪いのですが、 1969年の12冊が綴じ込まれていました。 5.冊子の背番号 画像3がここで言う背番号のことです。 自分の手持ちの現物を見る限り、背番号が印刷されているのは1970年から と見えますが、こうして並べて眺めていると、あったりなかったり、 同じ番号がいくつもあったり、ということに気付きます。 これは多分、取り扱った販売店毎の番号だと思います。 No.3 = ハンター No.6 = 山野楽器 No.10 = 新星堂 etc. 冊子の裏表紙には、販売店名を入れる白枠が設けられており、 ここにゴム印を押す店舗も多かったわけですが、 数百部以上とかの一定の条件をクリアすることで、 印刷時に刷り込むサービスを行っていたと思われます。 (画像4) 店名印刷分は、他店と混ぜることは許されませんので、 梱包時のチェックを容易にするために、 背番号も印字したのではないでしょうか。 もっとも、店名印刷サービス自体は、もっと以前からあったようで、 背番号はなくても、店名印刷と同時に販売店固有の番号が記されている ケースがありました。 (画像5:小さく59の丸囲み数字) ということは、この番号は Record Monthly 用のものではなく、 もともとレコード商組合が加盟店に対して採番していた コード番号のようなものだったのかもしれません。 #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly #RecordMonthly
音楽(レコード) 1960年代 - 1980年代 日本chirolin_band
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Music Monthly,Record Monthly 番外編1
Music Monthly,Record Monthly の番外編です。 この小冊子の特徴と言えそうなポイントを、 いくつか取り上げてみたいと思います。 1.メーカー月報に記載のない商品も掲載 これは資料的価値としての側面です。 画像1は1967年8月号のリストですが、ビートルズ(サージェント以外)や フォア・フレッシュメンのLPが掲載されています。 これらはいわゆる焼き直しで、品番や定価を変更しての再発盤ですが、 「新装再発売」であることの断り書きと旧品番を添えて記載されています。 東芝月報には、載っていません。 月報での不掲載は記載漏れではなく、編集方針だと思います。 つまり、月報だけでは発売商品の全容はつかめない、ということです。 (番号順総目録には記載されています) 2.発売中止盤が掲載されていることもあり これはコレクター的なレア・アイテム探索という側面です。 画像2は1964年6月号のリストですが、東芝からの邦楽コンパクト盤の 第1回分が紹介されています。(別ページ分も含めて全5タイトル) ところが、これらの商品が実際に発売されたのは同年10月でした。 (画像3がそれを伝える月報の1964年10月号です) 何らかの事情で発売が遅れた、というだけならばままあることですが、 弘田三枝子さんだけは、収録曲が当初の予定から変更されています。 ところが、変更前の6月新譜バージョンの現物(見本盤?)が存在し、 正規品とは別ジャケになっているのだそうです。 画像4は、梅木マリさんの「白ゆりの丘」(JP-1567)で、 Music Monthly の1963年7月号に掲載されています。 発売中止になったらしく、幻のレコードになっています。 メーカーの月報にも総目録にも記載がありません。 こういったアイテムが載っているとうことは、 マンスリー系の外部編集冊子の方が、自社編集の月報よりも校了〆切が早く その後の修正が反映していないからではないか、と想像しています。 これ以外にも、シングル盤のカップリング曲が違っている, 品番が変更されている等々、少なからず見受けられます。 3.表記の癖(!?) 画像5は、Music Monthly1964年6月号のリストですが、 「トロムボーン16」と題するLPがあり、アーティスト名も 「河辺公一とトロムボーン16」となっています。 画像6は、同じアイテムのコロムビア月報(64年6月)掲載分ですが、 ジャケ写も含めて「トロンボーン」となっています。 同様のことが「トランペットがトラムペット」でも、 割と目に付きます。(コロムビア盤に限らず) この辺り、マンスリーとしての編集方針と言うか、編集者のこだわり のようなものを感じます。 「コロンビアじゃなくてコロムビアだと言うのなら、トロンボーン ではなくトロムボーンでしょ」という声が聞こえてくるようです(!?) #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly #RecordMonthly
音楽(レコード) 1960年代 - 1980年代 日本chirolin_band