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ミュージック・ライフ誌 1963年11月号
「ミュージック・ライフ」1963年11月号です。
(全126ページ)
雑誌のサブ・タイトルが「ポピュラー・ミュージックの雑誌」
となっています。
編集者の一人として星加ルミ子さんのお名前が見えます。
画像1 表紙
ジョニー・ソマーズ。
画像2 ピーター・ポール&マリー
フォーク・ソングも聴かれるようになって来ました。
画像3 伊東ゆかりさん
この写真はデビュー当時(1958年)のものではないでしょうか?
少なくとも1963年の姿ではないでしょう。
画像4 加古幸子&安岡力也さん
シャープ・ホークスは、既に結成されていると思います。
画像は掲載しませんでしたが、東京第一プロダクションの広告ページに
所属タレントとしてシャープ・ホークスの名前があるので、
間違いないでしょう。私などは、グループ・サウンズ時代のイメージが
強いのですが、この頃の活動内容は大部違っていたようです。
加古幸子さんは最初期のメンバーだった方ですが、ステージでは
ポールとポーラのナンバー等を、こうしてデュエットで披露していた
のかもしれませんね。
因みに加古幸子さんは、後にサリー・メイと改名し、
金髪&巻き舌の演歌歌手としてソロ・デビューしています。
(この写真からは、全くイメージできませんが)
画像5 サミー・デイヴィス・Jr
この年が初来日だと思います。
本物のエンターティナーの芸は、インパクトが大きかったようです。
画像6 来月のヒット予想番付表
東の横綱としてロネッツが挙げられています。
発売当初は「あたしのベビー」で、後に「ビー・マイ・ベイビー」に
変わったわけですが、「青い慕情」という邦題は
どこから来ているのでしょうか?
実は、ロネッツ盤に遅れること21日の 1963.11.10 に
ジョニー・ディアフィールドのカバー・バージョンが
コロムビアから発売されており、そこにこの邦題が
付けられているのです。多分、ここから来ているものと思います。
画像7 スターの近況
坂本九さんが日本専売公社(の工場)の一日局長を務めた、
という記事が出ています。
今の時代では、イメージ的によろしくないかも……
念のため附記しますが、日本専売公社は、
今の日本たばこ産業(JT)です。
画像8 ホリ・プロ広告
若き日の堺正章さんです。
所属タレントに「田辺昭知とザ・スパイダース」が載っています。
堺正章さんはまだ加入する前だと思いますが、かまやつひろしさんは
どうなのでしょう? グループとは別に個人名で載っています。
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