- chirolin_band Museum
- 3F 資料室 各レコード会社の月報 その3 1964~1966年
- 番外編2 ミノルフォン・レコード 1965〜1966年
番外編2 ミノルフォン・レコード 1965〜1966年
ミノルフォンは1965年創業ですが、当初は太平音響という社名でした。これは、創業者の中山幸市さんが太平住宅や太平観光等の太平グループのオーナーだったことによります。(中山幸市さんは、遠藤実さんや島倉千代子さんの後援者でもありました)
レーベル名も「太平」としたかったようですが、旧タイヘイ・レコードの流れを汲む「タイヘイ・マーキュリー(日本マーキュリー)」が存続していたため使えず、「ミノルフォン」(もちろん、遠藤実さんの「実」からです)とし、社名も1965年内に「ミノルフォン株式会社」となりました。
旧日本マーキュリーについては、かつてご紹介したこともありますので、よろしかったらどうぞ。
https://muuseo.com/chirolin_band/items/12
画像1,2,3がミノルフォンの第1号レコードです。「太平音頭」は当然太平グループに因んだものだと思います。B面「ベトナム赤い月」は三船和子さんのデビュー曲です。
その後の歌謡曲のメインとなるKAシリーズの1番が画像4です。
最初期のレコードは、シングル盤と同じで ¥330 で発売されましたが、回転数は33回転、A/B面とも2曲目にカラオケが入っていました。まだ、カラオケが普及する前のことです。
画像5はミュージック・マンスリー1965年12月号に掲載されたミノルフォンの紹介コメントです。当初のプレスはヤンマー音響、日本マーキュリーとの人的交流があったとする資料もあります。
1966年12月1日に日本レコード協会に加盟し、ミュージック・マンスリー1967年1月号から広告が入り、翌2月号からはリストにも掲載されるようになります。
初期のヒット曲は以下の通りです。
●他人船/三船和子 KA-16 1965年12月発売
●星影のワルツ/千昌夫 KA-39 1966年3月発売
●こまっちゃうナ/山本リンダ KA-80 1966年9月発売
発売順にリストしましたが、「星影のワルツ」が大ヒットしたのは1968年に入ってからで、その辺りの事情がミュージック・ガイド誌の68年7月号の座談会で語られていますので掲載致します。
この時期の月報が私の手持ちにはないため、番外編としました。
#アナログレコード
#レコード資料
look.summerhill
2022/01/29 - 編集済みはじめまして。jeromuと申します。ここに掲載されているミノルフォンのレコードは、この頃太平住宅で注文した戸建てを購入した時にコロムビアのポータブル電蓄と、3枚のシングルレコードをプレゼントされました。今は残って無いのですがもう一枚は、ムードコーラスグループだったのですが思い出せません。
3人がいいね!と言っています。
chirolin_band
2022/01/30 - 編集済みコメントありがとうございます。そういうタイアップもあったのですね。そのお話は初めて聞きました。品物は残っていなくても、貴重な体験談だと思います。いろいろ教えていただけると嬉しいです。
2人がいいね!と言っています。