Music Monthly 1966年

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Music Monthly誌 1966年です。

平月の基本フォーマットは80ページ ¥40 で変わりありません 。

この時代の「YAMAHA RECORD NEWS」は、表紙だけ個別対応したもので、
内容は Music Monthly そのものです。

画像2 4月号(No.160)「ラバー・ソウル」の広告
 「ミッシェル」はシングル発売がありませんでしたので、
 カバー・バージョンが紹介されています(売れませんでした)。

画像3 6月号(No.162)「ドクトル・ジバゴ」サントラ盤の広告

画像4 7月号(No.163)のヒット・チャート

画像5 8月号(No.164) ビクター広告ページ
 「夢のカリフォルニア」「明日なき世界」「孤独の世界」
 はどれも強烈な印象が残っています。

画像6 8月号(No.164) 東芝広告ページ
 「二人の銀座(Ginza Lights)」は「ポップ演歌第1弾」
 と謳われています。
 ベンチャーズ盤は 1966.07.15臨発ですが、
 歌詞を付けた和泉雅子・山内賢バージョン (TP-1346)も
 1966.09.15 に発売されました。
 
画像7 9月号のフィリップス広告ページ(洋楽)
画像8 9月号のフィリップス広告ページ(邦楽)
 ブロードサイド・フォーには黒澤久雄さん、サベージには寺尾聰さんが
 在籍していました。お二方とも若い!

手持ちの Music Monthly は1966年12月号 までですが、
資料によると「No.187 限りで廃刊」となっています。
通巻ナンバーから推測すると1968年まで続いたことになるのですが、
私は見た記憶がありません。
この辺りの話は、次の Record Monthly でも触れてみたいと思います。

#アナログレコード
#レコード資料
#MusicMonthly
#YamahaRecordNews

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    look.summerhill

    2022/03/15 - 編集済み

    ミュージックマンスリーからレコードマンスリーへの移行は興味深いものですね。当時入手していたレコード店では66年9月号が両誌置いてあり頂きました。編集内容も異なり何故?と思った記憶が有りましたが、10〜12月号がそのレコード店にはレコードマンスリーしか置かなくなり、詳細な売上チャート情報がR.マンスリーには掲載がなく残念な思いがありました。M.マンスリーのその後を最近図書館で調べたら、67年4月号があり、なんと器楽教育発展のための音楽教室と楽器の専門誌に変わっていてビックリしました。同じ67年4月号からはR.マンスリーがM.マンスリーの編集内容を継承していって、「世界のレーベル」も復活してホッとしたものです。

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      chirolin_band

      2022/03/15

      貴重なお話をありがとうございました。Music Monthly 誌のその後の変容については、初めて知りました。Record Monthly との立ち位置の変更等については、次回の投稿で触れるつもりだったのですが……

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