2021/2/5 守義球状花崗岩アーカイブ

初版 2021/02/05 17:05

改訂 2022/09/07 12:43

公開日:2021/2/5

守義の球状花崗岩は1960年頃の砂防ダム工事で4〜5tの転石が2個見つかり、源氏と恩原の民家の庭石にされたと1976年に「東三河の中央構造線」の中で横山良哲先生が記されています。同書には先生が大学生の頃寒狭川で漬物石大の転石を発見したとの記述もあり、60年中頃には下流域にて転石を見つけることができたのでしょう。1966年の地学研究「田ノ上産花崗岩質球顆岩に就て」には稲垣紘武先生が長島乙吉先生採集品として愛知県段戸地方の球状花崗岩を、アプライト中に存在すると記しています。横山先生はその後、1990年の「親と子の自然景観ウォッチング」・2007年の「愛知県の中央構造線-日本列島の謎を解く鍵」の文中でも触れられており、守義の球状花崗岩に強い思い入れがあったと感じられます。

私も現物を見たくて、守義・鳴沢の滝・貝津・恩原・源氏・布里・長篠と豊川の河原・保管先の民家を調べてきましたが、未だ発見できません。"15年通い初めて発見した!"喜びを表現したブログを目にします。諦めるのは早いようです。

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球状岩は世界的にみても非常に珍しい石です。
その産地は大変な山奥や無人島であったり、産出範囲が極狭く採り尽くされたり、ただ1個体の報告であったり、転石で露頭が不明であったりと、実際に採取することの困難な石だったりします。
確認された露頭の多くは国や自治体の天然記念物に指定されている場合も多く、その成因は解明されていません。

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