月報 日本ビクター(フィリップス系)1960〜1963年

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1960年10月新譜を第1弾とし、日本ビクターからのフィリップス・レーベルが発売開始されます。オランダ・フィリップス系の音源は、日蓄工業から発売されていましたが、それはアメリカ・コロムビア経由だったため、レーベルは「エピック」となっていました。国内でフィリップス・レーベルが登場するのはこれが初めてでした。併せて姉妹レーベルのフォンタナも紹介され、月報は別立てとなっていました。

主要オーケストラであるコンセルトヘボウ管弦楽団は、長らくこのオーケストラを育て上げたメンゲルベルクは既に亡く、その後を継いだベイヌムも病気で急逝した直後にあたります。やがて若いハイティンクが常任指揮者に任命されますが(オランダ人に限るという純潔主義による)如何せん頼りなく、補佐役のヨッフムによって支えられていたところが大きかったと思います。

ベスト・セラーとなったイ・ムジチ合奏団の「四季」のステレオ盤が1961年9月新譜として出ています。

1962年に入ると、メンゲルベルクのマタイ受難曲(1939年のライヴ録音)が復刻されています。時代からしてSP盤がリソースだろうと思っていましたが、そうではなく、フィリップス独自のフィルムをベースとした素材にカッティングされているそうです。そのハンドリングが困難なためか、オリジナル・リソースに遡って復刻されたのはこの時が最初で最後、その後の盤は復刻されたテープか初版オリジナルLPの板起こしなのだそうです。

ポピュラー系ではジョニー・アリディ(当時の表記はジョニー・ハリデイ)がこのレーベルで紹介されました。
大ヒットした「ヘイ・ポーラ」(ポールとポーラ)は1963年5月号に掲載されています。
ジャズ系では、リバーサイドがフォンタナ系に加わります。

珍しいところでは「オール・スター・フェスティバル」と題した「国連レコード」なるものが発売されています。世界の難民救済を目的とし、主旨にに賛同したアーティストがレーベル枠を超えて一堂に会すという、チャリティ盤のはしりですね。利益は国連を通じて避難民救済に充てられるということで、定価も低く抑えられています。その後、クラシック版も制作されます。

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