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月報 日本ビクター(ワールド・グループ)1970年代
ビクター(ワールド・グループ)の月報、1970年代です。 1970年3月号 ダイアナ・ロスがソロとして独立するため、シュープリームス(スプリームス)のラスト・アルバムが掲載されています。 1970年5月号 ドアーズのアルバム「モリソン・ホテル」 1970年5月号 ムラヴィンスキーの来日記念盤が発売されていますが、この時の来日は実現しませんでした。 1970年7月号 ジャズ・デラックス・シリーズ(SMJX)として、マル・ウォルドロンの「トゥキョウ・バウンド」等が紹介されています。 1970年8月号 ジャクソン5の2枚目のアルバム(ABC) 「子供5人のグループ」 1971年1月号 邦盤が掲載されていますが、前年の1969年11月新譜より「グリーン・シティ・レコード」が発売されていました。日本ビクターと日本放送の出資による会社でした。 1971年2月号 新世界レコードよりベートーヴェンのトリプル・コンチェルトが発売されました。曲よりも顔ぶれの豪華さが話題となりました。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本ビクター 1970年代
日本ビクターの月報1970年代です。 1967年〜1969年のところでも触れましたが、ビクター(本体)の月報は邦楽のみとなっており、洋楽はRCA,ワールド・グループ,フィリップス,MCA(1970年5月新譜より)に分散されています。 70年1月号では、二村定一(ふたむらていいち)さんの「君恋し」が掲載されています。フランク永井さんのカバーが有名ですが、この曲の初録音は髙井ルビーさん(浅草オペラ)のようで(1926年頃)、その後木村時子さん(オペラ歌手としてキャリア・スタート)(1928年頃)を経て二村定一盤が発売されてヒットしたようです。(1929年頃) これらの古い録音を聞くと、ムード歌謡としてのフランク永井盤とはかなり異なっており、当時のジャズ・ソングだったことが判ります。コード進行も一部違っています。二村定一盤の伴奏も「日本ビクター・ジャズ・バンド」となっています。 70年4月号では、中山千夏さん、アン真理子さんのアルバムが紹介されています。 70年8月号のシングル盤新譜を見ると、吉永小百合さん、岡林信康さん、小畑実さん、青江三奈さん、田宮二郎さん、太田博之さん、ソルティー・シュガー(走れコータロー)等、「流行歌」として括られていますが、随分ジャンルは幅広いなと感じます。 70年12月号では、洋楽クラシック新シリーズがスタートしています。同じ月にSL(蒸気機関車)のLPが載っていますが、当時かなりのブームとなっていて、各社から同系統のレコードが発売されていました。 71年1月では森進一さんのデビュー5周年豪華アルバムが企画されており、個性の強い歌い方もすっかり定着していました。橋幸夫さんやフランク永井さんの2枚組ベストなども紹介されています。ビクターの中核を担う歌手だったということでしょう。 https://www.youtube.com/watch?v=8Y2rOe5HmTo #アナログレコード #レコード資料
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LP初期のジャケット その10 カザルス・ティボー・コルトーの大公トリオ
(チェロ)パブロ・カザルス (ヴァイオリン)ジャック・ティボー (ピアノ)アルフレッド・コルトー によるベートーヴェンのピアノ・トリオ「大公」です。 オリジナルは1928年のSP録音ですが、国内LP復刻盤はこの日本ビクターの LH-12 が最初になります。(1956年3月発売) 英国HMV が東芝と契約してからは、東芝から GR-10 として再発売されています。(1958年9月20日) #アナログレコード #パブロ・カザルス #ジャック・ティボー #アルフレッド・コルトー
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月報 日本ビクター(フィリップス系)1967〜1969年
日本ビクター(フィリップス)の月報1967年〜1969年です。 この時期のフィリップス月報はサイズが独特で、広げるとB2サイズにもなるものを折り畳んで発行していました。69年7月号からはB3サイズに変更されますが、折り畳んだ結果は変わりありません。 グループ・サウンズの全盛期ということで、68年1月号にはフィリップス系のグループが多数掲載されています。 日本で人気の高かったヴィッキーの初LPが同じ68年1月号で紹介されています。(67年12月25日) ポール・モーリアの人気はこの頃から高まり、1998年の「さよならコンサート」まで継続しました。広範なファン層に支持されていたと思います。 69年5月号では、ベルリン・フィル八重奏団によるモーツァルトのディヴェルティメントが紹介されています。弦楽四重奏などでは常設の団体が存在しますが、管楽器を含む室内楽の場合はそういう団体がほとんどないため、同じオーケストラの首席奏者を中心としたアンサンブルを組むというのは、色々な意味で良い方法だと思います。ウィーン・フィルなどでも、盛んに行われていました。 69年7月号では、森山良子さんのアルバムがまとめて紹介されています。 「黒ネコのタンゴ」は69年10月号に掲載されていますが、「新時代の大人の童謡」というキャッチで何の構えもなしに発売しているようで、200万枚を超えるヒットになるとは考えていなかったのかもしれませんね。 #アナログレコード #レコード資料
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LP初期のジャケット その9 メニューインのブラームス
メニューインによるブラームスのヴァイオリン協奏曲で、バックはフルトヴェングラー指揮のルツェルン音楽祭管弦楽団です。 ビクターのLP第2弾として1953年12月に発売されました。当時の定価は ¥3,000 です。 まだ東芝が HMV と契約する前だったので、アメリカRCA経由で発売できたものと思います。 作りはかなり頑強なハード・ジャケットで、内袋代わりの専用収納カバーに盤を載せてジャケットに収納するようになっています。裏ジャケットは英文解説で、こういう場合日本語の解説書があったのではないかと思うのですが、私が所有するものには付属していません。 その後、東芝からエンジェル盤として発売されています。 #アナログレコード #メニューイン #フルトヴェングラー
メニューイン,フルトヴェングラー 音楽 日本ビクターchirolin_band
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月報 日本ビクター(ワールド・グループ)1967〜1969年
ソニーとシェールの「リトル・マン」が1966年12月1日臨発として67年2月号に載っていますが、この後アトランティック・レーベルが引越となり、67年2月25日にはこの曲が日本グラモフォンから発売になりました。 ビリー・ヴォーンとニニ・ロッソは幅広いファン層を持っていたように思います。ラジオ等でも、ビートルズやベンチャーズの後に流れてきても全く違和感なく楽しんでいました。画像は67年9月号のものです。 スティービー・ワンダーの来日時のライヴ録音盤が、ステレオ・シングルとして発売されています。(68年5月号)「太陽のあたる場所」ですが、既にスタジオ録音盤が発売されていたのにわざわざ出すというあたり、「ライヴ・バージョンの良さを知って欲しい」という気持ちが強かったのだと思います。 新世界レーベルはビクター・ワールドに入っても健在でした。画像は68年10月号のものですが、ここに掲載されているチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」は、このレコードで初めて聴きました。(友人のレコードを借りたのですが) 69年1月号には、ドアーズやポール・バターフィールドのアルバムがまとめて広告されています。 69年2月号では、マイルスの来日記念盤が掲載されていますが、残念ながらこの時の来日は中止になってしまいました。 69年7月号では、映画のサントラ盤としてジュディ・コリンズの「青春の光と影」が紹介されています。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本ビクター 1967〜1969年
最初にコメントしておくべきなのは、1968年10月号までが「(総合)新譜カタログ」であるのに対し、1968年11月&12月合併号からは「邦楽新譜カタログ」に変わっていることです。これはビクター本体の洋楽部門のレーベルが「Victor」から「RCA」に変更され、月報も「RCAの月報」として切り離されたことによります。ただし、この時点で会社としては独立したわけではなく、日本ビクターの中にあることは変わりありません。RVC(株)として独立するのは1975年のことです 1967年1月号ではモンキーズが大きく取り上げられています。鳴り物入りでスタートしたバンドでしたが、サポート体制が強力で優れた楽曲が提供されていたことは間違いありません。 1967年7月号には今陽子さんのデビュー・シングルが掲載されています。残念ながら全く耳にした記憶がありませんが…… 1967年12月号では新シリーズ(VP)が登場し、通好みのGSが3組デビューを飾っています。モップスやダイナマイツは結構テレビで見ましたが、何と言っても鈴木ヒロミツさんのヴォーカルとビジュアルが個性的でした。1980年代に「テレビ探偵団」にゲスト出演され、最後にアニマルズの「朝日のあたる家」をリクエストされていたのが印象に残っています。 指揮者の小沢征爾さんは、活動拠点を海外に移したことが大正解だったと思います。この方のエッセイ「ボクの音楽武者修行」は楽しく読めました。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを振った時は、遂にここまで来たのかと感慨深いものがありました。 続く2つの画像は、1968年〜1969年のビクターの主要アーティストたちです。 最後に五つの赤い風船をご紹介。シングル盤は1969年5月5日発売、アルバムは同年11月5日発売で、「遠い世界に」は当初B面曲でした。ただし、本当の初出はURCレコードのLPでした。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本ビクター(フィリップス系)1964〜1966年
1964年3月号には、特徴的なアルバムが3枚並んでいます。トランペットのディジー・ガレスピー,ジャズ・スキャットのスイングル・シンガース,そして尼さんコーラスの「スール・スーリール」です。特にスイングル・シンガーズはバッハの器楽曲を「ダバダバ・ダバダバ」で歌うというもので、ジャズ・ファンもクラシック・ファンも聴いていたと思います。 少しずつ豊かになって行くにつれ、レコードでもデラックス志向が始まり、フィリップスではクラシックの楽譜付き見開きジャケットの豪華盤が登場します。(1965年4月号) 1965年9月号では「フィリップス・リバプール・サウンド大行進」と銘打ってバンド系のレコードがたくさん紹介されています。映画「ポップギア」ですが、記録によるとこの年に日本でも上映されているのですが、私は残念ながらその時代には見ていません。 フランス・ギャルは既にシングル盤が数枚出ていましたが、何と言ってもこの「夢みるシャンソン人形」からです。シングルと初LPが同時発売です。 1965年11月号にはボビー・ウッドの「悲しきパラダイス」とフィーネーズの「哀愁のカレリヤ」が掲載されています。前者は個人的に好きだった中ヒット曲。但し、ドリフターズの「渚のボードウォーク」によく似ています。後者はスプートニクスの「霧のカレリア」と同じ曲で大ヒットしました。私が安物のギターを買ってもらい、耳コピで弾いていたのはこういう曲でした。 スパイダースの「ノー・ノー・ボーイ」が1966年3月号に登場し、その後サベージ,ブロードサイド・フォー,マイク真木等のGS系・フォーク系の邦人アーティストがたくさんフィリップス・レーベルから発売されることになります。(それまでは、邦楽のないレーベルでした) #アナログレコード #レコード資料
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アンナ・マリアの3つのひみつ
その時代にラジオのヒット・パレードを聴いていたら覚えている人も多いが、そうでない人にはほとんど知られていない、そういう曲ってありますよね。アンナ・マリアの「ひみつ」もそんな一曲です。 ところがこのレコード、番号は SS-1374 ですが、同じ番号で2つの発売日と3つのジャケットがあります。 画像1 1963.10.20発売 この時はロズィーの「メヌエット・ツイスト」がA面。 画像2 1965.1.20発売 ジャケを変更し、A/B面を入れ換えての再発盤です。 画像3 再発盤のジャケットを再び変更したもの。 私が聴いたのは画像2の時で画像1はずっと後になってから知りました。 途中でジャケを変えるというのは割とありますが、再発でも番号そのままというのは、あまりないように思います。 ミュージック・ライフ誌1965年5月号のチャートでは第14位に入って、私の感覚でもそんなものだったと思います。ロックン・ロールが多い中でバラード系がミーナの「砂に消えた涙」とこの「ひみつ」、やはり日本ではこういう曲のファンが結構いたのでしょう。 これも後から知った話ですが、1964年に新宿厚生年金会館で「カンツォーネ・フェスティバル」が開かれ、アンナ・マリアもロズィーも参加していたようです。画像は「ポップス」1964年11月号に掲載されているものです。 #アナログレコード #アンナ・マリア https://www.youtube.com/watch?v=EMe2VaukQWo
アンナ・マリア 音楽 ひみつ 日本ビクターchirolin_band
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月報 日本ビクター(ワールド・グループ)1964〜1966年
1964年11月号では、ベルリンで急死したエリック・ドルフィー(享年36才)の「ヨーロッパのエリック・ドルフィー」が著名評論家のコメント入りで紹介されています。 1965年6月号に大きく取り上げられているザ・シャンティーズ、「パイプライン」のヒットで知られていますが、残念ながら「パイプライン」の二番煎じのような曲が多かったような…… 新世界レコードがビクター・ワールドに加わり、ルドルフ・バルシャイ/モスクワ室内管弦楽団なども紹介されるようになりました。トレーニングが厳しかったようで、精緻なアンサンブルが聞き物でした。ただ、モーツァルトあたりになると、慣れ親しんだオーストリア系・ベルリン系の演奏とは感性が違っていて、独特なフレージングなどで「えっ、そう来るわけ!?」という場面もありました。 4曲入りのコンパクト盤は各社が力を入れていました。掲載した画像は1965年12月号の広告ですが、ビリー・ヴォーンにしろニニ・ロッソにしろ、当時ラジオでさかんにかかっていたものです。 1966年3月号に載っているシャングリラスですが、ガールズ・ポップの中でも「陰」の部分も持った特徴的なグループでした。この「家へは帰れない」も家出する少女を歌ったものですが、他の曲とは大部違うなと感じていました。B面「ブルドッグ」ですが、ベンチャーズのあの曲とは別で、こちらは陽気なR&B調の曲でした。 ナンシー・シナトラの「にくい貴方」は1966年5月号に載っていますが、この曲のヒットによって「いちごの片想い」等のぶりっこ路線(?)から上手く脱却出来たように思います。 大ヒットしたシェールの「バン・バン」が1966年6月1日臨発として登場していますが、インペリアル・レコードが直後に東芝に移行となり、その第1回新譜(1966年8月15日発売)としてこの「」バン・バン」も含まれていました。 従来ビクター・ワールドの発売日は毎月5日が基本でしたが(5月新譜の場合は4月5日発売)、1966年6月号の月報は「5月1日発売」と明記されており、以降毎月1日発売のパターンに変更されたようです。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本ビクター 1964〜1966年
1964年5月号には、クラシックとエレキ、それぞれのギター音楽が紹介されています。クラシックの方はイダ・プレスティとアレクサンドル・ラゴヤの夫婦による二重奏です。演奏技術もそうですが、音色が深みのある素晴らしいものでした。このアルバムの収録曲ではありませんが、PHILIPS 録音の音源が聴けます。 エレキの方はアストロノウツの「太陽の彼方に」です。その後主役はベンチャーズに移りますが、日本のエレキ・ブームはこの曲から始まったと言っていいでしょう。リヴァーブを目一杯かけた独特のサウンドと、シンプルなAメロをキーを変えて繰り返すだけ、という判り易さが決め手だったと思います。このエレキ・ブームのおかげでビクターはエレキ・ギターを販売し、橋幸夫さんまでエレキを抱えて宣伝に一役買っていました(これは65年12月号の裏表紙です)。 1964年10月号には、「ヤング・クイーン・トリオ」と称してペギー・マーチ,リタ・パヴォーネ,シルヴィ・バルタンのアルバムがまとめて掲載されています。 ビクターはレコーデッド・テープに積極的でしたが、1965年4月号には4トラック・ステレオ・テープが登場しています。この 19cm - 4トラックというフォーマットがオープン・リール時代のスタンダードになります。 1965年5月新譜(4月20日発売)としてミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の映画の方のサン・トラ盤が発売されました。このアルバムは、その後ロング・セラーとして長く売れ続けました。 1966年1月号よりダンヒル・シリーズが登場し、第1弾としてバリー・マクガイアの「明日なき世界」が発売されます。このシリーズからはその後、「夢のカリフォルニア」(ママス・アンド・パパス),「孤独の世界」(P.F.スローン)などの優れたレコードが登場します。 https://www.youtube.com/watch?v=Hj9_kX-pb7U #アナログ・レコード #レコード資料
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月報 日本ビクター(フィリップス系)1960〜1963年
1960年10月新譜を第1弾とし、日本ビクターからのフィリップス・レーベルが発売開始されます。オランダ・フィリップス系の音源は、日蓄工業から発売されていましたが、それはアメリカ・コロムビア経由だったため、レーベルは「エピック」となっていました。国内でフィリップス・レーベルが登場するのはこれが初めてでした。併せて姉妹レーベルのフォンタナも紹介され、月報は別立てとなっていました。 主要オーケストラであるコンセルトヘボウ管弦楽団は、長らくこのオーケストラを育て上げたメンゲルベルクは既に亡く、その後を継いだベイヌムも病気で急逝した直後にあたります。やがて若いハイティンクが常任指揮者に任命されますが(オランダ人に限るという純潔主義による)如何せん頼りなく、補佐役のヨッフムによって支えられていたところが大きかったと思います。 ベスト・セラーとなったイ・ムジチ合奏団の「四季」のステレオ盤が1961年9月新譜として出ています。 1962年に入ると、メンゲルベルクのマタイ受難曲(1939年のライヴ録音)が復刻されています。時代からしてSP盤がリソースだろうと思っていましたが、そうではなく、フィリップス独自のフィルムをベースとした素材にカッティングされているそうです。そのハンドリングが困難なためか、オリジナル・リソースに遡って復刻されたのはこの時が最初で最後、その後の盤は復刻されたテープか初版オリジナルLPの板起こしなのだそうです。 ポピュラー系ではジョニー・アリディ(当時の表記はジョニー・ハリデイ)がこのレーベルで紹介されました。 大ヒットした「ヘイ・ポーラ」(ポールとポーラ)は1963年5月号に掲載されています。 ジャズ系では、リバーサイドがフォンタナ系に加わります。 珍しいところでは「オール・スター・フェスティバル」と題した「国連レコード」なるものが発売されています。世界の難民救済を目的とし、主旨にに賛同したアーティストがレーベル枠を超えて一堂に会すという、チャリティ盤のはしりですね。利益は国連を通じて避難民救済に充てられるということで、定価も低く抑えられています。その後、クラシック版も制作されます。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本ビクター(ワールド・グループ)1960〜1963年
1960年に入り、3月新譜で新レーベル「トップ・ランク」が紹介されています。エヴェレストやプレステッジ等を含む幅広いレーベルでした。60年11月新譜(10月5日発売)としてベンチャーズ(当時の表記はベンチュアース)の「ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)」が発売されています。これがベンチャーズの国内デビュー盤になります。 ワールド・グループでは、クリフォード・ブラウン,マイルス・デヴィス,ソニー・ロリンズ,ジョン・コルトレーンなどによるジャズ・レコードも重要なレパートリーとなっていました。 1961年11月新譜から、シングル盤の JET-1000シリーズ が登場します。従来のレーベル別企画体系(DOT,ATL,RANK,PFJ など)を整理する統一型の新シリーズですが、この後長く続いて行くことになります。 ポップス系でも、ベビイ・イッツ・ユー/シャイアルス(シュレルズ),スタンド・バイ・ミー/ベン・E・キングといった重要盤が発売されています。ビートルズが「アンナ」をカバーしたことで知られるアーサー・アレキサンダーのレコードも発売されていました。 1962年7月号ではリプリーズ・レーベルが登場し、第1回新譜としてナンシー・シナトラのデビュー曲「カフス・ボタンとネクタイピン」も紹介されています。リプリーズはフランク・シナトラの作った会社で、シナトラ・ファミリーのためのレーベルでした。 1963年7月新譜としてロケット・マン/スポットニックスが紹介されていますが、後に「霧のカレリア」を大ヒットさせるスプートニクスの国内初レコードです。1965年頃の電リク(電話リクエスト)ラジオ番組でも、「スポットニックス」と発音していたDJがいたことを記憶しています。 #アナログレコード #レコード資料
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月報(ボイス・オブ・ビクター)日本ビクター 1961年〜1962年
日本ビクターが1961年から1962年にかけて発行した新聞「Voice of Victor」です。タブロイド判というサイズや紙面構成など、東芝の「東芝Record Monthly」にそっくりです。違いは、東芝が月報を休止してその代替物として発行したのに対し、ビクターは月報を休止せずに共存させていたということです。その為か、新譜は全アイテムではなく抜萃掲載で、フィリップス等も混載となっています。 東芝Record Monthly と同様に余り出て来ないようです。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本ビクター 1960〜1963年
1960年代に入り、ビクター・レーベルとしては考えられない「カラヤン指揮ウィーン・フィル」という組合せが実現しています。この背景にあるのが、アメリカRCAとEMI(HMV)の提携解消です(これは1950年代のキングのページでも書きました)。米RCAの新たなイギリスでの販売窓口となったのが英DECCAであり、その提携の一環として、盤上での双方のアーティスト交流が行われました。カラヤン/ウィーン・フィルのレコードもこの時の成果物のひとつで、録音はDECCA側が行ったようです。これらは1970年代にはDECCAに移され(と言うか戻され)、日本でもロンドン・レーベルとして再発売されています。 1960年12月新譜としてヘンデルのオラトリオ「メサイア」全曲盤(ビーチャム指揮)が出ていますが、これは極めて特徴あるレコードです。今の時代は原典版志向・ピリオド楽器志向が全盛ですが、これはその真逆の演奏です。いくつかある編曲の中でも最大編成のグーセンス版を現代オーケストラで演奏したもので、このレコードの「ハレルヤ・コーラス」を初めて聴いた時は、度肝を抜かれました。冒頭からシンバルが炸裂し、トランペットの合いの手が響き渡るという凄まじいものだったからです。 1963年11月号では「ダイナグルーブ」が紹介されています。いくつかセールス・ポイントが挙げられていますが、「再生系で生じる内周部の音の歪みに対し、予めその打ち消し信号をカッティング段階で組み込んでおく」というものがあります。後の東芝の「PTSクリアーサウンド」でも同様のことが謳われていました。但し、こういったことは想定通りの結果を生むかどうかは微妙なものがあります。一口に「再生系」と言っても、針先の形状(丸針,楕円針)やコンプライアンス(音溝トレース能力)の違いをはじめ、ユーザー毎の環境は様々だからです。 邦楽では橋幸夫さんのデビュー盤が1960年7月5日臨発として発売されています。加山雄三さんの初レコード(東芝の前になります)も、同年10月30日臨発として登場します。 作曲家吉田正さんの大傑作「いつでも夢を」は1962年9月20日臨発です。 洋楽では、プレスリー初めてのステレオLPが1960年11月新譜で出ました。タイトルの「エルヴィスが帰って来た」は、兵役が終わって戻ってきたという意味です。 #アナログレコード #レコード資料
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