-
月報 ワーナーブラザーズ・パイオニア 1970年代
発足時の会社名は「ワーナーブラザーズ・パイオニア株式会社」で、1970年11月11日に設立されました。 第1回新譜は1971年1月25日発売です。 資本の自由化によって誕生した会社のひとつで、アメリカのワーナーブラザーズ, 日本のパイオニア(音響機器),渡辺プロによる三社合弁となっています。 発足当初のレーベルは ・Warner Brothers(東芝音工より移行) ・Atlantic(日本グラモフォンより移行) ・Reprise(日本ビクター・ワールド・グループより移行) ・PIONEER(ゼロ・ベースの邦楽部門) の4つです。 現役時代のレッド・ツェッペリンなどを擁していたことから、洋楽志向の強いメーカーと見られがちですが、 当初から邦楽にも力を注いでおり、最初のビッグ・ヒットは小柳ルミ子さんの「私の城下町」でした (1971年4月25日発売) 面白いのは邦楽の取扱いで、全てが PIONEER レーベルというわけではなく、アーティストによって 「小柳ルミ子さんは Reprise」「ペドロ&カプリシャスは Atlantic」のように振り分けが行われていました。 1971年3月18日にレコード協会に加盟し、レコード・マンスリーは同年5月号からリストに掲載されています。 月報も作成していたのですが、仕様が独特です。 サイズは名刺を少し大きくした位で、きちんと製本されておらず、 簡単にバラバラになってしまいます。コンセプトとしては「欲しいレコードがあったら、 そのページを切り離してレコード店に持って行って注文してください」 というものでした。パスケースに入れて持ち歩くことを想定したサイズだったわけです。 良いアイディアですが、発売アイテム数が少ない間はこれでいいとしても、増えてくると大変ですね。 (月報がいつまで続いたのかは判りませんが) また、保管やコレクションには向かないですね。 最後の画像は、レコード・マンスリーに載った最初の広告です。(1971年11月号) レーベル Elektra,Asylum,Free Flight,Nonesuch,Vox 等のレーベルもが追加され、 レパートリーも拡張して行きます。 1972年4月頃には社名が「ワーナー・パイオニア株式会社」に変更されます。 1978年には、渡辺プロが資本を撤収します。 (サウンズ・マーケティング・システム(SMS)の設立) #アナログレコード #レコード資料
音楽 ワーナーブラザーズ・パイオニア 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 東宝芸音 1970年代
東宝芸音(株)は、1970年4月4日に設立された会社で、親会社はもちろん映画の東宝(株)です。 月報は第1回発売分しか所有しておりませんが、発足当時のレコードをご紹介します。 トップ・ページに酒井和歌子さんと黒沢年男さんが紹介されているのは、東宝のスターでしたから、当然かもしれません。但し、東宝レーベルとしてはデビュー曲ですが、酒井和歌子さんはコロムビア、黒沢年男さんはビクターでデビューしていましたので(その後コロムビアに移籍)、お二方とも初めてのレコードというわけではありませんでした。 また、宝塚歌劇団の加茂さくらさん、甲にしきさん、郷ちぐささんも、コロムビアからレコードを既に出していました。と言うか、宝塚関係のレコードはコロムビアが一手に引き受けていた感じです。東宝レコードとしては、「宝塚もの」としてではなく、歌謡曲やポップス系の歌手として売り出したようです。 岡田ポールさんは、確か解散間際のカーナビーツ(グループサウンズ)に参加されていた方です。 その後東宝からは、柏木由紀子さん(ビクターから移籍),研ナオコさん(新人としてデビュー)らのレコードが発売されました。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 東宝芸音(株) 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 キャニオン・レコード 1970年代
キャニオン・レコードは、ニッポン放送系列のレコード会社として1970年8月1日に設立されました。 1970年10月10日に第1回新譜が発売され、同年11月10日に第2回新譜が発売されました。 1971年3月18日に日本レコード協会の会員になっています。 手持ちの月報は極めて少ないのですが、発売当初の新譜は知ることができます。 シングル盤第1弾は桜木健一さんですが、東芝,コロムビアを経ての移籍です。 野際陽子さんもテイチクからの移籍になります。 第2弾には天童よしみさんの「風か吹く」がありますが、天童よしみ名義としてはこれが初シングルとなります。吉田よしみ名義としては、コロムビアからTVアニメの「いなかっぺ大将」のテーマ曲が1970年9月に発売されていました。 レコード・マンスリーに広告が出るようになったのは1971年7月号からで、7&8月号を画像で紹介しますが、いささか地味な印象を受けます。 発足当初は、なかなか厳しかったのではないかと思います。 その後、AARD VARK,NAV などのレーベルをスタートさせ、 アイドル系 松本ちえこ,林寛子,岡田奈々,石川ひとみ など フォーク・ニューミュージック系 あべ静江,もとまろ,石川セリ,N.S.P,高木麻早,谷山浩子,中島みゆき,松山千春 など 歌謡曲系 山本リンダ,藤正樹,中条きよし など と多様なアーティストが登場するようになり、レーベルのカラーも出て来るようになります。 クラシックでは、SP盤の復刻を専門とするユニークな「アルティスコ・レーベル」もありました。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 キャニオン・レコード 2000年〜2020年chirolin_band
-
番外編1 ミノルフォン〜徳間音楽工業 1970年代
ミノルフォン・レコードですが、1970年代の月報を所有していませんので、番外編としてレコード・マンスリーの広告から当時の様子を窺ってみたいと思います。 社名は 1970年5月 ミノルフォン音楽工業(株) 1972年1月 徳間音楽工業(株) と変更されています。 1971年4月号 「よこはま・たそがれ」が掲載されています。五木ひろしさんは、ここまでに何度も改名し、レコード会社も移籍して来ましたが、五木ひろし名義のこの曲が初ヒットとなります。「全日本歌謡選手権10週勝ち抜き!」といった苦労が偲ばれるコピーが添えられています。 1971年7月号 ダン・レーベルが登場し、レパートリーの拡張をアピールしています。 1971年9月号 「よこはま・たそがれ」の大ヒットにより、早速LPが発売されています。 1972年1月号 ベスト・ヒットの中に「悪魔がにくい」(平田隆夫とセルスターズ)が入っています。発売は前年の8月でしたが、時間をかけて大ヒットになりました。掲載されているジャケットは、曲目やグループ名が読みやすいように修正されたセカンド・バージョンですね。 1972年3月号 連続ヒットとなった「ハチのムサシは死んだのさ」(1972年2月15日発売) 1972年5月号007ジェームス・ボンド映画主題曲集 演奏者は「メル・テイラーと彼のオーケストラ」となっています。ベンチャーズのドラマーとして有名だったメル・テイラーですが、時々自身の名義でレコードを作っていました。が、その後正式にベンチャーズを脱退し、メル・テイラーとザ・ダイナミックスを結成します。 1972年7月号 クラシックのクラヴィエール・レーベルが紹介されています。原盤は東ドイツのエテルナで、東独の演奏家による優れた録音を多数聞かせてくれました。(その後、ドイツ・シャルプラッテン・レーベルになりました) また、森昌子さんのデビュー曲「せんせい」は1972年4月1日発売、西崎みどりさんの「旅愁」(デビュー曲ではありませんが)は1974年8月1日発売でした。 その後、柳ジョージ,萩原健一,上田正樹さん等もレコードを作っていました。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 ミノルフォン・レコード 徳間音楽工業 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 日本クラウン 1970年代
日本クラウンの月報1970年代です。 発売点数がさほど多くなかったためか、クラウンの月報には、他の大手メーカーが60年代にやめてしまった「コラム」や「アーティスト近況」的なメッセージが掲載されていました。チータ(水前寺清子さん)のコラム、西郷輝彦さんと平尾昌晃さん、安井かずみさんのコラボLP情報、どちらも70年2月号です。 「男はつらいよ」(渥美清さん)、渡瀬恒彦さんのレコード・デビュー曲(さすらい人別帳)、ラジオの深夜放送のパーソナリティとして人気の高かった白石冬美さんと野沢那智のシングル盤(デュエットではないようです)が70年5月号に掲載されています。 同じ70年5月号では、PANAM レーベルの第一弾が登場しています。既存の歌謡曲・演歌路線とは別の、フォーク系・ポップス系のレーベルです。初回はオーディションで選ばれたグループやシンガーが紹介されています。このレーベルは、後に「かぐや姫」、「風」、「イルカ」などを輩出し、重要なレーベルへと発展して行きます。 70年6月号には「リュートの芸術」(佐々木忠さん)という異色のアルバムが掲載されています。この方は、演奏活動の他にも、後進の育成や楽譜の編纂などにもご活躍なさり、現在でも演奏されているようです。 全く時代は異なりますが、1989年以降に山下和仁さんも、バッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲をはじめ、クラウンにかなりまとまった録音を残していることを思い出しました。 山下和仁さんの演奏は、既に「神業」のレベルに到達していたと思います。 月報の話からは逸れてしまいますが、ご存じない方のために映像を貼っておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=THDtCRm0ALQ #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本クラウン 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 日本グラモフォン〜ポリドール 1970年代
日本グラモフォンの月報1970年代です。1971年10月1日に社名をポリドール株式会社に変更していますので、71年11月号より発行会社名も変更されています。 1970年4月号 オトマール・スウィトナー指揮のマーラー「巨人」が出ています。 スウィトナーがN響を振って知名度を高めていく前のレコードで、当時はほとんど日本では知られていなかったと思います。これがドイツ・グラモフォンから発売された経緯を知らないのですが、東側(今となってはこれも懐かしい言い方かもしれませんが)で録音されたもので、録音年月日は 1962.5.22-24 となっています。聞いたのはもっと後の時点でしたが、バーンスタインなどによるオーバー・ヒート状態の演奏の対極にあるもので、私などはとても好ましく感じたものです。 1971年5月号 ベーム指揮のベートーヴェンのレコードが少ないことは「七不思議のひとつ」などと言われていましたが、ウィーン・フィルとの「運命」と「合唱」がまず発売され、これが全集に発展して行きます。 1970年6月号 「ヴィーナス」を当てたショッキング・ブルーのLPが紹介されています。なんと「ヴィーナス」の日本語盤も発売されていたのですが、歌っていたのはキャッシー中島さんです。(シングル盤のジャケットでは「キャッシー」となっていました) 1971年1月号 グラモフォンからのアトランティック・レーベルの最終組が掲載されています。 目玉は「レッド・ツェッペリンIII」ですが、シングルの「移民の歌」は何故か発売中止となりました。(B面曲が変更され、ワーナー・パイオニアからの発売となりました) 1971年2月号 青春(沙漠の少年) 天井桟敷のレコード(恋愛地獄篇)は別として、小椋佳さんのデビューLPです。初期のレコード・ジャケットに出ていた俳優の岡田裕介さんのことを小椋佳さんだと思い違いしていた人は多かったと思います。 1971年4月号 いとしのレイラ/デレク・アンド・ドミノス(エリック・クラプトン) イントロは Dm ですが、ヴォーカルが入るところで突然 C#m に落ちます。「転調」などという生易しいものではなく「重力場が変化した」ようなショックを感じたものです。 1971年6月号&10月号 野口五郎さんのデビュー曲と第2弾です。 デビュー曲「博多みれん」はキャッチ・コピーの如く「演歌の本格派」でしたが、「青いリンゴ」で「青い新芽のフィーリング」となり、路線が変更されました。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本グラモフォン〜ポリドール 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 キング 1970年代
キング・レコード月報1970年代です。 1971年11月号が「上」と「下」の2冊に分かれています。これは発売日パターンの変更によるものと説明されています。 ●11月上 10/1 , 10/10 , 10/20 発売(従来パターン) ●11月下 10/25 , 11/5 , 11/10 発売(新パターン) 1970年3月号 レット・イット・ブリード/ローリング・ストーンズ 1970年8月号&1971年1月号 ベイビー・ブラザーズ 後にフィンガー5となるグループです。 デビュー曲は「私の恋人さん」。 第3弾のB面曲の「僕たちの秘密」は、デビュー前の谷山浩子さんの作品です。 1970年12月号 カーペンターズの国内デビュー・アルバムです。 シングル盤の「涙の乗車券」,「遙かなる影」は既に発売されていました。 1970年8月号&1971年3月号 ダニエル・ビダル・ゴールデン・プライズ 第1集と第2集 デビュー曲「天使のためいき」の時は、シリアスな路線に行くのかと思いましたが、完全にアイドルとなりました。 もともときちんと歌える人でしたし、優れた作品にも恵まれました。 1971年7月号 さくら貝の歌/倍賞千恵子 日本の叙情歌のアルバムを作るに当たって、最適な人選だったと思います。 1971年11月上 童夢/ムーディー・ブルース 独特のサウンドを持ったユニークなグループでした。 1972年1月号 月報作成を中止する旨の案内が載っています。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 キング・レコード 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 テイチク 1970年代
テイチク月報1970年代です。 「雨にぬれても/ビリー・トーマス(B.J.トーマス)」が70年3月号に掲載されていますが、映画「明日に向って撃て!」ともども大ヒットしました。 70年5月号には「デッカ・レコード・バイハイ・セール」という広告が出ています。長らく続いて来た米デッカとの提携が切れたことによるものです。(日本ビクターのMCAレコードとして再出発しました) 70年6月の「臨発コーナー」には、「トレロ・カモミロ/西六郷少年少女合唱団」と「恋に生きて/ディオンヌ・ワーウィック」という全くジャンルの異なるレコードが並べられています。 70年7月号では、寺尾聡さんの「ママに内緒の子守唄」が紹介されています。ソロとしてテイチク初登場となるわけですが、プロフィールを見ても、サベージのメンバーだったことは書かれていません。 71年5月号 湯原昌幸さんにとって「雨のバラード」はとても思い入れの深い曲だったのでしょう。1968年5月25日にGSのスイング・ウエスト盤が発売され、中ヒットしていましたが、ソロとしての再録音で更に大きなヒットになりました。 71年8月号 小山ルミさんの「さすらいのギター」 小山ルミさんは、「ひとりぼっちのレモンティー」がテイチクでの第1弾として70年1月10日に発売されていましたが、本当のデビュー曲「はじめてのデート」は日本ビクターから出ていました(SV-732 1968年7月5日発売) 「さすらいのギター」は71年4月にベンチャーズ盤が出てそこそこヒットしていましたが、オリジナルはサウンズという北欧のエレキ・バンドです。日本でも1963年10月新譜として発売されていました。演奏技術はアマチュア並ですが、スプートニクス等と同系統の音作りで、リバーブやディレイ(当時はテープ・エコーだったのでしょう)が決め手になっていました。Bメロに入ってからのベースに注目!! これ、ランニング・ベースです。当時としてはかなり目新しかったものと思います。(ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だって、まだ発売されていなかったわけですし) 71年9月号 「クラシック・ベスト・セレクション」(1,000円の廉価盤)と「巨匠による歴史的名演シリーズ」という2つのシリーズが紹介されています。興味深いのは後者の方で、SP時代のカラヤンの「悲愴」やトスカニーニ(後年のNBC響ではなく1936年頃のニューヨーク・フィルとの録音)によるベートーヴェン第7などが含まれていました。 #アナログレコード レコード資料 https://www.youtube.com/watch?v=LeY7oXeogvU
音楽 テイチクレコード 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 MCA(日本ビクター)1970年代
1970年5月号より、日本ビクターに「MCA」というもうひとつのファミリーが登場します。 この時点でのカタログは、テイチクから移行したデッカ(米デッカ)、東芝から移行したキャップなどが主要原盤になっています。 第1回新譜(70年4月25日発売)の中に、「スイート・キヤロライン」(ニール・ダイアモンド)が含まれています。どちらかと言うとシンガーよりもソング・ライターとしての評価から有名になった方で、モンキーズの「アイム・ア・ビリーヴァー」や「恋はちょっぴり」が彼の作品でした。 1970年7月号 ブレンダ・リー(旧デッカ)、ロジャー・ウィリアムス(旧キャップ)は、大事なアーティストでした。 1970年10月号 ジャズの歴史 1970年12月号 邦楽が(11月新譜より)発売されていますが、松崎しげるさんのデビュー曲(8760回のアイ・ラブ・ユー)がこのレーベルでした。 1971年1月号 クラシック・ギターのアンドレス・セゴヴィア、ピアノのカーメン・キャバレロ、テイチクの月報のようですね。 1971年2月号 「兄弟の誓い」はホリーズのカバーですが、ホリーズはケリー・ゴードン(1969)のカバーだったようです。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 MCA(日本ビクター) 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 日本ビクター〜日本フォノグラム(フィリップス系)1970年代
フィリップス系の月報1970年代です。 1970年6月1日に、オランダ・フィリップス、松下電器及び日本ビクターの三社合弁により、日本フォノグラム(株)が設立されます。同年8月1日に日本レコード協会にも加盟しました。ビクターとは別会社になったということで、月報も1970年7月号より社名が日本フォノグラムに変更されています。 1970年1月号 森山良子・イン・ナッシュビル ザ・テンプターズ・イン・メンフィス(これはショーケンのアルバムと言うべきかも) 1970年2月号 ハインツ・ホリガーの来日記念盤としてLPが2枚発売されています。私事ですが、アルビノーニの協奏曲(Op.9-2)は、CDになってからもずっと愛聴盤です。 1970年6月号 スパイタース・ロックン・ロール・ルネッサンスは、バンドとしての最後のオリジナル・アルバムです。 1970年9月号 尾崎紀代彦さんのソロとしてのデビュー曲「別れの夜明け」が掲載されています。「また逢う日まで」はこの次の作品です。 1970年10月号 ポール・モーリアの人気は高まるばかりでした。 1970年10月号 デビッド・ボウイの珍しいシングル盤を2枚。「スペイス・オダティー」は70年1月新譜(SFL-1244)、「冷たい炎」は70年10月新譜(SFL-1277)です。前者はボウイのデビュー曲ではありませんが、不遇だった時代を経て始めてヒットした作品だったと思います。但し、国内では次の「冷たい炎」と併せて鳴かず飛ばずでした。探している方は多数おられても、なかなか見かけることのないレコードになっています。 1970年10月号 指揮者のジョージ・セルの追悼盤が2枚紹介されています。セルは1970年に来日公演を行い、帰国後すぐに亡くなってしまいました。 https://www.youtube.com/watch?v=iYYRH4apXDo #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本ビクター,日本フォノグラム 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 日本ビクター(ワールド・グループ)1970年代
ビクター(ワールド・グループ)の月報、1970年代です。 1970年3月号 ダイアナ・ロスがソロとして独立するため、シュープリームス(スプリームス)のラスト・アルバムが掲載されています。 1970年5月号 ドアーズのアルバム「モリソン・ホテル」 1970年5月号 ムラヴィンスキーの来日記念盤が発売されていますが、この時の来日は実現しませんでした。 1970年7月号 ジャズ・デラックス・シリーズ(SMJX)として、マル・ウォルドロンの「トゥキョウ・バウンド」等が紹介されています。 1970年8月号 ジャクソン5の2枚目のアルバム(ABC) 「子供5人のグループ」 1971年1月号 邦盤が掲載されていますが、前年の1969年11月新譜より「グリーン・シティ・レコード」が発売されていました。日本ビクターと日本放送の出資による会社でした。 1971年2月号 新世界レコードよりベートーヴェンのトリプル・コンチェルトが発売されました。曲よりも顔ぶれの豪華さが話題となりました。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本ビクター 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 RCA(日本ビクター) 1970年代
RCAレーベル(日本ビクター)の月報・1970年代です。 プリスリー・イン・パーソン(ラスベガスでのライヴ盤)は1970年3月号です。プレスリーは、少しずつ違う領域に入って来たなと感じていました。「貫禄で歌いまくる」というのも凄いコピーです。ロックンロールの歴史がまたまだ浅く、「ポール・マッカートニーやミック・ジャガーが70才を過ぎてもライヴ活動を行う」などということは想像も出来ない(そもそも、そういう年代のロックン・ローラーなどいなかった)時代でした。 ホセ・フェリシアーノ・イン・パーソンは1970年4月号です。雨のささやき(レイン)が日本でもヒットしました。「夢のカリフォルニア」のカバーも、この曲がマイナー・キーであることを改めて感じさせてくれました。同じホフ・フェリシアーノが、ウァーバリー・フィンスターなる変名で「さよなら、ポール」などというレコードを後発売しています。「ビートルズのポールは既に亡くなっている」等と言う噂はよく耳にしました。(馬鹿馬鹿しく思ってましたが) 藤圭子さんもRCAの大事なスターになって行きます。 ニルソンの「パンディモニアム・シャドウ・ショウ」は1970年12月号に掲載されています。日本では「ハリー・ニルソンの肖像」が先に発売されていましたが、これが1967年発表のファースト・アルバムです。ジョン・レノンが気に入って電話を掛けた、というエピソードは有名ですね。 70年12月号掲載の「あなたのとりこ」(シルヴィ・バルタン SS-1974)は大ヒットとなりました。が、この曲は 1968.11.25 に SS-1849 として一度発売されていました。ジャケットもB面曲も違っていましたが、この時には大きな反響はなかったと思います。(69年1月号の月報) 71年3月号には、「ナオミの夢」(ヘドバとダビデ),「シルバー・ムーン」(マイク・ネスミスとファースト・ナショナル・バンド)が紹介されています。どちらも優れた楽曲でしたが、特に前者は至る所で耳にしたものです。マイク・ネスミスは、もちろん元モンキーズのメンバーでした。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 RCA(日本ビクター) 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 日本ビクター 1970年代
日本ビクターの月報1970年代です。 1967年〜1969年のところでも触れましたが、ビクター(本体)の月報は邦楽のみとなっており、洋楽はRCA,ワールド・グループ,フィリップス,MCA(1970年5月新譜より)に分散されています。 70年1月号では、二村定一(ふたむらていいち)さんの「君恋し」が掲載されています。フランク永井さんのカバーが有名ですが、この曲の初録音は髙井ルビーさん(浅草オペラ)のようで(1926年頃)、その後木村時子さん(オペラ歌手としてキャリア・スタート)(1928年頃)を経て二村定一盤が発売されてヒットしたようです。(1929年頃) これらの古い録音を聞くと、ムード歌謡としてのフランク永井盤とはかなり異なっており、当時のジャズ・ソングだったことが判ります。コード進行も一部違っています。二村定一盤の伴奏も「日本ビクター・ジャズ・バンド」となっています。 70年4月号では、中山千夏さん、アン真理子さんのアルバムが紹介されています。 70年8月号のシングル盤新譜を見ると、吉永小百合さん、岡林信康さん、小畑実さん、青江三奈さん、田宮二郎さん、太田博之さん、ソルティー・シュガー(走れコータロー)等、「流行歌」として括られていますが、随分ジャンルは幅広いなと感じます。 70年12月号では、洋楽クラシック新シリーズがスタートしています。同じ月にSL(蒸気機関車)のLPが載っていますが、当時かなりのブームとなっていて、各社から同系統のレコードが発売されていました。 71年1月では森進一さんのデビュー5周年豪華アルバムが企画されており、個性の強い歌い方もすっかり定着していました。橋幸夫さんやフランク永井さんの2枚組ベストなども紹介されています。ビクターの中核を担う歌手だったということでしょう。 https://www.youtube.com/watch?v=8Y2rOe5HmTo #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本ビクター 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 コロムビア 1970年代
コロムビア月報1970年代です。 森山加代子さんがデノン・レーベルに移籍し、「白い蝶のサンバ」が久々のヒットとなりました。(70年2月号) 70年3月号には、クラシックの邦人演奏家のアルバムが2枚紹介されています。宮沢明子さんは、コロムビアでハイドンのピアノ・ソナタ全集を完成させ、トリオ・レコードに移籍した後にモーツァルトのソナタ全集を録音するなどレコード枚数も多く、御存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。一方ギタリストの渡辺範彦に関してはどうでしょう? 多分知っている方の方が少ないでしょう。パリ国際コンクールで第1位となり、天才ギタリストと呼ばれた方です。その後もご活躍されたのですが、誰もが知るような大家にならなかったのは、ご本人の演奏に対する厳しい姿勢(厳し過ぎるが故に、演奏会直前の「辞退」、所謂ドタキャンなども……)、本当に納得できる演奏が出来る作品のみ(レパートリーが限定的)といったことも影響していたように思います。が、今でも慕っているファンは少なくありません。 フルトヴェングラーの録音は、今でこそ出し尽くされた感すらありますが、60年代は全く事情が異なっていました。コロムビアが英ユニコーンと契約し、70年から大戦中の演奏会録音を発売し始め時は、大きな話題になりました。もともとドイツで録音されていたテープ(ドイツは磁気録音が早くから実用化されていました)ですが、敗戦時にソビエトに押収され、ソ連国内でのみ売られていました。それが晴れて西側に登場したわけです。 71年には、世界初のデジタル録音盤が登場します。71年1月25日に「サムシング/スティーヴ・マーカス」、71年4月25日臨発で「打/ツトム・ヤマシタの世界」が発売されます。月報では「PCMレコーディング」と書かれてはいますが、特別な説明や宣伝もしていないようです。この時点では量子化ビット数も今より低く、現在のCDと全く同じフォーマットではありませんが、デジタルであることに変わりはなく、これは特筆すべき出来事です。 71年6月号には、解散したスパイダースを離れた堺正章さんのソロ初作品「さらば恋人」が紹介されています。 美空ひばりは既に大御所、芸能生25周年を記念して2枚組アルバムの15巻セット(全30枚)という膨大な全集が1年以上かけて発売されました。 71年9月号では、キングから移籍したビリー・バンバンの「みにくいアヒルの子」が掲載されています。この次の作品が「さよならをするために」でした。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本コロムビア 2000年〜2020年chirolin_band
-
月報 東芝(東芝音楽工業) 1970年代
東芝の月報、1970年代です。 70年5月号では、10周年記念謝恩レコードが限定盤として掲載されています。東芝音楽工業の設立10周年ということで、洋楽 ¥1,200,邦楽 ¥1,000 という特別価格となっていました。 70年8月号ではビートルズのラストLP「レット・イット・ビー」が登場しています。 71年1月号にはピンク・フロイドの「原子心母」が紹介されています。このアルバムはクラシック・ファンにも話題になっていました。月報でのキャッチ・コピーに「プログレッシヴ・ロック」との表記があり、この時代にプログレッシヴという言葉が使われていたことは、注目に値すると思います。 クラシックでは、71年3月号にジャクリーヌ・デュ・プレの弾くチェロ協奏曲が掲載されています。エルガーの方は、国内デビュー盤(AA-7617 1966.7.5)として発売されていたものですが、忘れることのできない名盤だと思います。ディーリアスの方はメーカー直輸入盤として1967年2月に発売されたことがありましたが(ASD-644)、国内盤はこれが初登場となります。 邦楽では、72年8月号に荒井由実さんのデビュー盤「返事はいらない」が紹介されています。ヒットが出るのはもう少し後になってからですね。 72年9月号には、グラシェラ・スサーナさんのアルバムが紹介されています。当時、様々なところでこの方の歌声を耳にしました。 73年9月号にはふたつのライブ盤が載っています。トワ・エ・モワのフェアウェル・コンサート,ラヴ・ジェネレーション・ライヴ・コンサートです。 後者には解散間際のトワ・エ・モワ,これから発展するチューリップ、オフ・コース,この時点ではビッグでなかったシュリークス(イルカさんと旦那さん)等、様々なアーティストが参加しています。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 東芝音楽工業株式会社 2000年〜2020年chirolin_band