🌸【閲覧No6. 11390人】人間国宝が賞賛/明治金工、皇室に縁「伝・前田侯爵家伝来 鳳凰模様 砂鉢(献上無銘)」/ 加賀象嵌 8代水野源六 (加賀藩主前田家の白銀職頭取、1873年のウィーン万博で優勝碑受賞)/高さ14cm × 長さ29cm × 幅55cm/第一回 内国勧業博覧会(1877年 明治10年上野公園 ) に 類似銘「鳳凰模様花生」出品記録/加賀藩13代藩主、金沢銅器の品と共に保管/国立工芸館に資料提出(貴重な品とコメント)
約150年前、明治時代の加賀象嵌。
「鳳凰」部分は、加賀象嵌の特徴の平象嵌である。
明治時代の象嵌の工具と現代の工具は違うので、再現不可能ということ(公立施設)。
加賀象嵌(加賀前田家)は、水戸象嵌(水戸徳川家)、肥後象嵌(肥後細川家)と並ぶ 三大象嵌。
【加賀象嵌】
『石川県金沢市を中心に生産されている金工品で、金沢市稀少伝統工芸に認定されている金属工芸である。前田利長(加賀藩2代藩主)が、後藤家五代徳乗の三男琢乗を召し抱えたことが加賀象嵌の始まりとされる。加賀藩の時代に、象嵌の名人が京都から招かれ、技術が向上したことで加賀象嵌が生まれたという。』
水野源六家は、
加賀藩主前田家の御用工(金工)加賀後藤家の番頭役として仕えた白銀職頭取の家柄。
作品は、加賀藩の伝統工芸「加賀象嵌」で、
金・銀・青金・赤銅を用いた平象嵌で
「鳳凰」を正面と背面に刻んだ。
四脚は「兎」で、側面には「三日月」。
「鳳凰」は、太陽。「兎と三日月」は、月。
天照大神と月読、日月紋を表わす。
この砂鉢は、幕末の加賀藩主前田家に縁の品々と、
石川県内の豪農(加賀藩主にゆかり)に、
長い間、保管されていた。
8代 水野源六と見られ、
明治時代の作品であることから、
華族 前田公爵家からの拝領品と見られる。
8代 水野源六の弟弟子は、文豪 泉鏡花の父親。
1877年(明治10年)、
「第1回 内国勧業博覧会」の出品リストに
「鳳凰模様生花」とあった。
同一品か姉妹品かは判らないが、
上野公園と前田侯爵家本郷邸の位置関係を考えると、
博覧会の後、前田家に譲られたか、
姉妹品が献上されたのかもしれない。
皇室に献上する際は、同じ品を三つ作り、最良品を献上。
作者の銘を入れない慣習がある。
当家が前田家に縁ということで、
人を介して持ち主(石川県津幡町の北国街道沿いの家)から譲り受け、石川県立美術館や宗桂会館(加賀象嵌博物館/金沢市)で話を伺い、調べて頂いていた。
加賀象嵌の作品としても「超一級品」であり、
古美術商の方に、話を伺うと、
前田家に献上された品々は、銘が刻まれないことが多い。
2022年7月17日に、
人間国宝(加賀象嵌)の中川衛さんに、写真を見て頂いた。「立派な加賀象嵌。鳳凰に、大きな四分一を埋こんであるが、高度な技術。刻印がないのは、献上品だから。」という事だった。
【追記】
現代の象嵌師に観て頂いたところ、
「普通でなく、現代では、再現が難しい。水野源六(8代)は、明治時代以降の加賀象嵌で、頂点に立つ人。」とコメント。
🔸八代 水野源六は、明治6年(1873年) ウィーン万博で、優勝碑を受賞した。
🔹明治6年(1873年)以降の作品。青銅に加賀象嵌を施したのは、明治6年のウィーン万博以降のこと。