• Picture
  • KAGA. HOSOKAWA Museum
  • 13F 🌕【閲覧No1 18770人以上】加賀藩主前田家伝来 雛具足(江戸時代後期)/金切付小札萌黄糸毛引威二枚胴雛具足・特別貴重資料(2020年11月1日、日本甲冑武具研究保存会認定)/江戸幕府第11代将軍 徳川家斉から外孫(孝明天皇の甥、加賀藩13代藩主 前田慶寧)への贈答品/2021年 金沢市文化振興財団特別展示
🌕【閲覧No1 18770人以上】加賀藩主前田家伝来 雛具足(江戸時代後期)/金切付小札萌黄糸毛引威二枚胴雛具足・特別貴重資料(2020年11月1日、日本甲冑武具研究保存会認定)/江戸幕府第11代将軍 徳川家斉から外孫(孝明天皇の甥、加賀藩13代藩主 前田慶寧)への贈答品/2021年 金沢市文化振興財団特別展示

🌕【閲覧No1 18770人以上】加賀藩主前田家伝来 雛具足(江戸時代後期)/金切付小札萌黄糸毛引威二枚胴雛具足・特別貴重資料(2020年11月1日、日本甲冑武具研究保存会認定)/江戸幕府第11代将軍 徳川家斉から外孫(孝明天皇の甥、加賀藩13代藩主 前田慶寧)への贈答品/2021年 金沢市文化振興財団特別展示

38

加賀藩13代藩主前田慶寧は、
孝明天皇(明治天皇の祖父)の甥であり、
近衛文麿の外祖父であり、細川護煕の外高祖父です。

幕末に、大名家で作られた加賀藩主家の御家流(おいえりゅう)の復古調甲冑を忠実にミニチュアにした特別注文品の雛具足です。

幕末に作られた復古調甲冑は、総合美術工芸品として見るべきで、大名家となると、第一級の遺品です。

そして、特別注文で、大人の甲冑よりも、時間と技術を必要とする雛具足は、童具足より数が少なく、その価値を測り知る事が出来るでしょう。

江戸時代、天保10年(1839年)2月から製作が始まったと鎧櫃に記されています。
日本の歴史研究や武具の研究を専門とされている
北陸大学(石川県金沢市)の長谷川孝徳・教授に調べて頂きました。

人形師でなく、甲冑師の仕事で、大人用の具足と同じ技法で精巧に作られた加賀具足。

五月人形でも、雛形鎧でもなく、節句など何かのお祝いで製作されたミニチュアの具足(玩具具足、雛具足)と理解した方が良い。

玩具具足(雛具足)は、国内で数点しか発見されておらず、
最も有名な聖徳太子に縁と言われる品は国宝です。

加賀地方には、端午の節句に、母方の祖父母から、節句人形を贈る慣習があります。とすると、徳川家と近衛家からの贈り物となります。

年代から、加賀藩12代藩主 前田斉泰の子供のために、注文したのだろうと思われますが、どの子供の為かは、不明です。しかし、家紋が、幼剣梅鉢の定紋を使用しているので、長男の加賀藩第13代藩主 前田慶寧のためとは、推測されます。

雛具足は、大人の具足(製作期間 1年以上、製作費3000~5000万円)より、高い技術、製作期間、費用が必要です。

慶寧は、1841年に、初名(又左衛門)を襲名、1842年に、元服を迎えているため、ここに向けて作られたと思われます。

慶寧の二人の娘が、近衛文麿の生母と継母です。

兜の裏の布や紐の色が茜染めで、材料が豪華であり、家紋が加賀藩前田家宗家なので、加賀藩主にゆかりで間違いない、ということでした。

長谷川教授は、「この類の人形は、過去に、1体(※水戸徳川家から前田家への贈り物。アイテムの写真)しか見ておらず、希少、かつ、貴重である。」と。
博物館に展示するレベルの品ということでした。

全国の美術館、博物館でも、江戸時代の雛具足を収蔵出来ているところは、少ないということでした。殆どは、木や厚紙で製作されている様です。

また、大名の中でも富豪の大名は子供用の稚児鎧(童具足)を製作しましたが、稚児鎧よりも数が少なく思われるという見解でした。

この鎧飾りは、2020年5月に、金沢市内の博物館の企画展で展示予定でしたが、コロナ渦で企画展は、中止となりました。写真は、2021年5月に、展示された際のものです。

2020年11月1日、日本甲冑武具保存研究会において、特別貴重資料(鑑賞度が高く、資料としても優秀な品)に認定されました。

🔴その後、荘内酒井家(徳川家譜代大名)にも、類似品が伝来していると、有識者から教えて頂きました。前田家と酒井家は、姻戚関係にありました。


=======================================
◾(一社)日本武具甲冑研究保存会の正式コメント ◾

『童具足と雛具足(雛鎧、玩具具足の相違)について』

童具足は、少年が着用するもので、全国では100点以上残っていると思われます。

今回ご出品いただいた雛具足は武具というより節句人形として扱われているものですので、当会の甲冑審査に出品されたのはこれまでに2、3点ほどです。

このような節句人形として作られた甲冑は明治時代以降相当数あると思われますが、大名家などそれなりの武家の家に江戸時代から伝わったものがあると聞いたことはありません。

これは、武家の場合は本物の甲冑があるのでわざわざ節句人形として甲冑を誂える必要はないからです。

========================================

◾近衛文麿の孫が、元内閣総理大臣・細川護煕さんです。私の先祖は、この系譜の庶流にあたります。






#戦国武将
#加賀藩
#前田家
#具足
#甲冑
#歴史
#サムライ
#五月人形
#江戸時代
#芸術
#工芸



もっと見る

Default