🔵【閲覧No9 10350人以上】伝・前田対馬守家伝来「前田利家の長女と前田長種(尾張前田家と織田信長家臣)」の系譜)/加賀藩初代藩主・前田利家の「桶狭間の戦いの凱旋図」/ 大英博物館の学芸員に写真が渡る/( 公財)前田育徳会の調査書あり。
a加賀藩の祖・前田利家の掛軸。江戸後期の白描画の一種。織田信長の命に背き、前田利家が武功を挙げた有名な「桶狭間の戦い」。
加賀前田家宗家の財産を管理する前田育徳会(東京)によると、根拠は確認できないが、2009年の石川県立美術館紀要・第19号の中に、絵師・岸駒の原本を元に、幕末、前田利家没後250年忌にあたる年(嘉永元年、1848)に、前田家の志気を揚げるため、主に、この様な絵が、前田家の家臣宅に伝えられ、祀られていたということです。
そして、正月に、床の間に飾った様で、多くの数(少なくとも10点)は、現存していますが、調査した博物館の学芸員によりますと、この様な「墨絵」の絵は、初めてらしく、様々な可能性を秘めているそうです。
絵の利家の兜などには、加賀藩二代藩主・前田利長や加賀八家など、前田利家の子供の代に使用された家紋が書かれていました。
朱印に「源洞」とあり、
調べた所、加賀前田家で「源~」の法名を使用するのは、
加賀前田家の重臣で、加賀八家の前田対馬守(前田利家の一女・幸姫と婚姻した織田信長・信忠の家臣・前田長種の家系)のみです。
また、源洞は、国宝・瑞龍寺(富山県高岡市)の織田信忠の墓碑に刻まれた銘「源洞」と同じでした。
銘は「東固」で、直筆。
どことなく、葛飾北斎の絵のタッチと酷似しています。
#戦国武将#掛軸#前田利家#織田信長#葛飾北斎#加賀藩#美術#
うえだ かずや
2023/01/08 - 編集済み有名な武将はほとんど尾張付近の武将ですねー✨山内一豊、前田利家、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長、加藤清正、福島正則、脇坂泰治、浅野長政、等が有名ですねー❗
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うえだ かずや
2023/01/08うちの地元姫路は黒田官兵衛ですねー!竹中半兵衛に続く最高峰の軍師です。兵庫の初代知事は何と伊藤博文です!
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Makoto Panteleimon
2023/01/11当家の
幕末~明治の戸籍には、
福島や大谷の姓、
前田利家の荒子時代からの
家来の姓が出てきます。
戦国期には、
黒田24騎と同格の侍大将で、
挑戦に出兵しています。
黒田家の家臣(毛屋)は、前田利家につき、
石川県に来ています。
黒田家(小寺家)は、赤松家の分家で、
赤松政則(正室は、細川勝元の姫)は、
加賀国北守護です。
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うえだかずや
2023/05/26 - 編集済み前田利家に弟がいましたね!
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Makoto Panteleimon
2023/07/29お返事が遅れて申し訳ありません。
しばらく、このサイトから離れていました。
弟は、佐脇良之と前田秀継。
前田秀継に、当家は、所縁が深いです。
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