東半球と西半球@明治中期の地理教科書

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明治20年代前半に版を重ねていた分厚い地理教科書の巻頭に載っている、彩色世界全図。子午線と180°線とで地球をすぱっと割った「東半球」と「西半球」の2葉に分かれている。このような世界地図が載っている地理書はたいがいが明治20年代、早くて18〜19年、晩くて20世紀が明けた明治33年(1900年)のようにおもう。こうした本の書き出しは必ずといっていいほど、「惑星/遊星は太陽のまわりを回っているまるい天体で、われわれの住む地球はそのひとつ」であって、球体である証拠としての現象が3つばかり挙げられている。というのも、それまでの日本人の大半は17世紀に入ってきた天文書『天經或問』
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai2009/shiryo/kaisetsu08.html
そのままの天動説か、あるいはいわゆる「仏教天文学」、つまりこの世は天地ともに平らで、世界の中心には巨大な須弥山という山がそそり立ち、太陽や月などが昇ったり沈んだりしてみえるのは実は須弥山の向こう側に隠れてしまうからだ、という考え方を信じていたから、世界地理を説くにもその前に誤った世界観をまずはただす必要があったからなのだろう。当時も他の描き方の地図がなかったわけではないのに、判で押したようにこうした東西両半球として描かれた図版が載っているのも、地球がまるく、我が国がその上にへばりついている小さな島々であることを視覚的にわからせようとしたからではないかしらん。

海岸線の形は大ざっぱには現代人の認識とあまり変わらないが、細かくみていくとかなりいい加減な感じだ。台湾など、そこだけ取り出したらどこの島だかさっぱりわからない。南極大陸はまだ海岸線のごく一部しか描かれていない。それと、国境がひとつも描かれていないのも、今ではあんまりない種類の地図ではないかしらん。

地名は漢字が宛てられているところが多く、ややわかりづらいかもしれない。オーストラリアが「豪州」の「豪」ではなく「墺」で始まっていたり、オセアニアが「亞西亞尼亞」になっていたり、ニューギニア島の東のニューブリテン島が「新貌利顚」と書いてあったりする。また、ベンガル湾やハドソン湾が「ベンゴール曲海」「ハドソン曲海」、カニャークーマリー(コモリン岬)や喜望峰が「コモリン海角」「好望海角」となっているし、マゼラン海峡は「マゲラン海峽」だがモザンビーク海峡の方は「モザンビク海岔〈かいふん〉(<大正前期の代表的な漢和辞典・上田萬年ほか『大字典』(啓成社)をひいてみたら「大きなる海峽のこと」だそうだ)」になっていたり、と今日では使われない用語が出てくる。このへんは多分支那語の借用なのだろう。ウラル海を「裏海」と書くのは、明治期の出版物にはよくみられる。

西半球図をみて、あれ? 海の難所として有名な「サルガッソ海」がアメリカ大陸を挟んで2ヶ所もある……とおもったら、あらら「太平洋」と「大西洋」とが逆じゃないの。タイヘンなポカミスだが、その所為でサルガッソ海もサンドウィッチ諸島の北方にもうひとつ出現しちゃったのではないだろうかww

19世紀の地図は色味がかわいいとおもう。地名などの「現代の地図との違い」とともに、題字の飾り罫その他のデザインもたのしめるのが、古地図を眺めるひとつの魅力だろう。

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